ブルームーンを飲んでいる。
昔のことを子細に思い出していたら、いよいよつらくなってしまった。
わたしは先日ムルに「今度からジンを頼んだら?」と言われたことなんかすっかり忘れてしまって、飽きずに菫色のカクテルを飲む。今日もひとりで自傷にいそしむ。何度も何度も自分を傷つけることで、あの男の影をできるだけ濃くとどめておくために。
だから、ほかのお酒なんか、飲んだってなんの意味もない。
わたしはあの男を追いかけるのが好きだった。あなたがいなくちゃ、厄災を愛す意味がない。厄災について研究する意味も、観察する意味も、戦う意味だって、ありはしない。あなたがいないのなら。わたしは。
魔力が、日に日に弱くなっているのを感じる。
わたしのあの男への愛が侵されるたび、涙を流すたびにゆるゆると、薄まって、滲んで、魔力がふっと消えかける。おそろしい。だから今日もまたあの男を思い出して、心の中でなんども「愛している」と告げるのだ。もうここにいない人に、愛を向けるために、何度も思い返す。克明に、鮮明に、激しく。
「なまえ、すこしの間カウンターを離れますよ。…大丈夫ですか?」
シャイロックが、うつむいているわたしに声をかけてくれる。
顔をあげて目を合わせると、本気で心配してくれているのがよくわかる。
「だいじょうぶ、ありがとう」
「今日は一段と元気がないですね。それに魔力も、」
「うん、だいじょうぶ、きっと乗り越えらえるから」
「ふふ、無理やり言い聞かせてるみたい。…でも、私もそう思いますよ。あなたなら、きっと大丈夫。」
「それにしても今のムルがすこし可哀そうです。あの男よりもずっと、素直でかわいいところもあるのだから、たまにはきちんと見てあげて」シャイロックは諭すようにわたしにそう言った。
そう、わかってる。”今の”ムルはなんにも悪くない。もし仮に誰が悪いというふうに言う必要があるのなら、ただあの時のあの男だけが悪い。わたしも、今のムルも、なんにも悪くない。もちろんわかってる、でも、
「まったく。ムルは昔から、言わずもがな厄介な男でしたが、あなたもいい勝負ですね。なまえ」
「…どういうこと?」
「そのままの意味です、言うなればお似合いってことですよ」
「では失礼、15分ほどで戻りますからね」シャイロックは意味深な笑みをわたしに向けて、そのままカウンターを出ていった。
シャイロックこそ、あの男に負けず劣らず意地が悪いわ。
(21.02.11)