うるむは瞳、落つるは花弁 | ナノ


その女がカリムと話しているのを、よく、みかけた。
おれがカリムに声をかけると、そのたび遠慮がちに去っていった。

その女は、そういう女だった。

つまり、もともとおれという存在には興味も関心もないのだろう。
大概の人間はそういう振る舞いをする。特段めずらしいことじゃない。主人のカリムに用があるのであって、おれがカリムに声をかければ、それが冗長な談笑の終わりを意味する。昔から、大概はそうだ。特段めずらしいことじゃない。

なぜか、そのときは、
それがひどく癪に障った。
ただたんに虫の居所が悪かったせいかもしれないし、そいつの表情が妙に気にくわなかったせいかもしれない。
毎度毎度おれの姿をみとめると、すっと身を引く。その瞳に写そうともしない。ヘラヘラと笑って「じゃあまたね、カリムくん」。
ただ、なんとなく、そのうすっぺらな笑顔を崩してしまいたくなって、声をかけた。”カリムの落とし物を拾ってくれたから”なんて安い誘い文句につられて、いつもよりもかしこまった表情でその女はついてきた。警戒心は薄いようだ。きっと社交慣れもしていないのだろう、すべての動作がぎこちない。なんだかひどく、ばからしい。おれはなにをしてるんだろうな。ひどく、ばからしいよ。

筋書き通りスカラビアに連れてきたまではよかった。
たしかにおれの心の奥深くには、燃えるような企みがあって、それに突き動かされていた。怒りや、疑念や、不快感や憤り。それらを取り除くべく、動いていた。ここまで、まったくおかしなところはなかった。はずだ。


なのに、だんだんと、
わけがわからなくなった。
おれは流れるように、普段プライベートな用事でしか使わない、一番気に入っている応接間に女を通した。場所なんてどこだってよかったのに。他の寮のやつらにさえみられなければ、どこだって。食品倉庫だろうと柱の陰だろうと、本当にどこだってよかったのに。おれは彼女を上等な椅子に座らせ、馬鹿正直に茶を淹れた。彼女はたしかにおれの淹れた茶を飲みに来たのだけど、そんなのはただの誘い文句。都合のいいウソであるはずだった。

ただ、おれは、


「ジャミルくんは…瞳の色がきれいなんだね」

おれは一体、なにをしたかったんだろうな。

「オリーブの実みたいな、でも透き通ったグレー」

最後の最後、彼女が茶に口を付ける前におれは、まるでなにかを誓うように片膝をついて、彼女の瞳をやっととらえた。
たしかに自分のユニーク魔法を発動して、彼女を惑わして、心をめちゃくちゃに傷つけるはずだった。その気にくわない笑顔を、乱すはずだった。

「あんまりまじまじとみたことがなかったからわかんなかった」

そう照れたように笑う彼女は、おれの存在をしっかりと両目にうつしていた。なぜだろう、魔法の発動はそこでぴたりと止まってしまう。
女は、やさしいやさしい顔をして、カリムに向けているよりもやや親し気な、慈しみを含んだ視線をおれに向けていた。

ああ、なんなんだ。
おれは、いったいなにをするつもりだったんだろう。
なあ、きっと、本当はわかってたんじゃないか?
ただ、この視線を与えられないことが、ひどく拒絶されることが怖くて、避けていただけだったんじゃないか。

「ジャミルくん、どうしたの」

おれはただ、この人からの視線を、
このまなざしを、
手に入れたいと、そう思っていたんじゃないのか。


なにかがぷつっと切れた気がした。
これじゃあ、あの時と同じじゃないか。
おれもたいがい、学ばないなあ。

「いいや、なんでもないんだ」

自認した途端、目の前に投げ出されたやわらかい白い手のひらを急に撫でたくなってしまって、ふわりと包んだ。

「毒牙が抜かれてしまったな、これしか取り柄がないっていうのに」

意を決して、彼女の瞳をまっすぐに見返した。
ひどく情けない、崩れた自分の表情がうつっている。
すべてが終わりだ、なにひとつうまくいかない。
あと一歩はやく気づいていれば、自分の能力を使って、彼女を意のままにすることだってできたのに。おれはなにもできないままで、彼女の前に平伏している。

「なにを言ってるの、ジャミルくんはぜんぶが完璧なのに」

彼女の後ろに開いた窓から鋭い陽が差して、まるで後光のようだった。
じゃあ君は、いずれおれを愛すか?そう尋ねそうになって、寸前で、言葉を飲み込んだ。

「君がそういうなら、そうかもしれないな」

おれはまっすぐな言葉にどうもよわい。
まっすぐな瞳に、まっすぐな言葉に。
ああ君がはじめて知るスカラビアの場所が、ここでよかった。カリムの部屋でなくてよかった。他のやつの部屋でなくて、本当によかった。おれは君を追い詰めない代わりに、決して他にいってしまわないよう、全力を尽くそう。 そしていずれ、君のその唇から愛の言葉を聞こう。
蛇は自分の陣地で狩りをする。獲物の実力は、対等なほうがいいんだ。そのほうが毒がまわりやすいから。じっくりじっくりしとめるのがいい。

君にはきっと、その資格があるんだよ。


「すまない、茶が冷めてしまうな。飲んでくれ」


おれが君を丸呑みにする、その前にどうかたくさん飲んでくれ。
それがおれの愛だと知って、いつか君の口から聞かせておくれ。


(20.11.30)



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