三度目のランデヴー | ナノ


昨日の唐揚げはよくできた。

無事定時であがれたからお肉への味のしみこみ具合もちょうどよかったし、観音坂さんにも伝えた小麦粉、片栗粉、パン粉を混ぜた衣はやっぱり失敗しにくくて助かった。空却も言葉少なにわしわし食べ進めてくれて、山盛り作ったはずの唐揚げを二人でぺろりと食べきってしまった。

食後、いっしょに後片づけをしていたら空却が「でらうまかった…」と、小さな声で噛みしめるみたいに、ぽつりと呟いたものだから、わたしはあんまりにもうれしくて隠れてガッツポーズした。

たぶん、バレてない。


・・・


本日、火曜日。
朝、9時ちょっと前。
昨晩の微笑ましいようすを思い出しながら、あつあつの白米を頬張っていると、

「今夜、ちょっくら出てくる」

と空却が言った。

「ん?」

「外で野暮用があンだよ、だから晩飯も食わねェ」

「帰りは…何時になるかわかんねーけど、まァ、あんま遅くならねーようにするわ。」空却はなんでもないようにわたしに伝える。

そうか、用事か。そりゃあ用事くらいあるよね。こっちになにか用があるのか聞いた時、なにも言っていなかったから、すっかり……勝手な思い込みがあまりにも的を得ていなかったとわかり、突然ひゅっと心細い気持ちになった。
本当は考え事をしたいだなんて建前で、用事のためにここに留まってるんじゃないか。だとしたらもしかしたら……なんて確認しようもない不安がうずまいて、ぐるぐると動きだしそうな脳みそを無理やりストップさせる。
なるべく、いつも通りの顔をつくって、頷く。


「そっか、わかった」

「ん。…あー、もし先寝んなら、鍵、ちゃんと閉めて寝ろよ」

鍵は使っていない予備のスペアがあったから、ひとつ、すでに空却に渡してあった。なので戸締りをして先にベッドに入ってしまっても問題はない。起きている必要はない。
夜、遅くまでいないんだ。
それじゃあ、今夜はひさびさに一人でご飯だ。つい数日前まで当たり前だったことが、とても難しいことのように思えてきて不思議だった。


・・・


仕事はいつも通りだった。
特にトラブルもなく、バタバタしていたわけでもなく。ごくいつも通りに忙しい。

「うーーーん」

だけど、どうもやる気が出ない。気分転換に缶ジュースを買って飲んでみても、ミントタブレットをがりがり噛んでみても、一向にコードが書けない。疲れた。全身が重い。もうなんにもやりたくない。こういう日は、諦めるしかない。
仕方ないので、あまり頭を使わない仕事…メールの返信だとか、予備のコピーを印刷したり、エクセルで簡単な表の作成を進めたり、そういう手先だけを使う仕事を進めていく。納期はまだ先だし、ここで焦らなくても何とかなる、はず。かといってまったく覇気がないので、最低限の仕事量すら終えられていないまま、もう夕方だ。日は傾いて、カラスはカーカー鳴いている。しょうがないので、残業することにした。
形だけの残業申請書を書いて出して、PCに向き直る。今夜、何食べよう。何も食べたくないな。気力がわかない。しかたなく、キーを打ち込んでいく。仕事したくないけど、別に家にも帰りたくない。


・・・


結局だらだらと残業して、家についたらもう21時を回っていた。

重たい気持ちで辿り着いた玄関には、もう見慣れてしまったあの黒いスニーカーは見当たらない。もちろん部屋の中は真っ暗で、わかりやすくがっかりしてしまう。本来これが普通なはずなのに、変なの。
お腹もあんまり空いていないけど、何も食べないのも身体に悪いし、適当に茹でたパスタに余っていたトマトソースを和えて、むしゃむしゃ食べる。なんだかいつもより味気がなくて、パルメザンチーズをたくさんかけた。
ついでにPCをひらいて、ウォッチリストに入れておいた中からなんとなく選んだ映画を流す。オープニングのタイトルロールで、やっとちょっとだけ気分が上がった。

あ、そうだ。
金曜日に買ったお酒、結局飲んでなかったんだった。

冷蔵庫からチューハイを一本取りだして、プルタブを開ける。グラスに移すのも面倒なので、そのまま口を付ける。
映画のヒロインの動きに合わせてほんのちょっとだけ身体を動かして、そのまま椅子にだらりと座った。


映画のストーリーもだいぶ展開してきたのに、まったく頭に入ってこない。前観たときはたしかこのへんで号泣したんだけどな。
チューハイを傾けながら、映像の中の恋人同士のやりとりをやけに冷えた頭で眺める。おつまみがほしくなって、冷蔵庫からチーズを取り出し、無心で食べる。さすがにスナック菓子をむさぼるよりは健康にも美容にもいいだろうという、意味のない悪あがき。


