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きっと気まぐれだった。
今考えてみればよくわかる。マイキーはやさしいけど、正義の味方なんかじゃない。身内や仲間を誰より大事にする男だけど、自分とぜんぜん関係ない人には特に興味がない。っていうか、視界にすら入ってないらしい。

だから、あの日、わたしを助けたのは、きっと気まぐれだったんだと思う。


・・・


「おまえさ、名前なんて言うの」

真っ黒なひとみに吸い込まれそうだった。
恐怖じゃなくて、美しさに声が出なくなって、押し黙ってしまったのなんて、それがはじめてだった。
彼の後ろで、ぎらぎらと、都会のネオンが揺れていた。

「しゃべれねーの?腰でも抜かした?」

ネオンに光ってゆれる金色の髪が、ゆっくりとこちらに降りてくる。白くてきれいな手がこちらに伸びてくる。

「ほら」

手のひらをつかまれて、ぐい、っと起こされる。
なんとか両足に力をいれて立ち上がると、彼に向き合う形になる。
世界のすべてがふわりと浮いたように華やぐ。

「名前、おしえて」

「…なまえ」

目の前に立つ男は思ったよりもずっとずっと華奢で、合わせる目線の高さだって、想像よりもずっとずっと近かった。「あのさ、」高くも低くもない、線が細いわりに身体の芯まで届くような、彼の不思議な声が鼓膜を揺らす。
あっけにとられたまま立ち尽くしていると、男は開きかけた口を閉じる。それからわたしのことを数秒間じっとみて、「へんなかお」とくすくす笑った。その笑顔があんまりにも無邪気で、子供みたいで、一気に現実に引き戻された。なんだかものすごく恥ずかしくなってきて、わたしはうなり声を漏らしながら、なんとなく髪の毛を指先で整えたり、口元に手をやったり、そわそわと忙しなく動く。

「ねぇ、なまえ」

男に、もう一度声をかけられた。

「そんなか、どら焼き入ってるでしょ」

「それ、おれにくれない?」男は、やけに軽やかに、見透かしたようにそう言うと、わたしの持ってるレジ袋を指さして、にやりと笑った。


マイキーは昔から、最初のあの時から、もうどうしようもなくかっこよかった。奇跡みたいに強くて、かっこよくて、美しかった。


・・・


女友達は別に多い方じゃない。おれは自分の仲間以外にたいして興味はないし、それが女であろうと男であろうと同じ事。ただ、チームをやってるから必然的に男の仲間の方が多くなる。
その女は、おれの数少ない、純粋な女友達。数年前、コンビニの脇の路地でしょうもねーチンピラに絡まれてるところを助けたのがきっかけ。


「マイキーさぁ」

そいつはみんなみたいに、おれの名前を愛称で呼ぶ。もとはと言えばおれが決めたアダ名だから、そう呼ぶのは当然なんだけど。だけどたまに、おれは不意に、こいつがおれの下の名前を呼ぶのを聞いてみたいな、と思ったりもする。柄にもなく、思ったり、するのだ。

女の涼しげな目がこちらをちらり、と見遣る。だからおれも静かに目を合わせる。タイミングは、計ったようにぴったり。なんてことない、意味なんてない。ただの習慣みたいなモンだ。


「あの日、なんでわたしのこと助けたの」

「あの日って?」

「最初の日、コンビニで」

昔話は嫌いじゃないけど、わざわざ思い出すのは面倒だった。あの日、雨上がり、ファミマの看板。こいつを取り囲んでるロクでもない年上のチンピラたちを蹴り倒したあの日。なんでかピンと来たんだよね。チンピラも女も知らない顔だったし、どうだってよかったんだけど、なんか目が離せなくてさ。

