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渋谷。
新南口の裏通りは特にビル風が強い。
表の渋谷よりも暗くて湿った、つまんないビル街。塾帰りの重たい脚で、セーラー服の裾をひるがえしながら歩く。未来なんかぜんぜんわかんない。そりゃひとより得意なことはいくつかあるけど、どれもとびぬけてはないし、特技といえるほどのものじゃない。命をかけてまでやりたいことも、人生をかけて求めてることだって、全然ない。多分わたしの心には、熱意ってモンが欠けてる。

風が吹く。
風上の音が、一緒に吹いてくる。
遠くからマイキーのバブの排気音がする。

この音を聞くと普段は、胸がふわっと沸き立つように色めくのだけれど、最近はちょっとだけ暗くなる。マイキー。わたしのいる灰色の世界とは全然違う場所にいる、いつもきらきらしてる、神様じみた昔なじみ。

バブ―――ッて、いつもの。
エンジン音は、ひとつだけ。

今日はドラケンくんや他のみんなは一緒じゃないのかな。まあ、どっちでもいいか。わたしにはもう関係ないし。目の奥にやけつく、特服につつまれた細い背中のイメージを振り払う。
新南口から東口の方面へ、金王神社あたりの小道をとぼとぼと歩く。目の前を通り過ぎると、境内のブランコが揺れてるのが見えた。あそこで、昔、何度もマイキーと話したな。とりとめのない話ばかりだったし、きっとマイキーにとってはどうでもいい思い出なんだろうけど、わたしには宝物みたいに大切。マイキー。これからどんどんデカくなっていくべき人。誰より強くて、かっこよくて、人を惹きつけるあの男は、きっと立派な人間になる。だから当たり前のように近くで、同じ目線でマイキーと話せる時間は、きっとみるみるうちに減ってくのだ。


「なまえ」

呼ばれて振り向くと、見慣れた単車がぴたりとわたしの隣に止まる。脳内で何度も反芻した、金色が目の前できらきら揺れてる。傷んでるはずなのにやけにきれいな、ピンクがかった金髪。特服じゃなくていつものテキトーな、あまりに彼らしい気の抜けたかっこでふらふらと単車から片足を下ろす。


「おまえ、またベンキョーしてたの?飽きない?」

わたしの制服をちらちら見て、マイキーは不思議そうに聞いた。
そんな顔しないでよ。わたしだって、好きで勉強してるわけじゃないよ。特別得意なわけでもないしさ。でもね、マイキー。わたしはあなたみたいじゃないから、あなたの仲間たちみたいじゃないから、今だけを激しく生き抜くことができなかった。だからグレそびれちゃったの。
みんなが少しずつ着実に不良になりはじめたタイミングで、わたしはあっさり夜遊びをやめた。どうしてもあれこれ余計なことばっかり考えちゃう頭でっかちなわたしは、刹那的に競り合ったり、高め合ったりしてるカッコイイみんなについていけなかった。

「…そーだよ、わたしはマイキーみたく強くないからね」

「ふうん」

マイキーは興味なさそうにつぶやくと、いきなり、わたしのウエストにぎゅっと手をかけた。

「なにすんの?!」

「乗っけてやるよ、うしろ」

と言うやいなやわたしを無理やり後部座席に乗せて、腕を自分の腰に回させる。

「今日は、でっけー川、見にいく」

「川?」

「そう。おまえが変な顔してるから、気晴らし」

「ちょっとまって、マイキー」

「なに?ちゃんと捕まってねーと落ちるぞ」

わたしの文句を制するように言うとマイキーは思いっきりエンジンを吹かす。アクセルを全開にしてスピードを上げる。ふわり、制服のプリーツが風に広がる。あわてて手のひらで抑えて、足の間に挟んだ。スカート、短くしすぎてなくて、よかった。

