三度目のランデヴー | ナノ


17.


肩透かしを食らってくらくらするほど、空却はいつも通りだった。

きっかり定時で仕事から帰ると、もやもやした気持ちを抱えたわたしとは裏腹に空却は「おー、帰ェったか」と秋晴れのごとく朗らかだった。もちろん、グロスなんてもうとっくについていない綺麗なくちびるは、いつも通り他人行儀に結ばれていた。
心がざわついてしょうがないので、晩ごはんは適当にうどんでも煮ようと思っていた。それだけではなんなので、手羽先をついでに焼いてあげたら「うめェんだよなァ、これ」とわかりやすく喜んでた。
ほんとに、いつも通り。むしろ、朝のことになんて触れてくれるなと言っているかのように。そんなつもりはないのかもしれない。だけど、少なくともわたしにはそう見えたのだ。とても、蒸し返せるような空気じゃなかった。


だから寝て起きても、びっくりするほどいつも通り。金曜日の朝。
おいしい朝ごはんをもくもくと食べて、感謝しつつ、身支度を整える。今日は寝坊もしていないので、のんびりと支度する。出掛ける時、いつものように「いってきます」と伝えて、ほんの少し身構えるけれど、リビングから「おー。気ィつけろよー」と声が返ってくるだけで何事もない。あまりに、なにもない。というかわたしは何を期待してるのか。なにもなくて結構じゃないか。だって、心臓に悪いもの。


・・・


はぁ、とため息を繰り返す。
身体中にわだかまっている空気を吐き出すように、深いため息。週末特有のせわしなさが、オフィスをざわつかせている。明日から土日だから、みんな仕事に追われているのだ。


「みょうじ、ちょっといいか」

上司に声をかけられる。

「なんですかー」

「今夜、予定ない?」

「予定…まあ約束はないですが…」

「よかった!悪いんだけどさぁ、今夜のZ社との食事会、お前もでてくれッ」

Z社は上司とわたしと他数名が担当している得意先で、近く共同で新規事業を始めることになっていた。

「今日の食事会、同期がでるんじゃなかったでしたっけ?」

「アイツ今日体調崩して休んでるんだよ…お前が酒の席そんな好きじゃないのはわかってんだけど、出てくれないかなあ?」

ぐいっと詰め寄られて、思わず首を縦に振る。彼は営業ではないわたしに気を遣って食事会や懇親会への出席予定をなるべく少なくしてくれているし、今回はどうしても数を合わせて出席すべき食事会なのだろう。ここまで頼まれたらもちろん出るしかない。どうせ二、三時間のことだろうし、お酒が特段弱いわけでもないので、営業ではないとはいえ付き合いも普通にはできる。

「マジで助かる!じゃあ、すまんが19時から駅前の店だから、18時半にはコッチ出よう!」

わたしは「わかりました」とうなずきながら、空却のことを考えた。
あまり意識しないようにはしていたけれど、あと、数日。あと数日しかいっしょにはいられないんだ。当たり前のようにいっしょに暮していたから気にしないようにできていたけど、過ごせる時間が突然減ってしまうとなると、急に勿体ない気がしてしまう。
とはいえ、そんなこと言っててもしょうがない。空却が十日で帰ることなんて、最初から分かってたことだもの。わたしはもういい大人だし、なんたって社会人なんだもの。スマホを取り出してチャット画面を開く。「急に得意先との飲み会の予定が入っちゃったから、今日はすこし帰りが遅くなります」なるべく感情を乗せないで連絡を入れる。

はあ。ついさっきとは違う気持ちをこめた深いため息を吐く。
空却と居られる時間を、できるだけ大事にしたいと思うのは当然だ。
これが、最後かもしれないから。空却とふたり、子どもみたいなモラトリアム。彼と、昔から馴染んでいる親密な関係でいられるのはこれが最後かもしれない。これが最後の、ランデヴ―かもしれない。

わたし、本当は、本音を言えば、
一秒だって逃したくない。

だけど、そんなこと言ったら彼のまっすぐな道を邪魔してしまうから、きっと、絶対に言えないんだろうな。これも、じょうずに甘えられない、いつものわたしの悪い癖?ううん、これはわたしからの、大人の気遣い。

ぐるぐると相反した感情を持て余しながら、わたしはどんどん混乱していく。自分がどうしたいのか、彼がどうしたいのか、なにひとつ確証もないまま、時間だけが進んでいく。状況だけが整っていく。
PCのキーを打つ手元をちらりとも見ずに淡々と動かしながら、わたしは人生最大級の、混沌の中にいた。


(21.06.12)




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