・・・


ちょうど物語が佳境に差し掛かった時、チューハイが空になってしまって、仕方なく立ち上がる。

キッチンでお水を飲んで、それでもまだ物足りなくて、ちょっと悩んでから、二本目に手を伸ばす。平日なのに飲みすぎかな、と思ったけど、アルコールに弱い方ではないなのでこのくらいは問題ない。心がどうもフワフワしてしまって、ままならない。時計はまだ、22時半。時間はなかなか過ぎてゆかない。とりあえず飲んで、楽になりたい。気を紛らわしたい。そんな不純な理由でプルタブに手をかける。


空却、あんまり遅くならないって言ってたのにな。
なんてどうしようもないことを考えながら映画を一時停止して、あえて見ないようにしていたスマホを開いた。空却から連絡は、なし。そりゃそうだ。
何度かスマホを閉じたり開いたり繰り返して、我慢できなくなってしまって、空却とのチャット履歴を掘り起こす。
最後に連絡したのは、だいぶ前。ナゴヤから出て、半年くらい経ったころ。しかも本当に他愛のない、というか味気のない連絡。まったくもって色気もなければ親しみも感じない文面。はあ、とため息をついてスクロールしていく。過去の会話を漁っていると、どんどん恥ずかしくなってくる。


たしかに子どもの頃は仲が良かったけど、いつの間にかどこかよそよそしくなって、最近はずいぶんと他人行儀だった。それが、ここ数日でだいぶ仲良くなれたと思う。うれしい。素直に、うれしい。
空却は知らない間に、大きくなって、かっこよくなって、見た目はさらにやんちゃになった。性格も本質も子どものころから何にも変わっていないだなんて、そんなことはわかりきっていたけれど、どんどん成長していくものだから、なんだかわたしの知ってる空却じゃないみたいで、ずっとすこしだけ怖かった。極めつけにあの時期。いきなり空却がナゴヤを飛び出してしまって、しばらく帰ってこなかった。もちろん連絡もなし。やっと戻ってきた空却は、すっかり大人になっていて、ほんとに知らない人みたいだったんだから。
本音を言うと、すごく焦った。置いていかれる予感がした。あ、ヤバい、わたしもちゃんとしなきゃ、大人らしくしなきゃって、心底慌てた。わたしと空却のあいだに開いた差を、まざまざと見せつけられるようで。
それもあって、わたしは東都で一人暮らしすることを決めたのだ。一人きりでも、ちゃんと、大人の女性として生きていけるように。

でも、こうして過ごしてみると心からわかる。言葉を交わして、表情や所作を見て、やっとわかる。やっぱり、空却は空却のままだった。ずーっと、ずーっと、わたしの知ってる空却はひとりきり。時が経っても、わたしにとっての空却は変わらずにずっと、神さまみたいに確実だ。


ソファに寝転がって、半分ほど中身の減った缶を傾ける。多分おいしいけど、味、よくわかんなくなってきた。ごくりと飲み干した炭酸が、喉に気持ちいい。目の前がかすかに滲んでいる。
空却は今頃、なにしてるんだろう。どこかで誰かとごはんを食べたんだろうか。ため息を吐く。今ここにいない人のことを考えて、きゅ、と胸が痛くなった。

わたしは意を決して起き上がる。
スマホを握りしめる。


『空却。明日の夜、一緒にごはん食べに行けたりする?』

味気ないチャット履歴のいちばん最後に、いきおいでそれだけ送って、画面を暗くした。ちょっと回りくどいかもしれないけど、わたしのなかでは歴史上一番、もう最大限、甘えたつもりだ。これは空却にしかできないこと。他の誰でもなく空却に、してほしいこと。

スマホを裏向きにして、もう一度映画を再生しようとしたら、 すぐにバイブが鳴る。
ポップアップに表示された名前を見て、少しだけ戸惑ってから、通話の応答ボタンを押す。


『よォ』

「…空却、どしたの」

『明日、行ってやる』

「え」

『飯、食いに行くんだろーが。……つーか、もうすぐ家着くわ』

『起きてんなら待っとれ』それだけ早口で告げられて、もたもたしていたら、ぷつりと一方的に電話が切れる。思わずハッと飛び起きる。

明日、行ってくれるんだ!
っていうか、もう帰ってくるんだ!
じんじんと、耳の奥に空却の声が焼き付いている。待ち望んでいたはずなのに、いざ帰ってくるのだと思うと、やけに緊張してくるのはなぜだろう。いそいでキッチンに向かって水を飲む。ごくごく飲み干したら、身体の中のアルコールが飛んでいった気がした。

空却が、かえってくる。

うちに、もうすぐかえってくる。

噛みしめているうちに頬がゆるんでくる。
もしかしたらわたし、今ものすごく、うれしいかもしれない。


(21.05.15)



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -