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五条悟が死亡した。
そう聞いたとき、わたしの心は平静であった。ほとんど悲しくなかった。当然驚きはしたが、妙な納得感と、安堵感が身体中を支配した。わたしの知る限り、彼は、ひどく疲れていたように見えたから、死ぬくらいじゃないと肩の荷を下ろさないであろう彼にとって、それが良かったんじゃないか。とさえ、思った。

五条悟が死亡した。
そう聞いてから、ちょうど一週間。そう七日ほど経った日の深夜。涙があふれて止まらなくなった。
ああ、これは、個人的感情だ。いっときの暴走だ。すぐに直感した。そして同時に動揺した。
この唐突な感情の爆発は、彼のための餞ではなく、また全体主義的な感覚でもなく。超個人的な、私的な、わたしのためだけの。つまり正しくない、むしろ間違った、感情。愛すべきではない人間を、少なからずとも愛してしまっていた。という、可哀想なひとりの女の、哀れな証拠だ。





ほんの数年前からだ。突然。
彼が、五条悟がときどき、まるで蜜蜂が花に吸い寄せられるみたいに自然に、何の断りもなしにわたしにキスをするようになったのは。
わたしはそのたび小さく驚き、彼の行いを軽く咎めるのだが、大抵の場合はのらりくらり、テキトーにはぐらかされる。しかしほんのたまに、彼は珍しく困ったような顔をつくって「すきだから」と笑う。
すき?…彼の言う「すき」にはなんの意味もこもっていない、呪文のような、外国語のような、不思議な響きで、わたしに対して言っているわけではないというのがあけすけに、残酷なほどに丸わかりだった。
そもそも、誰に言っている、というわけではないのかもしれない。乱暴に丸められたぐちゃぐちゃの感情のボール。壁当てされているような「すき」を数え切れないほど受け取って、わたしの心は知らないうちに、どんどんおかしくなってしまったのだろう。





彼のそれは、いつも。
寂しがりやの子猫が親猫の鼻先に触れるような、かんたんで、つたなくて、邪気の全くない口付けだったので、わたしはずいぶん面食らってしまったものだった。
どうやら甘えられている、というのはわかっていた。彼の、とっくに行き場をなくしてしまった愛や、寂しさや、親しみや、煌めきがどうにもならなくなって、おさまりがつかなくなった時、こうして事故のように、擦れるようにぶつけられてるのだ、と、気付いていた。
でも、どうしてわたしに?
同時にわたしを「好き」ではないのは心底わかりきっていたから、常に不可解でならなかった。とはいえ、誰彼構わずみんなに、こんなに切ない感情を、挨拶みたいに振りまいているのだとしたら、きっととっくに大問題になってるはずなので、人を選んでいるのだとは思う。
なぜ、わたしに。
どうして、わたしなんかを。
何も持っていない、ちっぽけな、こんな女に。ここまで無慈悲な、非道いことをするのだろう。





さて、そんな経緯ではあるが。
彼は死ぬ前にほんの一秒でも、わたしという存在を思い出したりしただろうか?

きっと、いいえ。絶対に。
思い出したりなんかしていない。
彼がその時その身に感じたのは、自分の全身の感覚だけ。彼がその時その神経を全て使って考えたのは、目の前の敵のことだけ。そして彼がその時ただひたすら思ったのは、彼が過ごした過去の美しい日々のこと。背景にわたしという小さな存在は、ほんの少しくらい見切れているかもしれないけれど、主役はいつでも彼と、彼の最愛の旧友。脳内に広がるのはまだ澄み渡っていた頃の世界。まだ彼らのものだった、広い広い、遠い世界の、青いすべて。


…ああ、ハイハイ、
もういい子ちゃんのふりはやめ。

とまらない涙に溺れながら、わたしは自分の運命を呪った。なんて馬鹿馬鹿しい。なんて浅ましい。そして、なんて、いじらしい。
あなたが、あなた達が、しびれるほどに格好良くて、とても好きだった。あなた達に、あなたに、わたしは、ただ憧れているだけで良かった。あんまりに眩しくて、目を背けたりなんかしながら、ずっと後ろで追いかけていられれば良かった。それなのに。
どうしていたずらに振り向いた?
気まぐれに触った?
わたしに、こんな、可哀想なふつうの女に、あなたの馬鹿でかい苦しみの、悲しみの、ほんの一部を、ほんの一部分であれ、分けて、持たせたの?潰れてしまうよ、欠片だけなのにもう潰れてしまう、わたしは、わたしは。


五条悟。
次に会った時は絶対、ぶん殴ってやる。
これからの人生のどこかで、この世でいちばん非道い死に方をして、死後呪いになって、何千年も存在し続けて、やっと生まれ変わったあんたを、死ぬほど後悔させてやる。
きっとあなたは次の世界でも、きっと最強なのだろうから。
だから、お願い。次こそどうか。
お願い。メチャクチャにして。欠片も残らないほど粉々に潰して。もう期待させないで。お願い。お願い。不毛な恋なんかしたくなかった。させないでほしかった。手の届かない憧れでいてほしかった。ああ最悪。ああ最低。わたしは、すぐそばで見るあなたが、どうしようもなく愛おしくなってしまっていた。可愛くて可哀想で美しくて儚くて、どうにかしてあげたくなってしまっていた。ほんのいっときでも、到底無理な理想を描いてしまったのだ。ああ最悪。ああ最低。あなたを心底愛していました。取るに足らない存在なのに、あなたを特別思っていました。わたしは、わたしは。





あなたが、せめて、幸福のなかで死ねれたのなら、よかった。と、強く強く思う。わたしは。
これこそが、愛ではなくてなんなのだ。


(23.10.25)



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