「わたしが死んだ、そのときは、お葬式などあげないでください。かならずかならず、あげないでください。」
彼女は常からそういっていた。おれはそのたび気にもとめていなかったのだけれど、ある日ふつりとその訳を、彼女に聞いてみたことがあった。「どうして、葬式をあげたくないんでい?」するとふたつの瞬きのあと、
「わたしの神はあなた一人だから、何かにのっとったお葬式などは、わたし、あげて欲しくないのよ」
と、彼女は沈黙を含ませながら言い切って、窓の外をみた。まだ淡い、やわい色の空が広がっている。はっきりしない空模様だと思った。俺は「なにを馬鹿なことを」と言いかけてやめた。きっとたしかに、俺がそうしむけたんだと思い出した。悪魔になってまで彼女が欲しいと、そう考えていたんだと思い出した。
「そうちゃんは、死後の世界をしんじてる?」
「どうだろうねい。あってもなくても、なんにも変わらねえなあ」
「たしかに、今のわたしたちには、関係のないことだものね」
彼女はいつからかこうして、遠くをみながら笑うようになって、いつからかこうして、俺のそばを離れなくなった。たしかに俺がそうし向けたはずだったけど、いつからこうも、すんなりと従順になったかは、覚えていない。俺はたしかに満足だが、本質がとてつもないほどに欲張りだから、果たされたことなどすっかり忘れてしまって、もっともっとと欲しくなる。
(でも、もしも、本当にいちばん欲しいものを手に入れてしまったら、俺はきっと黙ってしまって、何も言えなくなるだろう。それはいつも、すんでのところでするすると、俺の手をこぼれ落ちるものだから。)
「わたしは、ほんとうに、生きている限りが華だとおもうの」
「ふうん、じゃあ、死んじまったらそれまでってか?」
「そうよ、死んだ途端にわたしは、わたしではないものになるのでしょう」
「そりゃいけねえや、なまえさん」
「どうして?」彼女は本当に不思議そうに問うて、俺の瞳をのぞきこんだ。
「どうしてって、あんたが死のうと生きようと、俺のものだってことには変わりねぇからでい」
彼女は目を見開いてから、ふわりと笑んで、「そうね」と静かにつぶやいた。
「だいじょうぶ、わたしの神は、あなただけなのだから、お好きなように、してくださいな」
「じゃあ食っちまおう。俺が生きている限り、あんたが死ぬなんてありえないけど、もしも死んじまったとしたら、そのときは俺が食っちまおう」
「そうしてくださいな、そうしてくださいな。わたしはそのとき、やっとわが神の一部になれたと、喜んであなたに食されるでしょうから」
そうして彼女はくすりと笑う。その声が、横顔が、あまりにも優しく柔らかであるものだから、俺はとうとう、前後不覚に陥るのだ。どっちが生かされてるんだか、わかりゃしない。いらいらして、すこし悔しかった。慈愛に満ちた彼女の、光の届かない汚い部分まで、ぜんぶ俺のものにしたくて、俺はまた汚れた手で彼女に触れる。彼女は白くあるかぎり、俺の象徴でありつづけるから、けっきょく、すべてを丸ごと手に入れるなんて、不可能なのだ。
「ねえ、そうちゃん、わたしはずっと、あなたの味方よ」
いつまでたっても、こればっかりだ。ああたった3年、彼女より遅く産まれただけなのに、こうも難しいものなのか。おれはただ、本物のあんたが、欲しいだけなのになあ。
散らす(13-03-20)