「うーん、わかんね。…直感?」

「なにそれ」

「あんときおれ、すげー腹減ってて気ィ立ってたから覚えてねー」


覚えてねー、なんてウソ。
自分よりずいぶんでかい男に取り囲まれても、じっと睨んで離さない真っすぐな視線。くちびるも指先も震えているのに、ぎゅっと噛みしめた奥歯。涙をこらえてこらされた瞳、ぴんと伸びた背筋。雨上がりの水たまりにうつった横顔に、おれはあの時たしかに一瞬「いいな」と思ってしまった。
一目で筋のいい人間を見分けられるのは、自分でも気に入ってる特技だから。べつに人を見る目が特別あるわけじゃない。ただ、勘がいいんだ。いいと思ったら絶対に当たる。いい。こいつなら、きっといい。そういうシックスセンス。


「おれさ、人に恩売るのって好きじゃねーけど」

「うん」

「…あんときはたしか、どら焼きとおまえ、両方一緒に手に入るならラッキーって思ったかも」

おれはそれだけ言って、大きなあくびした。
あー、昼メシのあとってほんとねみー。
そのあと二回ほどあくびをかみ殺したけれど、なぜか隣に座る女からは返答がない。不思議に思って女の顔を見ると、彼女は目をまんまるに見開いて、火傷しそうなくらい真っ赤になってた。

「手に入るって、ひとを、まるでモノみたいに…」

彼女はうまくまわらないくちびるをやっとうごかして、もごもごと文句を言った。
たいした考えもなしに、思ったことをそのまま言ってやっただけなのに、そんなに照れられてしまうと、こっちまで恥ずかしくなってくる。こういうの、柄じゃないじゃん。なんだかやけにそわそわして、居てもたってもいられない。ポーカーフェイスを崩さないよう、彼女に声をかける。「…んなことよりさ」

「おれ寝るから。起きるまでにケンチン呼んできて」

そう伝えたときにぱちりと目が合った。タイミングは、計ったようにぴったり。
かわいい、と思った。
女の子を見て、愛おしいと、かわいいと感じるなんて、それこそぜんぜん柄じゃない。エマに対して想う、柔らかくてなだらかなそれとは違う、切実で早急な衝動。触れたい、と思ったとたん、言葉とはうらはらに身体が勝手に動いた。指先で、ほんのちょこっとだけ、彼女の頬に触れた。熱い。真っ赤な頬は燃えそうなほど熱い。

「照れてんの?」

そんなの見ればわかるのに、火を見るよりも明らかなのに、わざわざ口に出したくなるのはどうしてだろう。意地悪を言われた彼女は悔しそうに、くしゃりと顔を歪める。

「…照れてない!ドラケン呼んでくる!」

語気を強めておれの指先から離れると、彼女はすくっと立ち上がる。
逃げるように部屋から出ていく彼女は耳まで赤く色づいていて、こういうのも悪くないなと思う。
ウン、ぜんぜん悪くない。


・・・


「そりゃおまえ、マイキーはおまえのこと好きなんだろ。
あいつは仲間思いだが、顔も知らねぇ他人同士のもめごとに割り込んでわざわざ助けたりはしねェよ。

…あ?マイキーは自分の惚れた腫れたに興味ねェからわざわざ口に出して言わねーだけだろ。
ンなもん見てりゃァわかるっつの。おまえらほんとバカな。」


あっつい頬のほてりを鎮めながらダッシュでドラケンを呼びに行ったら、すぐ勘づかれてめちゃくちゃ呆れられた。


気まぐれだと思っていた。
今考えてみればよくわかる。マイキーはやさしいけど、正義の味方なんかじゃない。身内や仲間を誰より大事にする男だけど、自分とぜんぜん関係ない人には特に興味がない。っていうか、視界にすら入ってないらしい。

だから、あの日、わたしを助けたのは、きっと気まぐれだったんだと、そう思っていた。のにな。


わたしはまた顔を赤くしたり青くしたり繰り返して、隣を歩くドラケンににやにや笑われながら、マイキーの元へ戻るのである。

ああ、あなたはいつでも、波乱に波乱を呼んでしまって、いつでもわたしをぐしゃぐしゃにする。


(21.08.20)



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