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マイキーは空っぽの水槽だ。
強くて、きれいで、能力ばっかり高くって、そのほかの全部置いていかれてる。

体内はぽっかり空いた穴のよう。
身体の中も心の中も本当は肌寒いほどの虚空で、いつだってしとしと降りつける雨の音しかしなかった。
だけど、だだっ広くて美しい、この上ないほどの空っぽに、他人は自分の夢を好き勝手詰め込むことができてしまう。するとイメージや期待が一人歩きして、それ自体がどんどん本当に魅力的なものに見えてくる。そんなときマイキーは、色とりどりの、みんなの理想の権化になる。彼自身、無色透明だっていうのに、カラフルに色を塗りたくられて、知らない肩書きすらたくさん当てはめられてしまう。
だって、空っぽの水槽は、軽いからすぐ担がれる。祭り上げられて、あっさりみんなの王様になれちゃう。だけど彼自身をいくら打っても叩いても本当はなんにも響かないし、触れることさえできやしない。

だって、空っぽなんだから。

ああ厄介な人を好きになっちゃったな。そんなのずっと前からわかってたけど、とうとうヤバい。マイキーはただの空っぽじゃない。膨張していく空っぽだ。それが、ここ数年ではっきりとわかってしまった。マイキーはもう、ほとんど宇宙だ。


「わたしがマイキーの中に、なるべく多く、大事なもの詰め込んであげる」

そういうとマイキーはおもいっきり怪訝そうな顔をした。
もちろん水槽だのなんだのと説明しても、彼は聞く耳を持たないだろうから、省略してる。結論だけ話してる。マイキーの空っぽを、わたしがいつか、ちゃんとみっちり、埋めてあげたい。
そんなこと容易じゃないってわかってるけど、でも、

「マイキーは凄いけど、凄いから、他人に頓着しないし、すぐ託されちゃう、だからわたしが…」

「なにが言いてーの?」

「…マイキーを慕う人みんながみんな、ドラケンみたいに善い人じゃないってことだよ」

「そんなの知ってる、ケンチンは凄い奴だもん」

さらりと言ってのけると、わたしがさっき餌付けがてら差し入れしてあげた柏餅を、もぐもぐと咀嚼した。せっかく季節のお菓子を持ってきてあげたのに、こいつはどうせ、全然わかってないんだろう。
佐野家の道場の縁側。外はしとしとと雨が降っていた。やわらかくて涼やかでシャワーみたいな春雨。マイキーの心の中の音みたいな、静かな雨音。


「わたしが、ずっと見ててあげるから」

「おまえなんかが見てなくてもヘーキ」

「そんなことない!マイキーの心がふわふわ飛んでいきそうになったら、わたしがちゃんと地上に抑えつける。それだけを見張ってる。」

「…そー」

マイキーはわたしの言葉を聞き流しながら目を伏せると、二つ目の柏餅に手を伸ばして、そのまま一口でパクりと頬張った。

「あとね、知らないうちにひらひら飛んで行かないように、わたしが重たいものばっか詰め込む」

「えー、ヤダ」

あっという間に柏餅は口の中から消えていて、マイキーはわたしの訴えを即拒否する。「これうまいな」と呟きながら、三個目に手を伸ばす。

「ヤダってなに!わたしの一世一代の大告白を!」

「は?今のって告白なの?」

「告白、じゃなかった…?」

「しらね」

マイキーは淡々と受け流して、三個目の柏餅を口の中に放り込んだ。ねぇマイキー、今のそれだけ味噌餡なんだよ。ピンク色のそれ。味の違い、わかってる?どうせ気にしてないんだろうな。
熱意も愛も心配も気遣いも、ぜんぶまとめて袖にされたわたしは悶々としながら、残り一つの柏餅に手を伸ばす。これは白だからこし餡だね。


