三度目のランデヴー | ナノ


18.


終わった。
飲みすぎた。

空却とごはんを食べに行った水曜日の夜なんか比じゃない。今夜は完全に、完璧に、飲みすぎてしまった。飲みすぎたって理解してるだけ及第点かな…などと悠長に考えていたら、即、足元がふらつく。目の前がゆらゆらと揺れる。

二、三時間で終わるだろうと考えていた食事会は、金曜だったこともあり異様な盛り上がりを見せ、一次会だけじゃ飽き足らず、二次会へと流れていく。最初は”営業さんって大変だなあ”なんて思いつつ酒量をセーブしていたのだけど、途中から同世代の営業さんたちが勧めてくるお酒の種類がごちゃまぜになった。ビール、ハイボールときて日本酒飲み比べセットをみんなで飲み始めたあたりで、これはヤバいかもしれない。と思い、正気を取り戻すために頼んだ緑茶が、注文ミスにより緑茶ハイだった。ここで完全に終わった。

それから先は、飲んでも飲んでも空却のことばかり考えてしまった。
射るような、強い瞳がゆるくやさしく揺らぐ様子。ぴしゃりと打ち抜くような、小さないかずちのようなあの声が、丸みを帯びて、わたしに降り注ぐ瞬間。そして、一瞬だけ触れたくちびると、弱く噛まれた皮膚のこと。あれ以降、空却とは特に本質的な会話をしていない。お互い、時間を慈しむようにのんびりと、そして安らかにすごしているばかりで、なにも事は動いていなかった。
だけど、あの、きれいな白い肌に、赤い髪に、光る耳たぶのピアスに、触れたいと思わなかった、といえば、嘘になる。ゆっくりと持ち上がるまぶたに、隆起する手首の筋に、不意にくいっと上がるくちびるのはしに。彼のきれいなところにばかり、わたしは幾度、触れたくてたまらなくなっただろう。数え始めたらキリがない。けがらわしいほどに。

昔から、ほんの少しずつだった。だけど自覚したことはなかった。だって認めたくはなかったから。わたしが、幼いころから知っているあの空却のことを、ひとりの男の人と意識しているなんて、とてつもなく恥ずかしい話だ。神様のようだと、弟のようだと、そう思ったことは何度となくあった。だけど、わたしが空却に恋してるだなんて、そんな話、あるわけがない。彼に愛されているはずがないのと同じくらい、ありえない。だけど、やっぱりわたしは、彼を、


「おい、みょうじ、大丈夫かよ」

二軒目から出たあたり、足元も危うく、手元からバッグをずり落とすわたしを見て上司が近づいてきた。

「すっかり出来あがってますね…心配ですし、おれ、送りましょうか?」

おなじく食事会に参加していた後輩もひょこひょこと寄ってきて、わたしの手を支えてくれる。彼らの背中のうしろでは、酒豪たちが三軒目の目星をつけているようだ。

「大丈夫です、多分帰れます…おふたりは、三軒目どうぞ」

「多分って…やっぱおれ送りますよ」

支えてくれている後輩の手は、お酒のせいもあってほかほかと温かい。つい、このあいだの帰り道、遠慮がちにからませた、空却の冷たい指先を思い出してしまう。

「いや、本当に大丈夫」

空却に会いたい。と猛烈に渇望してしまって、ああわたし相当酔ってるな、と実感する。あまりにも欲求が真っすぐだ。いつも、素面の時でもこのくらい素直だったなら、自分も、周りも、なにもかもわかりやすいのに。もっと簡単に、あっさりと、すべてがすんなり進むはずなのに。行く先が、幸でも不幸でも。

「なぁ、おまえ、家に誰か遊びに来てるとか言ってたよな?」

頭の中を見透かされたようで思わず身体が震える。

「…あ、ハイ」

「その人に念のため電話しろ。帰ってひとがいるんなら、ついていかなくてもいいよな。タクシーには乗せるから。」

「ほれ、早く」急かされて、わたしがもだもだしていると上司が追い打ちをかけるように「おれがかけてやろうか」と言ってくる。泥酔して空却に迷惑をかけるのは死ぬほど嫌だけど、保護者よろしく上司に電話をかけられるなんて死ぬよりも嫌だ。
わたしは仕方なくスマホを取り出す。
空却の番号を、押す手が震えてしまう。

呼び出し音はすぐに止まる。


『おいてめェ』

口を開こうとしたら、あまりにも前のめりな声が鼓膜を揺らす。

「あ、空却、あの」

『…遅ェ』

『拙僧は待つのが嫌いなんだって、何回言やァわかんだお前は』叱るように諭すように紡がれる言葉に、耳の奥がびりびりする。

「ごめん…」

『ん。で、いつ帰る』

「今から帰ります」

『タクシーか?』

「そう」

『わかった。あと何分』

「あと、何分だろ…」

えーっと、少し離れてしまったけどここはまだ駅前だから…タクシーだと…頭がうまく回らなくて上司をちらりと見ると、時計を見ながら「だいたい20分ありゃ着くだろ」と小声で教えてくれた。

「20分くらいで、着く」

『……ふうん』

釈然としないような、ここまでで一番怒気をはらんだ声で返事がかえってくる。思わず肩を縮ませていると『はよ帰ってこい』と優しい声が身体に流れ込むように聞こえてくる。全身がゆるんで、心の底からほっとする声。わたしのとても好きな声。

ぷつ、と通話が切れた音を聞いて、やっと一息ついた。
とりあえず、嫌われずに済んだ。


(21.06.23)



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