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ぱすんとソファに腰を下ろすと、自分から、馴染みのないタバコの匂いがした。わたしはそれが好きではないけど、昨晩ヤった男のものだと気づいて、そのままにした。むしろ、消えてしまわないようにと、いつもより軽やかに動くように気をつける。もうすぐに彼が帰ってくる。それまではしばし、退屈な平穏。ご飯は作れないしティーバッグの場所だって知りやしないから、わたしは仕方なく机の上の大判本を手に取る。ぺらぺらと捲ると次々と、いろいろな種類のちょうちょが部屋中を飛びまわった。わたしはそれを掴もうとソファの上で飛び上がったけれど、彼らは自由で身軽で、わたしなんかが追いつくものではなかった。銀の鱗粉だけが、ふわふわと指先に残って、まるで宇宙人のようになった。わたしは宇宙人になりたい。それよりもっと、ちょうちょになりたい。


「ただいま」

「…」

「なにやってんのお前」

「ちょうちょ、出てっちゃったじゃない」

「は?」

「あんたが急にドア開けるから、出てっちゃった」

「…へえ」


銀時はいきおいよくソファに埋まって、わたしの読んでいた大判本を踏み潰してしまった。サイドテーブルにはイチゴミルクが供えられている。


「本、踏んだら呪われるよ」

「…そんなことよりお前くっせえよ、なんのために玄関にファブリーズがあるとおもってんの」

「銀時と一緒にしないで、あんたこそ香水くさいの取れてない、おあいこね」

「かわいくねえなあ」

「その彼女のが、かわいかった?」

「ほうら、そーゆーとこがかわいくねえの」

「あほらし」


わたしは銀時に背を預けるように座って、ばふばふとソファの上で跳ねてみせた。ついでにイチゴミルクを飲みほしてやった。


「マジでかわいげねぇなオイ」

「…あー、やっぱり、昨日のヤツのが優しかったなあ、イケメンだったし短かったけど太かったし、なにより天パじゃなかったしナア」


大判本を銀時のお尻のしたから救出して、もう一度ひらく。銀時のため息が聞こえる。わたしは聞こえないふりをする。


「…おめぇはよぉ、さんざん俺に文句も言って、知らねぇ男とパカスカやって、なのに結局ここに帰ってくんだもんなあ」


そんなことを言われて、わたしは思わず泣きたくなった。銀時がまるで、全部わたしがいけないと言っている気がしたからか、いまにも泣きそうな声で呟いたからか、どちらかは分からないけれど、ページの色彩がぼやけた。泣いているなんて思われたくなくて、背中合わせのまま、息をのんで涙をころした。


「…だって、ここ、わたしの家だもん」

「ばか言え、ここは銀さんちですう、れっきとした坂田家ですう、表札も読めなくなったかこのアバズレ」


銀時はまたため息をついて黙ってしまうから、わたしも黙る。顔をあげるとふらふらと、ひらひらと、ちょうちょが戻ってきていた。あのちょうちょはかわいいし、逃げ足の早い、自由の身だ。わたしはああなりたかったのだし、なにより、銀時にはあのままで居て欲しかった。だけれど、それはとても寂しかった。だからといって羽をもいでしまって、わたしの元にとまらせておくのも、それはそれは哀れだった。わたしはもう、どうにもできなかった。たしかにわたし、思い上がりすぎてたのかもしれない。


「……ごめん、銀時」

「……」

「わたしもうあんまり来ないようにするね」

「…ほんとお前はわからずやだよ、もう銀さんびっくりだよ」

「……だって…」

「お前はここに帰ってくんの、そんでここは俺んちなの、だからお前の帰りを待ってんのは俺なの、それは変える必要ねぇだろうが」


わたしの涙腺はなぜだかもう我慢できなくなってしまって、くるりと振り向いて銀時の背中にくっついて泣いた。ばかみたいだなあと心の何処かで思っていたけど、もうどうしようもなかった。ちょうちょみたいな女の子になりたくて、あなたを困らせたくて、でもあんまりにも困ったあなたを見たいわけではなくて。わたしはこんなに駄目な子なのに、なんで銀時はやさしいの。そんなことは聞けないけれど、聞いたらきっと、あなたはとても怒るだろうけれど。


「ちゃんと帰ってくるから、ちゃんと待ってるから、お前もちゃんと帰ってこいよ」


銀時は最後にもうひとつため息をついて「俺も相当イカレてんなあ」と呟いた。それからわたしを抱きしめてくれた。とってもとってもしあわせで、あたたかで、やっぱり銀時でないとだめだなあと思って、わたしはまたすこし、寂しくなってしまった。




ちょうちょう(13-07-13)



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