馴染みの居酒屋、ひとりでぼーっと人を待ってたら、向こうでしらねえおっさんが人生論を語ってやがった。ここまでたいそう必死で生きてきたそうだ。「おれが若かったころは天人なんてのもこんなにふんぞり返ってなかったのによぉ、いまやお上も異邦人のご機嫌伺じゃねぇか、シケたもんだよなァオイ」おっさんはすでにべろべろだからまわりは誰ひとり歯牙にもかけねえが、そうやって愚痴ってる隣の客も天人だぜおっさん。
「おやじ、大瓶もうひとつ」
「ペースが早ぇな、あの子が来る前につぶれる気か?」
「うるせェなァ、あいつに払わせんだからいいんだよ。グラスも新しいの、キンキンに冷えたやつちょうだい」
「てめぇはとんと甲斐性ってモンがねぇなあ。ほらよ」店主のおやじはダルそうに冷えた大瓶と氷の張り付いたグラスを引っ張り出して、一枚張りのカウンターにどんと雑に置いていく。どうせ今日も景気のいい話なんてねぇんだし飲んだ方がおトクなわけよ。
待ち合わせの時間なんてないようなもん。
あいつは多分仕事終わりでやってくるのだろう。
どうせ今日もしらねぇ男の話を長々聞くのだ。向こうで人生を語ってるあのおっさんと、同じくらいどうでもいい、関係ねぇ男の話をあいつがするのを、ハイハイと聞いてりゃ終わり。好きでボランティアしてるわけじゃねーっつーのに、自分でもよくやるなと思う。
「おまたせ、銀時」
ぽん、と右肩をたたかれた弾みで女を目で追う。待ち人来たり。
なまえは俺の左隣の席に、当たり前のようにさらりと座る。
「おー、遅かったな」
「そう?おじさん、生ひとつ」
「あれ、大瓶頼んだばっかなの?じゃあそれでいいや、おじさんごめんやっぱり生じゃなくてグラスひとつ」登場早々ごきげんなこった。ペラペラしゃべる女の顔を見てると呆れるほどいつも通りで気が抜ける。
「あいよ、なまえちゃん今日もおつかれさん」
おやじはこれまたキンキンに凍ったグラスをなまえの前に置いてから、俺の方を見るとにわかに口角をあげる。俺はなまえに気づかれないようにおやじを睨む。ニヤついてんじゃねぇ、ムカつくなオイ。
「ありがと!はぁのど渇いたビールビール」
「貸して、ついでに注いであげる」なまえは自分のと俺のグラスに慣れた手つきでビールを注ぐ。ニコニコしながら、泡の層を壊さないよう、慎重に瓶を傾けている。注ぎ方にはなにやらこだわりがあるらしく、何度か熱く語られた。とはいえいつも2、3杯目以降どんどん乱れて適当になっていくのだが。
「さ、銀時、乾杯しよ」
「はいはい、どうも」
りん、とやけに高い音が鳴る。
「あ〜やっぱりビールだね〜」
「お前ほんと幸せそうな顔するね、ビールひとくちめ選手権優勝かよ」
「自信ある、ビールがうまいのがいけない」
もともと喜怒哀楽の激しいやつだけど今日はやけにニコニコしてんな。俺はなまえのくしゃっとなった目じりを横目でみながら、満足しそうになっている自分に気づいて、バツが悪くなる。ため息をつく代わりにぐいっとビールを飲みほした。流れでそのまま手酌をする。見事に泡は消えていく。
「銀時と飲むビールはいつもよりおいしいんだよねえ」
「…そーかよ」
なまえはこちらも見ずにつきだしの浅漬けをもりもり食べる。ちょっとでも意識してる自分が情けなくてばかばかしくなる。こいつといるとどんなに力んだって、のれんに腕押し、ぬかに釘。
「あ、おじさん、だし巻き卵とまぐろぶつと揚げ出し豆腐と…あと銀杏もちょうだい」
「あいよォ」
今日も今日とて呼び出されているわけで、俺から話すことも特段ないのだが、なまえの口から出る話題はどうせ俺の望まないものばかりなので、わざわざ聞き出すこともしない。なにもしゃべらなくていいから、こういう平穏な時間ができるだけ長く続けばいいな、と柄にもなく思う。つまり、なまえがロクでもねえことを話し出さなければいいのに、と。話題なんかなくたって当たり前に並んで、なんにも乱されない空気みたいに、隣で飲んで食って笑ってるのを見てりゃ別にそれだけでいいのに。バカみたいな話だ。
こんなんだから、カウンター越しのおやじにも笑われる。
俺はまたビールをくいっと飲み干して、下手な手酌をするのだ。
考えたって無駄なこと。めんどくさくなってでかい欠伸をした。
(20.10.27)