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薬売りさんは、おかしなひとだった。

薬売りさんは、その名の通り薬売りをしながら旅を続ける、いわゆる行商を生業としているらしかった。だけれどどこか、宙に浮いた様な振る舞いのせいで、商人というよりもむしろ、神聖な雰囲気の漂う、神人のような風な美男子であった。ほんとうに、薬売りさんの顔立ちの綺麗なことといったら、女であるわたしなんぞ足元に及ばないほどに飛び抜けていた。はじめて彼をみたときには、この世のものとは思えぬほど美しいひとに出会ってしまった、と驚いたものだった。世間に明るい方でないわたしは、これまでかつて、彼ほどに端正で、上品な面立ちをもつ人間にあったことがなかった。


薬売りさんは、おかしなひとだった。

彼がこの村にいたことを、今となっては夢のようにすらおもうけれど、その間だけは、薬売りさんはほんとうに色々なところに出没した。わたしが住み込みで働く宿屋の部屋を、明け方すぐに出て行って、また明け方に帰って来る日もあったくらい、なにやら忙しいひと。その間わたしはおつかいでいった問屋さん、休憩をしたお茶屋さん、通りかかった色街など、色々なところで彼に遭遇したものだった。そのたび彼はわたしに、こんにちわ、また、会いましたね。と挨拶をしてくだすった。ひと覚えのよいひとだなあと思った。わたしはただの、しがない村娘であり、なんの特徴もありゃいないのに、よく覚えているものだと感動した。のちにきいたら薬売りさんは、女性の顔は、忘れた試しが、ないもんでね。と涼しげに答えたものだから、笑ってしまった。


薬売りさんは、おかしなひとだった。

いまも鮮明に、すこしも忘れないでいるできごとがある。いちにちだけ、彼がお寝坊をしたときがあって、その日はわたしが起こしに行くことになった。なんでも、うちは10時までしか朝食を残しおかないことになっていたので、様子をみにいくよう、女将に申し付けられたのだ。膝をつき、薬売りさん、いらっしゃいますか?と引き戸の前でつげる。返事がないので、断りをいれてから、戸を開けてみると、窓枠に腰掛ける薬売りさんがいらっしゃった。お寝坊ではなかったようだ。彼の姿は、香だか煙管だかの煙にぼやかされていたけれど、色素の薄い髪の毛だけが、やわい光できらきらしていた。あの、薬売りさん、今朝の朝食は、召し上がられませんか?ああ、朝食か、忘れていた。ふとこちらを振り向いて、少しばかり優しい瞳をむけてくださる。あなたは、もう、済まされたんで?いえ、わたしは、最後に。では、いっしょに、あがりましょう、それならば、いただきますよ。薬売りさんはそう言うとわたしを手招きしてみせる。そのまえに、ちょっと、ほら、ご覧。と眼下にひろがる町並みを指した。町ですか?ええ、綺麗だ。綺麗、ですかね?綺麗ですよ、そして、なにより、こんなに、いつも通りでしょう。


薬売りさんは、おかしなひとだった。

ああ、それと、あなたも、とても綺麗だ。薬売りさんはたのしそうにおっしゃるので、わたしは思わず笑ってしまう。薬売りさんたら、おじょうずね。いや、本心、ですぜ。またそうやって、朝から、女性をからかうのはいけませんよ。わたしが笑うと、薬売りさんはふっと目を伏せて、いい朝、だ。とひとりごちたあと、どこで知ったのか、わたしの名前を呟いた。綺麗だと、思うものは、なんでも、俺のもの、なんですぜ、あなたも、この町も、その気になれば、この世界の、すべてでも。薬売りさんはそう言ってほんのすこし笑って、さあ、朝餉に、しましょうか、とわたしの手をとったのだ。ああ、おかしなひと。




おかしなひと(13-05-12)



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