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ローの瞳はいつでも深い藍色だった。それは幾らか深すぎて、わたしはとても手が届かない。その奥の奥には何があるのか。そう呟けば彼は「お前は確かに馬鹿だけど、まったく分からないはずはねえだろう」といったのだけれど、なにを根拠にそんなにも、愉しそうに笑うのか、わたしにはさっぱり分からない、し、すこしだけ腹が立った。どんな気持ちでわたしがこんなに、悩み耽っているのかも知らないで、彼はいつも飄々としている。そして時々、思い出したように口の端っこを引き上げて、極悪人の顔をしたまま笑うのだ。わたしはそのたび、酷く馬鹿にされているように思ったものだった。そりゃあ、いまや大海賊の船長さんに比べれば、その当時のわたしの脳みそなんてまるで、虫けらみたいなものだったのかもしれないけれど、そんなに有り有りと、残酷なまでに見下さなくたって、いいじゃないか。だって弱い弱い幼いわたしはその都度、悲しくなってしまったから。そんな繰り返しがまるで阿呆だなあ、と彼ならきっとそう言うだろう。


悪態を尽きながらも、凍りつく頭で数えるのはただ、彼が帰るといった、いつかの日までの日数。何千日、何万日という日々を、彼はわたしに置いて行った。それはその笑みと同じくらいに、もしかしたらそれ以上に残酷なことで、酷い酷いおとこだと思った。首元のペンダントに触れながら、そう思った。

瞳の色を忘れない様に、と、彼は宝石をひとつ、残して行った。キルケ石という別名を持つ、長い名前のその石は、まるで彼の思惑通りに深い深い海の色をしていた。彼はこの色の瞳に、いつも大海原をうつして、ぼおっと遠くを見ていたのだ。

わたしは、深いブルーの目をしたローが、こんな小さな島に留まる人ではないんだろうと、昔から少なからず予期をしていた。お前は勘だけは冴えているな、そう、彼はときたまにわたしを褒めたものだったから、きっと真実であるのだ。

そして彼がわたしに、旅立ちを告げたときも、わたしを連れて行ってはくれないのだろうと、少女ながら早々と予期した。


「海賊船におんなはいらねえ」

「だからてめえは変わらずこの地に生きるんだ」


わかっていたのに、そしてローはわたしがわかっているとわかっていたはずなのに、直後にしかと釘を刺された。わたしは打ちのめされた気がした。本当の本当に、わたしを一人にして、ペンギンやみんなみんなを連れて、彼は行ってしまうということかと思うと、寒気がした。殴ってやりたかった。だけれど、口数の少ない彼がわざわざ、強い意思を言葉に変えてみせるのは、彼なりのけじめで有り、懺悔なのだと悟った。


「俺が昔を、記憶を、色々な後悔や思い出の欠片を残すのは、この島だけで充分だ」

「だからお前には、俺たちの原点を、あるべき様をしっかり守っていて欲しい」


彼は珍しくも、わたしが口を挟めないくらいに切れ目なく言葉を繋ぐ。途切れたらふうわり消えてしまう様な、大人びた彼にわずかに残った少年の、そんな部分を垣間見た気がした。いつものようにわたしだけではなく、今回ばかりは彼も確かに、勇気が必要なんだろうと知った。


「…わかったよ、ロー、わかった」


わたしが静かにゆっくりと頷くと、彼は浅く息を吐いた。わたしは、ローがこんな小さな島に留まる人ではないんだろうと、昔から少なからず予期をしていた。お前は勘だけは冴えているな、そう、彼はときたまにわたしを褒めたものだったから、きっと真実であるのだ。だからこそ、彼はわたしに託すのだろう。そう自惚れていないと、やっていられないほどに、わたしは酷く泣きたくなった。


「なあ、お前に、これをやるよ」

「お前はやっぱり馬鹿だから、一人きりだとすべて忘れちまうだろうから」


彼はわたしの心を知ってか知らずか、冷たいその手で、いままでにないくらいに優しく優しくわたしの手を取り、ひんやりとした金属を握らせたのだった。そしてそれを開かせないままに、わたしを軽く抱きしめる。


「ロー、わたし、きちんとここにいるね」

「だけどね、ロー、わたしはあなたたちに比べてまだまだ子供だから、たまにさみしくなってしまうかもしれない」


「わかってる」ローは少しだけ抱きしめる力を強くして、「だけどおれはお前がもし、連れてけと泣いて喚くような、もっともっと馬鹿なクソガキなら良かったとも思うんだ」「お前は中途半端に機転がきいて、中途半端に大人だからな」と泣きそうな声で笑った。彼はそのときのわたしには何故だかとても大人だったけどやっぱり、 本当はただの少年だったのだ。なのに、わたしが唇を噛み締めると彼は大人らしく、


「お前がさみしくなったときはきっとそれに、呪いをかけろ」


とわたしの手をもう一度握った。呪い、という言葉を選ぶところが、まるで彼らしいなあと思った。喉に言葉がつっかえて、ひとつでもしゃべった瞬間に、わたしは泣き出してしまいそうだったから、なにも言わなかった。彼を困らせることだけはしたくなかった。彼はそんなわたしの分の言葉まで飲み込むように、沈黙を埋めていった。しっかりと、噛みしめるのような口調で、すこしずつ。


「なあ、おれはお前になんの約束もできねえけど、だけど、おれが賞金首になろうと海賊王になろうと、なにかの手違いで死にかけることがあったとしても、ここがおれの帰る場所。それに違いはねえんだ」


わたしを不透明な鎖でもって、柔らかく縛り付ける彼は酷い酷いおとこだと思った。わたしの淡い淡い幼い恋情をしってるくせに、どうしてこうも、卑怯なのかしらと思った。


ローの瞳はいつでも深い藍色だった。それは幾らか深すぎて、わたしはとても手が届かない。その奥の奥には何があるのか。いまのわたしには昔より、ほんのすこしだけわかる気がする。だけどあなたのことなんて、一生たっても一人じゃ理解しきれないから、しっかり教えて欲しいのよ。昔の話なら、わたしがここにとっておくから、あなたの旅、あなたの仲間、あなたの夢、あなたの全部を教えて欲しいのよ。何千日だろうと何万日だろうと、わたしがあなたを忘れる日がないのは、わたしにあなたが残したすべてを、手放してはならない約束だから。酷い酷いおとこだと思う。ひとには決まりを作って置いて、自分は小さな約束一つ、交わしてくれなかった人。でも、だからこそ本当に、何よりも正しい人だと思っているの。昔から、あなたがわたしの指針であるから、わたしはそれに従って生きるだけ。あなたの過去をすべからくもらった代わりに、優しい世界を丸ごと奪われたとしても、わたしはけなげに生きるだけ。


「あなたをきちんと待ってるわ、ロー」


わたしの声が届かなくても、あなたの声が聞こえなくても、わたしがここにいる限り、ノースブルーの小さな島と、わたしのありったけの世界は、いつまでもあなたのものなのよ。だからあんしんして、遠くで遠くで生きていて。



埋れてしまうよ(13-12-15)



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