あなたは愛の獣 | ナノ


ミスラは”奇妙な傷”のせいでうまく眠れていないらしい。わたしは彼のため、彼の部屋にときたま、寝物語をしにいった。もちろん、彼の手を握って眠らせるために。

「ねえ、ミスラは昔、”渡し守”をしていたのよね」

「はあ、そうですが。」

「おれが舟で渡していたのは死体ばかりでしたよ、あの世とこの世の、渡し守ですから。」彼は目を閉じて、なにかを思い出すようにそう言った。当初に比べればだいぶ、話をしてくれるようになった。こうして寝る前に少しずつ会話をかさねていた成果もあって、彼はわたしに自分のことを気まぐれに話してくれる。
わたしはそれが単純にうれしかった。彼の過去、記憶、思い出、奥深くにしまわれていたそれらが、彼の体内をとびだしていることが。そして、少しでもわけてもらえることが。 この耳で聞いて、おぼえておくことができることが。
自己満足かもしれないけれど、彼をすこしでも、孤独から遠ざけておくことができる気がしたから。

「うん、それで?もっと聞かせて」

わたしは懇願するように、祈るように、彼に言った。

「…あなたって、おかしな人ですね。」

彼は不思議そうに「こんな話が、おもしろいんですか?」と聞く。わたしはうなずいて「すごくうれしい、だからもっと話してほしい」と返した。

「せかさないでください、毎晩でも、こうして聞きに来たっていいんですから」

やけにあまやかな声色で、彼は言った。最近になって初めて聞かせてもらえるようになった、ふわふわとしたやさしい口調だ。まるで子供をあやすみたいな。
わたしは”賢者”として魔法使いたちの”奇妙な傷”に向き合っている。誰の傷であれ、できるだけフォローしようと努めているし、対策も、対応もなるべくしっかりとやってあげたい。だけどミスラのは、特にこうして時間を一緒にすごす必要があるから、へんなことになっているな、と我ながら思う。しらないうちに親密になっていて、まるで友人のようだし、なんというか、同じねぐらの動物のようだとも思う。ミスラの性質に動物っぽさ、野性味があるせいか、こうして二人で何時間もすごしているせいか、なんとなく体質が似てきている。においが移ってきている、というか。とにかく、しみじみと、不思議な関係だなと思う。

「明日も明後日も、おれはどうせ寝られないので」

ミスラはそう投げやりにつぶやくと、気を紛らわすようにわたしの頭を優しくなでた。
性のにおいはもちろんしない。まるで子供をあやすみたいな触れ方。でも確実に、そこに慈愛が含まれている。わたしは思わずハッとする。

ミスラは、愛がよく似合う。
最近になって向けられるようになった優しい言葉の端々に、こうして困ったように触れられるその指先に、愛がひっそりと流れ込んでいる。このひとは、ミスラは、きっと今まで誰かに愛されてきたし、誰かを愛してきたのだろう。

わたしはふいに思い出す。
彼の師匠である、南の兄弟の母親である女性のことを。

きっと彼はひどく愛されたのだ。彼女に。そしてもしかしたら別の人にさえも。
そしてそんな人々に、彼自身もしっかりと愛を返していたのだと思う。心から。
それが恋にしろ、そうじゃなかったにしろ、誰かと強く想いあっていた。愛を通わせた経験のあるひとにしか、できないやさしさを彼は持っている。知っている。

思わずぐっと感極まってしまって、目の前がじんわりと滲む。

「どうしたんです、鼓動が早くなっていますが」

「あなたがリラックスしてくれないと、こちらも眠れないんですよ」ミスラは面倒くさそうにつぶやいて、わたしの頬を少しだけつねった。

愛する準備も、愛される準備もきちんとできているのに、彼の大事な人はもうこの世界にはいない。わたしは自分勝手に悲しくなって、切なくなって、ひたすら彼の幸せを願う。

「ミスラ、」

わたしが彼の名前を丁寧に呼ぶと、ミスラはわたしの瞳を覗き込んで、

「なぜ泣いてるんです?泣かされてるんですか?殺しましょうか?」

「違うのよ、ミスラが優しくて、」

「あんまり優しすぎて、泣いちゃった」わたしがそう言って彼の手をぎゅっと握りこむと、ミスラは一瞬ぴしりと止まってから、困ったように笑った。

「そんなつもりありませんでしたが。」


「もしもおれが優しくしたら、あなたはなにか困りますか?」わたしがふるふると首を横に振ると「それはよかった。なら、好きにさせてもらいます。」と言った。

彼の表情を盗み見ると、なぜだか満足そうにくつろいでいる。ほんのすこし、笑っているように見える。ほんのすこしだけ。
彼の微笑みには、彼を愛したすばらしい人々の気持ちがぎゅっと詰まっている。そして、彼が愛したひとの加護がふわふわと取り巻いている。あなたがそんなふうに笑うなら、わたしはなんだってできる。そんな気になる。

この優しくてかわいい人が、次にひとを愛する日は、一体いつになるのだろう。その時までどうか、なるべく健やかに。そして相応しい愛を見つけたら、そのすべてを叶えてほしいと思う。あなたの愛を、すべて叶えて、幸せになってほしいと思う。
心から、そう思う。

また、熱い気持ちに胸が満たされて、思わず、彼の指に自分のそれをからませる。ゆるりとつないで、そっと指先にキスをする。ばれないくらい、ひそやかに。


「いつかのあなたが、きっと幸せでありますように」


(21.01.29)



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