三度目のランデヴー | ナノ


9.


サンデーモーニング、それはレイジーモーニング。
いつもなら昼頃まで眠っているのだけど、今日も物音で目が覚める。さっさと寝てしまう空却に合わせて、昨夜もずいぶん早く眠った。ぐだぐだと夜更かししてしまう普段の土曜のそれよりずっと眠りが深かったようで、寝ざめもすっきりしていた。

昨日はデコピン事件以降、特に変わったことはなかった。
お昼のパンを食べ終わったらまた、おのおの静かに時間を過ごして、夜はありものでカレーをつくって、食べて、じゅんばんでお風呂に入って、眠った。いただきますとごちそうさまはきちんと言い合ったし、灼空さんや獄さんは元気にしているのかとか、唐揚げをつくるのはいつにしようかとか、そういう他愛もない話をしながらご飯を食べるのは、本質的ではないけれどやっぱりとっても楽しかった。
なんとなくドギマギしていたわたしの心も、あのデコピンが効いたのか多少穏やかになってきて、初日よりも空却とたくさん話ができるようになった気がする。空却も空却で、たまにぼうっと物思いに耽っていることをのぞけば、少しずつ元気を取り戻しているように見える。まだまだ、ナゴヤでみんなとやりあっているときの空却のテンションに比べたら、月と鼈といった感じだけど、たまに思い出したようにふわりと笑ってくれるのがこれ以上なくうれしくて、わたしの心はまた順調に凪いでいくのである。
しかし依然、わたしに考え事についての詳細を話す気はないらしく、「なにかできることある?」と探るように聞いても「なにひとつねェ」「いいからお前は普通にしてろ」と一喝されてしまうので、やはりそれ以上触れないようにしている。


ここで少し、思い出話をしよう。
過去にも、空却がわたしのところへ逃げてきて、なかなか帰らないことがあった。
くわしく思い返してみたらそれは2回きりで、空却が8歳のときと13歳のときだったと思う。
いつもなら半日ほどで機嫌を直してすぐに元に戻ってしまう空却が、そのときは何時間たってもじっと押し黙って、お寺へ帰ろうとしなかった。わたしの部屋に居座って、夕飯までいっしょに食べて、しびれをきらした灼空さんが迎えに来ても出ていかず、結局うちのお母さんが「空却くんだって、たまには帰りたくない日もあるわよねえ」なんてお客さん用の布団を敷くものだから、灼空さんも申し訳なさそうな顔でお寺に帰って行ったのだ。
たしか、そのときもわたしに事情を話してくれないままで、数日間、うちにいた。
ちょうど長期休みの最中だったので、わたしたちは空調の効いた部屋でふたり、漫画を読んだり、つめたいジュースをのんだり、じっと窓の外を眺めたりして過ごした。わたしは元々どちらかというとインドアな方だったし、空却となら沈黙も気にならなかったから、ずいぶん居心地がよかったのを覚えている。うちのお母さんも「空却くんがいるから」と言っていつもなら買わないようなちょっといいお菓子や、果物やジュースやケーキをつぎつぎ出してくれた。彼女はおやつとごはんのとき以外はこちらにはあまり干渉せず、だらだらと居座るふたりの子どもを放っておいてくれた。
ふたりだけでいる小さな子ども部屋は、静かで、穏やかで、おいしいものがたくさんあって、すべてが満たされているような気さえした。まるで天上の楽園のような、死後の世界のような、不思議な空間だった。空却がうちにいる間中、わたしはこの世の終わりみたいに幸せな時間を過ごしたのだ。

そして、13歳のあの数日間を最後に、空却がわたしを頼ることはなくなった。何度思い出そうとしてもやっぱりあれ以来は、たとえ数十分さえ、逃げてくることはなかったように思う。とにかく、空却が14歳の時、例の荒行に成功してからは確実に一度も、わたしのところへ逃げこむように転がり込んでくることはなくなった。


・・・


眠い目をこすりながらリビングに行くと、昨日にならって、空却がおいしそうな朝食を用意してくれていた。やっぱり”一宿一飯の恩”らしい。気を遣わなくていいのに、と言ったけれど、空却の気持ちの問題だそうだ。そういうものなのかなあ。


「そういや、平日は何時に出掛けんだよ」

昨日とおんなじ、ちょっとだけ濃い目のお味噌汁のおだしにうっとりしていると、空却が問うてくる。はっと我に返って、見つめ返す。
ちょうど空却のお箸は浅漬けをつかんでいるところで、無骨なくせにまったく無駄のないその所作があんまりにも美しくて、つい見惚れてしまう。空却はお箸を使うのがとっても上手い。持ち方ももちろん綺麗だし、なんというか、柄に似合わず箸先をとても繊細に扱うのだ。それを見るたびわたしは自分の箸の持ち方が気になってしまって、そわそわする。

「おい、聞こえてんのか?なまえ」

「あっ、時間ね、出社時間は10時」

「ふーん。なら、メシ、何時に用意すればいい」

「明日からもつくってくれるの?」

「たりめーだろ、世話んなってる間は朝飯くらいつくる」

「別に迷惑ってワケじゃねぇだろうが」じろり、と睨むように鋭く見つめられて、つい縦に首を振ってしまう。もちろん迷惑なんかじゃないんだけど、いつも平日の朝なんてテキトーに珈琲とビスケットをつまんですぐに出掛けてしまうだけだから、そんなに気を遣わなくても、というか。というか。
(こんな、あったかくておいしいご飯を朝から何日も食べさせられたら、空却がナゴヤに帰ってしまった後、わたし、ものすごくさみしくなっちゃうんじゃない?)
そんな気持ちがふいに湧いて、とたんに胸が苦しくなってしまう。
押し流すように水をがぶがぶのむ。


「…8時半に、おねがいします」

「8時半な、りょーかい」

ほんのりと笑った空却の頬が満足げに緩む。つい見入ってしまい、それに気づいた空却にふいっと目を逸らされる。
しまった、と思ってあわてて口にほうりこんだ鮭の切り身は、冷凍していたはずなのにふっくらとやわらかく焼けていて、わたしが焼くよりもずっと上手だな、と感心した。
とってもおいしい。
ごはんにすごく合う。

「おいしいなあ…」

おもわず口から心の声が飛び出てしまってびっくりしていたら、ハッ、と空却は吹き出すように笑う。

「おめーは、メシ食ってるときゃぁ素直なんだよなァ」

だなんて言うものだから、今度はわたしも同じように声を出して笑った。ふたりで顔を見合わせてくすくすと笑っていると、会わなかった時間が嘘のようで、空却にまた近づけた気がしてうれしくて、なんだかぜんぜん笑いが止まらなくなってしまった。

「たいしたもんじゃねェけど、つくり甲斐あるわ」

そんなこと言うけどね、空却こそ、おいしそうに食べてる顔、最高なんだから。
今度、絶対に言ってやろう。

ふと、何年も前の、あの穏やかな子ども部屋の風景を思い出す。
ああ、今この部屋の空気もあの時のそれと似ているな、と胸の奥がじんわり熱くなる。

わたしたちはきっと、あの天国のような時間を今一度、過ごそうとしている。
もう子どもではないから、あの頃のようにすんなりとはいかないかもしれないけれど、これはボーナスステージなのだ。わたしたちがこれから順調に大人になっていくための、ボーナスステージ。やさしくて甘くてどうしたってものすごく切ない、ふたりだけのモラトリアム。
きっと、そうだ。


(21.05.09)



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