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規則的に揺れる音と、昼間の日差し。車内は暖かくて暖かくて、まぶたがくっついてしまいそうになる。あんまり長く電車に乗ると、時空を旅する気分がする。ここは今日ではなくて今ではない、そんな気すらする。

読んでいたハードカバーの本をとじて、目線を窓際にうつす。朝焼けひかる、あの川にいつか、わたしは臨也と来たことがある。川面を追いかける、彼の瞳は一番にうつくしかったのに、わたしはその身体の、表面の部分しか垣間見ることが許されなかったから、胸の奥がぐるぐると、玉虫色に燻った。あの時もたしか初夏だった。わたしはあの日彼に、髪がながく伸びた頃には会いに来てよ、なんて伝えた。なにか理由が欲しかった。髪なんて伸ばす予定はなかったけれど、ただ、なにかきっかけが欲しかった。今生の別れとはまた違う、だけど一度別れてしまえばたぶん、偶然になんて会えないような、そのくらいに距離が開いていた。それは物理的なものじゃなく、あくまでみえない距離だった。ぐずぐずとした、心の靄はいまも鮮明。だけれど笑ってしまうほどに、懐かしく感じる。わたしはその一言のせいで、セシルカットだった髪を伸ばしているのだから、やっぱり笑ってしまわずにはいられない。なにかに強いられているわけでもないのに、まったくおかしなことであります。

彼が教えてくれたことひとつずつ、丁寧に思い出してみる。なにがそんなにしつこく沈殿して、まとわりついて離れないのかしら。
彼は、自殺したり、神様を信じたり、そんなことをするのは人間だけなんだよ、と言った。そりゃあ、コウモリやカモメやカバなんかがそれぞれに神を創造してひたすらすがっていたらなんだか恐ろしいし、イヌやネコはどんなに苦しくても死にたいとは思わないでしょう。ただただ無駄なことを考えず、いっしょうけんめいに、生きるのでしょう。
そう思えば、人間とはまるでわからないもの。たとえば人は、超音波は出せないし、空だって飛べない。生きるために備わった能力が知能、それなのかしら。いきすぎたそれは、いたずらに身を滅ぼすだけではないのかしら。そう思ったら、アダムとイヴを責めたくなる。ただ、なんでもないわたしには、自分の勝手でひっそりと命をたつことを、悪いこととは思えないのです。
キリスト者や仏教徒、ムスリムの人々や、その他大勢の信者の人たち。たくさんたくさんいるけれど、彼らは生活の一部として、または糧として神を信じているんだから、宗教とは偉大で広範な文化だね。彼の呟いたその意味が、今になってわかる。

あなたはわたしの宗教だった。
あなたはわたしの神だった。
そしてわたしはひとり、人間なのです。


この電車に乗るには、とても壮大な決意が必要。なぜならわたしは、もうそれを、待たないと決めなくてはならなかったし、数少ない友人や、それから職場の同僚や上司に、怒られたくはなかったからです。わたし的メシア待望論の破綻。わたしは自分をなんとも勝手なやつだとおもったけれど、わたしの神もまた、さいこうに自分勝手であり、それがわたしの指針であるならば、仕方ないとわりきるのです。
誰かが、狂信的な恋愛なんて宗教と大差ないといった。わたしも確かにそうおもうし、宗教観念と結びつきの薄い日本には、なおのこと、そんな比喩がしっくりくる。ならばわたしのこれは、ジハードなのか、はたまた聖戦なのかしら。否、そんなにたいしたものではないし、それよりも、わたしはわたしのいっしゅんを、恋愛などと言う名前で、括りたくはない。そんなに生ぬるい名前を、つけてあげたくはない。わたしはたいしたわがまま者なのであります。


電源を切ろうと開いた携帯に、非通知設定からの留守電が入っていた。すこし悩んだあと、やっぱりわたしは、再生ボタンを押すのです。『やあ、生きてる?髪はきちんと伸びたかな?そろそろ救いにいくよ、やっと君の出番なんだ』ああ従順なる神の子!わたしの指針はその声のせいで、次の駅で折り返しの電車にのることに変わってしまう。なんと脆い決意だったのかしらとおもう。もう待たないと決めたのに。まったく彼は、ほんとうにタイミングが悪い。携帯電話なんて、開かずに窓から投げ捨ててしまえばよかったのに。わたし的メシア待望論の復活。




宗教(13-07-24)



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