book | ナノ


眠れないのでパジャマのまま、まだ日が登らない内に屋上にでた。
いまにも壊れそうなフェンスを背中に、私はペタリと座り込んだ。彼の白い、細くて尖った肩を思い出しながら、缶ビールのタブをあける。全身を通り抜けるように、そよぐ風に洗われた。このまま全てが風に溶けたら、どんなに気持ちがいいのだろうなあ。コクリと喉を鳴らしてそれを飲み干す。まだまだこのままでいたいな。

視界の端でアジサイが揺れてる。青、むらさき、桃色、白。グラデーションの魔法をかけて、私を揺らしてくれている。

このままでいたいな、と思う。
でも私には家族も親戚も友人もあって、私は確実に社会を生きている。つまり、毎日朝の五時からビールを飲んでいられるような身分ではないのである。
詩的に生きて行けるのならば、それはとても素晴らしいと思う。家族や親戚や友人やその他のしがらみを考えず(プラハに置いて来た両親は元気かしら?なんて、そんなこと考えず)、すきな人と一緒になれるなら最高なのだと思う。もしかしたら、それは、世間が言う幸せとはかけ離れているかも知れない。けれど、思いっきり詩的な人生であろう。ただ、今ここにある自分の体と、爽やかな新しい風、ひんやりとしたコンクリートタイル、錆びたフェンスと、苦くまろやかなペールエールの泡。これだけが真実で有ると、言い切れてしまえばなんと、気持ちのいいことか。

ふいにガチャリと戸を開ける音、一緒に黒い影が現れるのを予感した。

「朝からアルコール?驚くほど生産性がないね、なにしてるの」

「あんたこそこんなとこに朝早くから…何してんの」

臨也は嫌そうな顔を作って「ここ、俺のマンションなんだけどね」とぼやいている。

「だって寝てると思ってた」

「やだなぁ、君が部屋にいるのに寝るわけないでしょ、刺されかねない」

朝から可愛くない言葉ばっかりでてくる口を、少し面倒に思う。臨也はVネックの黒いTシャツ一枚で、赤く染まる目元がなんだかなんだかふわふわしていた。昨晩仕事が溜まっていると言っていたから熟睡できていないまでも、すこしは微睡んでいたのだろう。

「ねえ臨也、朝は美しくてこの世のものとは思えないね」

「まあ、昨日と今日は、繋がっているようで全く別モノだからねえ。生まれ直しているんだよ」

「さっきまでのあなたとは、かけ離れて生きてるのね」

「そうだね、なんにせよ、つまり今は永遠ってことさ」

臨也はハハッと愉快そうに言い切ると、「だからそんなに悩んでても仕方が無いでしょ」と伸びをした。

「あ、今のは励ましたわけじゃなくて、君のお粗末な脳みそで難しいことを考えたって無駄ってことだよ?勿論ね」

近づいてきた臨也に手元から缶を奪われて、次の瞬間にはゴクゴクと上下に動く喉仏が見える。

「ただ、俺が君について明言できることが一つだけある。結局君はどう足掻いても、ひとつの生き方しかできず人生を終えるわけだし、きっと永劫に満足しないだろうね」

君が100年生きたとしても、今ここで死んだとしても、ね。グシャグシャと缶を潰す音。私の大好きなペールエールは彼の細い体に消えていった。なんて悲しいことだろう。

「でもそれはあんまり不幸だから、これから俺が少しだけ、教えてあげてもいいよ、人間がえらぶアンパイがどれだけ陳腐かってこと」

ニヤリと笑って、グシャグシャになった缶をコンクリートに打ち付ける。それは跳ね返って遠くへ飛んで行く。悪魔のような姿だなと思う。

「だから君はそのちっぽけな両目でちゃんと見届けて、せいぜい学ぶことだね、俺のボランティア精神を無駄にするなよ」

缶が弾けてアジサイの花びらがホロホロと舞ってしまうのを、私は阿呆のように眺めていた。悪魔のような男だなと思う。

私はこれからも親不孝な道を歩まねばならないらしい。



(16.06.08)



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -