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(※作者はこのお話についても何か特定の主義・主張は潜めておりません。散文でありフィクションとしてお楽しみください。)


「ねぇ」

少し前を歩く臨也のコートの、腕の部分をつまんで声をかける。

西日がまぶしい。
冬の西日は、しろくてまぶしい。

「…ああ、そうだね。このへんは最近またホームレスが増えた」

わたしは小さく声をかけただけで、まだなんにも言ってないのに、臨也はなんでもないふうに、さも当たり前のように続ける。
テレパシーでも、使ったみたいに。

「西口駅前、もう少し明るかったんだけどね。今じゃ彼ら、高架下や大通りからは追い出されてるらしいし、最低限の生活にも足らないんだろうね。今日は晴れてて久々に暖かいから、みんなロータリーに出てきてるみたいだ。道の両脇に並んで彼らなりの"労働"に勤しんでる」

「まるで光源に群がる甲虫だよね」臨也はそう笑うけど、わたしは怖くなってしまって、その細い腕にキュッと寄り添った。柄にもなく。とても怖くなってしまって。

座り込んでおのおの、カップや、茶碗や、鍋など面前に差し出して恵みを乞う、西新宿のホームレスたち。その表情はいつにも増して悲壮に見えた。なんだか、本当に、ゾンビのようで、すでに死んでいるんじゃないかと思うほど。これからくる冬を、いつにも増して恐れているような。

彼らの、あのホームレスの一部は、少し前までは、まだなんとなく能天気で、愉しげに暮らしているように見えていたのに。慈悲なんて、あえて受け取らないような、そんな人たちも多かったのに。今はみんながみんな、険しい顔つきで、佇んでいる。おもたい悲壮感。疲労感。その奥にひそむ、激しい生命力。

考え込んでしまって黙っていると、めずらしいこともあるもので、臨也はらしくない慈愛を含んだ目でわたしを見て、優しく、掴んだ手の甲を撫でてくれた。

「この国で国際行事をやるって話だったでしょ、その関連の立退のせいで彼らもこの街も少しずつシリアスな空気になってたわけだけど、そこに輪をかけてこの世界的災難だ。きっとこれから少しの間、どんどん世界全体の羽振りは悪く、どんどん不景気になっていく。その余波を真っ先に受けるのはこの街だろうし、さらにいうと、まず一番は彼らなんだろうね」

「驚くことじゃないよ。これはある種、現状の投影、縮図なんだから」臨也はすいすいと、人混みをかき分けていく。そうだ、こわくても受け入れなくちゃいけない。ショックをうけている場合ではない。わかっているけど臨也のように、上手にはできない。わたしは悩んで苦しんで、こわくなって、それでやっと理解できる。

「君もわかってるだろうけど資本主義社会が続く限り、ホームレスっていうのは決してゼロにはならないよ。不本意にそうなってしまう人だってそりゃいるんだけど、自ら望んで経済の輪から逸脱していく人も多数いるからね。つまり、反資本主義的スタンスってことだ。立場の表明としてのホームレスだね。」

そうね、そうかも。それはわかってる。わかってるんだけど。それでも、今、ここにいるホームレスの彼らの眉間による皺は、世界に最近できてしまった大きな波と、似すぎている。苦しみの、悲しみの波。そして困窮していくリアルの亀裂。
激しい苦痛。世界全体の、苦痛。

「だからこそ、彼らは、経済からいちぬけしてエスケープしたものは、まっさきに経済からの苦しめを受けるんだよ。そのシステム自体が"良い"ことかどうかは俺にもわからないけどね。まあその根本について今ここで、俺たちが真剣に議論したってすぐにどうなるわけでもない、だからこの場合は単純に仕方がないこと、当然の結果だと捉えるべきだ。」

すいすいと、人混みをかき分けていく。
新宿の人出も減ったけど、まだまだ雑踏は消えない。雑踏は、経済の混雑と相似だ。まだ、大丈夫。わたしは自分にそう言い聞かせる。
臨也はそんなわたしの顔をチラリと盗み見て、苦虫を潰したような表情をつくる。そしてすぐに「やれやれ」と言いながらため息をついた。

「君は無力なくせにナイーブで困るな」

「悪かったわね、人の心のない臨也よりマシ」

「そう?無力な正義ほどつまらないものはないでしょ」

「正義がなければ力はないわ」

「ハハッ、また机上の空論?ホントに口が立つよねぇ」

「机上の空論じゃなくて空しい理想論よ」

「どっちだって同じじゃないか」

「同じじゃないことくらい、わかってるくせに」

そこまでやりとりしたところで、やっと人混みから抜け出し、わたしたちは大久保へつながる裏路地に出る。線路がむき出しになっていて、音がうるさい。近くにいるはずなのに声が少し遠くなる。
臨也は機嫌良く笑っている。いつのまにか、掴んでいた手はほどかれて、代わりに指先がゆるく繋がれていた。
その指先をふわりと離した臨也は、一段高くなったコンクリート塀にスキップするように登る。
電車がザーッと轟音でそばを通り抜けて、やっと静寂が、あたりを包む。

「まあ、みてなよ」

「君は、よそ見せず俺がすることだけを見て、そしてこの世界のことを少しずつ学んでいればいいんだから」臨也は両手をひらひらさせてから、伸びをした。そのあとひどく眩しそうに、額に手を当てて、こちらを向いた。

西日はまぶしい。
冬の西日は、しろくてまぶしい。


西暦2020年。
この世の地獄においても、
わたしの天使は血塗れで笑っていた。


行き場のない想いと
無力な正義と
未来への希望は少しずつ持っておくから
明日はあなたの手のなかで見せて。

西暦2020年の天使

(20.11.19)




・・・

2020年のわれわれの墓標。
悲嘆であり祈りであり未来へのメモ。

臨也くん、しなやかさと賢さと強かさでするっと手を取って走って。
どんな惨状でも乗りこなせるあなたでいて。
歪んだこともすべてモノにして微笑んで。



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