ぐるりと駅前ロータリー。南平台のほうから246号線をぐいぐい進んでいく。首都高に乗ると、高いビル群が一気に近づく。空も近づく。風みたいに速い単車は、ぶれることなく進んでいく。ちかちかした街灯りが、まるで一本線のように目の前を通り過ぎて、バブのエンジン音とマイキーが鳴らすコール音だけが、耳をつんざく。
呼吸を整えて、ゆっくりマイキーの背中に体重を傾けると、薄い肩がほんのすこしだけ揺れた。吹き付ける風の匂いに交じって、マイキーの匂いがする。夏の葉っぱみたいに爽やかで、ほんのちょっと甘ったるい、後味の残る匂い。
ああどうしよう。五感が全部、マイキーにとられてる。そう思うとうれしくて切なくて、おかしくなりそうだった。

三茶あたりから街灯がずいぶん静かになる。
だいぶ日も暮れてきて、風がつめたくなってくる。


「気持ちいー」

深呼吸をするようにわたしがつぶやくと、マイキーは「な?」とこちらに目配せする。ばちりとあわせた目の奥はまるで満点の星空みたいにきらきらして、ため息がでるほど眩しかった。ずっと輝いててほしい。わたしは麻薬みたいにハイな快感に酔わされて、ちょっとおかしくなっている。

「ねえ、マイキー」

「んー」

「今からいうこと、聞いたらすぐ忘れて」

「なんだそれ、意味わかんねー」

マイキーはけらけら笑って、ハンドルを握りこむ。ぶん、とアクセルを吹かすと聞こえてくる爆音。この人のコールはいつもきれい。音が大きいのに、わたしには全然うるさくない。
もうとっくに暗くなったあたり一面に、川の匂いが届き始める。

「あのね、マイキー!」

わたしは音に負けないように声を張り上げる。こんな大きい声出したのいつぶりだろ。なんか笑えてくる。胸の中のわだかまりが、溶けて消えてくみたいだった。
マイキーは機嫌よくにこにこして、返事するようにもう一度、排気音を鳴らした。

「マイキーのこと、好き!!!!!」

もっともっと大きい声で、バブに負けないように叫んだ。

「…は?」

マイキーは虚を突かれたような顔をして、こちらを向く。
その瞬間、広い川が道路の両側に一気に広がる。

「あっ、多摩川!わたし、ここも好き!!やっぱり大好き!!!!」

ここね、246沿い、前触れなくいきなりおっきい川が両側にひらけるの。だから大好きなの。前にマイキーにも話したことあったから、覚えててくれたのかな。なんて思いながらわたしは叫ぶ。マイキーも二子駅前の多摩川も大好き!わたし、やっぱ大好きなんだよ。最近ずっと忘れてた。ううん、忘れようとしてた。気を抜いた途端、マグマみたいに湧き出てくる。こんな熱い気持ち、あったんだね。わたしはみんなと自分を勝手に比べて、勝手に卑屈になって、大事な感情を窮屈な場所に閉じ込めてただけなんだね。


「あ、やべ、高速降りわすれた」

マイキーが珍しくちょっと焦ったみたいに呟くからからわたしは面白くってつい笑った。「はー、うれしー」身体中の空気を吐き切って、わたしはぎゅ、とマイキーの腰にしがみつく。

「何かを大好きって、こんなに強く久々に思った。ホントうれしい」

「…おまえ、やっぱ変なの」

釣り合わなくていい、うまくいかなくたっていい、生きる世界が違ったっていい。未来がどうなろうと、今このときの幸せだけは誰にも奪えない。わたしは、マイキーのことが大好き。きっと自分がおもってるよりずっと大好き。それってべつに、全然むずかしくなくない?数学の試験問題よりずっと簡単だし、うだうだこねくり回してる悩み事よりずっと単純。わたし、マイキーのこと、大好きだよ。
あなたを好きって思うのって、どうしようもなく気持ちいいね。


「ねえ、マイキーは、わたしのこと、好き?」

思い切って聞いてみたら、マイキーはニヤッて笑って、返事する代わりにまた勢いよくエンジンを吹かした。ほらね、このひと、こんなにかっこいい。だから質問の答えなんてなんでもいい。なんであれ、もう、わたしはこのひとが大好きに決まってるんだから。



そんなの、好きに決まってる!
(21.05.23)



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