三度目のランデヴー | ナノ


8.


「あのなァ」

吐いた息を吸い切らないうちに、空却は気怠げに口を開く。

「てめェのあずかり知らねぇところで、世界も拙僧も変わってンだよ」

「…有為転変は世の習い、ってな」独り言みたいに付け足された言葉を、わたしは確認するように呟く。ういてんぺん。何度か繰り返して、やっと漢字を当てはめることができたときには、しん、と午後の静寂が部屋をつつみこむ。

「なまえ、この際だから、よォく聞け」  

空却はあきらめたように吐き捨てる。パンのビニールをバリっと開けて一口ほおばる。咀嚼する。それを見ながらわたしは色のつきはじめたお茶を、湯呑についでいく。  

「浮世の森羅万象は、
ことごとく諸行無常だ。」

ごくん。パンを嚥下すると、彼は人差し指を立てて、くるくると回してみせた。「わかるか?」そう問われて、わたしは引き寄せられるように空却のほうへ視線を向ける。
注ぎおわった湯呑ふたつと、自分のパンをお盆にのせて運ぶと、彼のとなりにちょこんと座った。空却の話をまじめに聞くときのやり方は、昔から変わらない。わたしはすこしだけ、姿勢を正す。

「物事は常に流転する。
不変のモンなんてこの世には存在しねぇんだよ。お前がそうやって過去の拙僧や自分自身をこの場に探して、見つけて、懐かしんで、いちいち喜ぶのは別に悪いことじゃァねーが…それは世の流れとは相反したやり方ってワケだ。」

「つまり?」

「だァから、あんまり過去のことばっか愛おしむなってこった。
…目ェかっぴらいてよーく見やがれ。ここには今現在の拙僧と、おまえしかいないだろうが」

空却はぴんと立てた指先で、彼自身とわたしの胸元を、順番に指さす。わたしはその爪先を、夢でも見ているようにツーっと目で追う。そして、空却の瞳にたどりつく。

「…なるほど。」

「あ”ァ?!ンだその生返事、ホントにわかってんのかよ。
拙僧が言ってんのは、てめェが好き勝手に足踏みしてるそのイメージごと全部ぶっ壊すような出来事が起こっても、文句はいえねェってことだぞ。」

そこまで言い切ると、もうひとくち、唐揚げサンドを口いっぱいにつめこんだ。
「……あほみてーな顔で聞き惚れやがって。」もぐもぐしながら、苛立たし気に空却はまた指を立てて、今後はそのまま、わたしの眉間をつん、と突く。

「わ」

「おめーは昔っから、こうやって仏さんの教えつかって聞かしてやるときだけは、しおらしく拙僧の話に耳傾けやがんだ。」

「拙僧のこといっっつもガキ扱いしてくるくせにな。」もぐもぐ、ごくごく。持ってきてあげたお茶と二つ目のパンを交互に咀嚼する。のどぼとけが上下している。一口が大きいな、指先が綺麗だな、なんて思いながらぼうっと見つめる。
すると空却は突然、さっきよりさらに大げさなため息をついて、肩を落とした。


「なに見てやがる、おめーも食え」

「あ、ごめん、つい。食べる」

蚊の鳴くような声で「いただきます」 と呟くと、ぺり、とビニール袋を開ける。空却に言われた言葉たちを脳みその中で並べて、ひとつひとつ精査して、口に放り込んだ蒸しパンと一緒に飲み込む。  
水を打ったように静まり返った部屋には、かさかさとしたビニールのこすれる音と、小さな咀嚼音だけが響いている。


「…拙僧はなァ」

ず、とお茶をすすって、空却は口を開く。わたしは脳内の運動を一度ぴたりと止めて、空却の方を見る。

「たった今お前に教え聞かせたことで、猛烈な慚愧の念に駆られてんだよ」

「だからそうやってジッと見られっと、正直、うしろめたい」空却は言葉通り、なんだか変な顔をしていた。わたしも一口、お茶を飲む。うしろめたいだなんて、なんとも空却らしくない台詞。不思議に思ってうーん、と首をひねる。

「慚愧?言ったことを後悔してるの?ぜんぶ本当のことなんでしょ」

「そりゃァ、説いた内容自体はまことの理に決まってんだろ。拙僧が恥じてんのは、その動機だ。」

動機?空却はわたしに真実の教えを話したのだろうし、今が言うべきタイミングが今だと思うのならそれもまた真実なのだろう。動機なんてなんだっていい、というか、彼がやったことがもし説法のようなものだとすれば、語ることに動機も何もない。わたしが聞きたそうにしているから話した、わたしの迷いが目に余るから話した。どちらにしろ正しいはずだ。
空却のことを見つめたまま考え込んでいると、「おめーには、わからんでいい。考えんな。それから、いちいちこっち見んな。」と目元を手のひらでふわりとふさがれた。どきり、と鼓動が跳ねる。まるでジャンプするみたいに。前が見えない。まぶたに当たる、手のひらが熱い。

「どうして」

うわごとのように呟くと、ぎゅ、とさらに強く手のひらを押し付けられる。思わず呼吸を止めた。少しして、小さな舌打ちが聞こえてくる。

「……拙僧が恥ずべくは、仏さんを利用して、私欲のために説法まがいのことをしてるっつーことだ。」  

「仏徒としちゃぁサイテーだろうが。」空却は、囁くみたいにそう言った。心臓が、なぜだか跳ねて跳ねてしょうがなくて、言われていることの意味がよくわからなかった。空却が言ってることは昔からいちいち、わたしには二回りくらい難しい。だからぜんぜん理解できなくて、もどかしくて、うれしくて、ほんの少しだけさみしい。
肌の擦れる感覚がくすぐったくて身じろぐ。すぐ近くにあるはずの空却の身体からふわりと香るのは、わたしの好きな洗剤とシャンプーの匂い、お日様の匂い、サンダルウッドの煙の匂い。それから、男のひとのほのかな汗のかおり。なんだかうわっと恥ずかしくなって、わたしは息をのんだ。

「ったく、どれもこれも全部てめェのせいだ!バァカ」

突然解放されたかと思うと、はじかれるように軽くデコピンされる。

「あいたっ」

痛む額をおさえつつこわごわ様子を伺うと、空却はあまりにもいつもどおりの顔をして湯呑を傾けていた。わたしの身体だけが、いつもより高い体温で、どきどきと大きく脈打っている。なんだか取り残された気分だ。


(21.05.02)



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