「おれは重いもんなんか持たないよ、持つ気ない」

「だーから、そういうとこが危ないんだって!」

柏の葉っぱを剥がしながら、マイキーの言葉にきちんと言い返す。ほら、そういうところ。あなたってば空っぽなうえにその自覚もなくて、重いものは持たないようにして生きてる。物理的にも精神的にも、いつも身軽。背負ってるものは大きいくせに、華奢な身体はいつだって自由で、どこかに飛んでいってしまいそう。「喧嘩の時に邪魔じゃん」とかなんとか言って誤魔化して、あなたは手ぶらで、簡単に遠くへいってしまう。


「わたし、マイキーのそういうとこ…自分を大切にできないとこ、すごくきらい」

突然悲しくなって、苦しくなって、柏の葉を剥がしたまま手を止める。
ああもう、なんか、ぜんぜんだめ。マイキーに笑ってて欲しいだけなのに、言っても言っても分かってくれない。
マイキーは、わたしにも自分にも、きっとまったく興味がない。だからこんなこと言ったってしょーがない。暖簾に腕押し。ヌカに釘。馬の耳に念仏。マイキーに愛の訴え。すべて意味なし。

「食わねーならもらうけど」

わたしが俯いて、柏餅を手に持ったままフリーズしていると、マイキーはそう言った。あろうことかこの男は、目の前で肩を落とす女を心配する素振りすら見せず、ラス1となった柏餅を奪おうとしているらしい。ほんとサイテー。なんでこんなやつ好きなんだろ。
マイキーは柏餅を持ってたわたしの手首を握って、引き寄せる。自分の口元に近づけると、そのまま餅にパクりと噛み付く。

「あー!」

びっくりして指の力を抜くとそれは綺麗にマイキーの体内に収納される。一瞬で咀嚼され、嚥下される。やけにうつくしい男は、口元についたこし餡をぺろりと、赤い舌でなめとる。

「おれは重いモンなんか持たないけどさ」

「おまえがおれに勝手にしがみついてくる気なら、引きずってやるよ」マイキーはわたしの手首を握ったままで、じっとこちらを見つめた。その顔があまりに真面目で、やけに神々しくて、わたしは慌てて手を引っ込める。なにこれ。心臓が持たない。真っ赤になったわたしをよそに、当の本人は満足そうににこにこしてた。

鳥が鳴いた。
反射的に空を見あげると、雨は知らぬ間に止んで、やわい春の日差しが雲間から差し込んでいる。

「あーあ、さっそく腹がおもたくなった」

マイキーはわたしの手首をパッと離すと、猫みたいに伸びをしながら、ひとつ、大きな欠伸をした。

「…そりゃ4つも柏餅食べたんだから当然でしょうが!」

我に帰ったわたしが怒ったって、マイキーはなんでもない顔で「んー。おれは寝る、膝貸して」と言ってごろんと横になるだけ。そして返事も聞かないでわたしの膝を引き寄せると、そこに頭を乗せて目を閉じてしまう。
マイキーのきれいなピンクゴールドの髪の毛が、湿気でくるくるとやわらかくカールしている。

ふわっと明るく日が差して、奇跡みたいに虹が出る。

マイキーの心の中の雨も、こんなふうに簡単に晴れたらいい。そのためならわたしはなんだってやる。ううん、でもね、本当はやまなくたっていい。今、あなたがその雨音を好きだというなら、そのままだっていい。ただ、あなたのそのうつくしい身体や心が、悪いものに利用されないのなら、雨なんて、一生やまなくたっていいんだよ。それならわたしは、その大きな水槽の中に住んで、ゆっくり水の溜まっていく様を、じっとまっすぐ見つめていたい。雨を、虹を、そして晴れ間を、じっと。そしていつかはあなたを正しく満たしたい。宇宙みたいに広大なあなたの水槽は、透き通ったうつくしい水で満たされて、世界で一番綺麗な場所になったらいいって、本気でそう思う。



孤独をたべる春風になる
(21.05.26)




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