book | ナノ


(※中王区=基本的に中央区であると仮定し、乗り継ぎで必要な主要駅、彼らの居住区ではない千代田区を舞台にしています。
場所としての地名も存在するご都合設定ですので、なんでもありの方のみお進みください。)



彼らを東都まで迎えにいった。
ディビジョンバトルを終えた彼らを。
迎えになんかこなくていいと、すぐにナゴヤに帰るからと、そう言われたけれど、どうしても、いてもたってもいられなかった。

とくに空却は予想通りいちばん強く嫌がって、電話越しでも「迎えなんかいらねェ」と言うから、「あんたじゃなくて獄さんと十四くんに会いたいんだよ」と黙らせる。するとすこしの沈黙のあと「…おまえはホント獄が好きだなァ」と的はずれな言葉が返ってくる。なんだっていい。彼が黙るのなら、なんだって。


・・・


「余計なこと、言うんじゃねェ」  

第一声はそれだった。
トウキョウ駅の駅前で、まず言われたのがそれだった。

声を聴いて、心から安心した事は幾度となくあるけれど、
声を聴いて、ここまで不安に、動揺した事なんかなかった。

それなのに、アンバランスなくらいいつも通りの顔をしていた。
きりりと吊り上がった眼には、光がしっかりと宿っていたし、結んだくちびるには力が入っていた。

「負けたのだ」と聞いた。
ほかでもなく、彼とともに戦った獄さんから。彼の隣に立っている獄さんから。ついさっき、きちんと聞いた。バトルだって、わたしなりにちゃんと見てた。それでも最初は、嘘でしょ、と思った。そのくらい、空却の表情はいつも通りだった。
でも、だけど、声を聴いた途端、その場で崩れ落ちそうになってしまった。いつだって芯がぴんと通っているはずのその声には、彼らしい強さが少しもなかった。
彼は、今まで傷つくたびにこんなに無防備に、まるで飴細工のように危うくなっていたのだろうか。信じられないくらい、不安定なムードが空却の声にまとわりついていた。


「空却、ちょっときて」

わたしはそう言って、空却の手を引く。手首をぎゅっとつかんで、離さなかった。「はァ?おまえ、どこに、」と抗議の声がするけれど、気にせず引っ張っていく。トウキョウ駅のロータリーを走り抜け、風のように街に出る。
  

「ッたく!おい!どこ行くンだよ」

身体が、あまりに衝動的に動いてしまった。
走って、走って、マルノウチの時代錯誤な洋館のあいだを駆け抜ける。空却はさんざん文句を言いながらも、ついてきてくれる。やっぱり力のはいっていない手のひらは、弱く震えていた。いつもの空却が力づくで止めれば、わたしの脚なんか簡単に止まってしまうって言うのに、すこしの抵抗もないままで、空却は流されるようについてくる。

走って、走って、大きなお堀が見えてくる。
息を切らして、ようやっと止まる。目の前にはヒビヤ公園と皇居。品のいい東都のネオンは白くて清潔で、水面にうつって揺れても滲んでも、雪のように美しいままだった。無言のままヒビヤ公園に入って、お堀沿いを早足で歩く。


「どういうつもりだ」

はあ、はあ、と肩で息するわたしと違って、もうすっかり呼吸が整ってきている空却は、静かに問い詰めるようにそう言った。わたしは無言をつらぬいて、そのままずんずん進んでいった。
考えなんかなかった。
とにかく、いちはやく、あの場所から空却を連れ出したかった。わたしのエゴ。強いエゴ。獄さんから、十四くんから空却をうばってまで、わたしは空却を連れ出したかったのだ。
彼らをこのバトルに誘ったのは空却なんだから、こういう日こそ、彼らには空却がいなくちゃダメなんじゃなのに。そんなのはわかり切っていたはずなのに。わたしは、

「一時間だけ、一時間だけでいいから、わたしにちょうだい」

息を切らしたまま、そう言った。
誰に言い訳しているんだろう。空却にか、獄さんや十四さんにか、それとも自分自身にだろうか。誰に、わたしは、許しを乞うているんだろう。
空却は、なにも言わずにわたしの手をぎゅっと握りなおして、すこしだけ笑った。お堀のふちにあるベンチへわたしを誘って、「座れ」と促す。

「拙僧を連れ回すなんざ、おめーは、勝手だなァ」

「…本当にそう、おっしゃる通り」

ため息をつくと、また、乾いた声で笑う。
ゆらゆらとネオンが揺れて、足元につめたい風が吹き抜けた。
まだ春だというのに、遠くでは夏虫がさわいでいる。


「…大丈夫だ」

「だから、ンな顔すんな」空却はつないだ手をほどかないまま、わたしの目をみてそう言った。

「てめェが信じなくてどうする」

「不退転の心を持て、拙僧はお前にだって何度もそう説いたろーが。てめェが拙僧らを信じなくってどうすんだ」呆れたように吐き捨てる空却の声に、すこしずついつもの熱が戻り始めるのを、感じる。本当に、すこしずつ。

「不退転の、心」

わたしが言い直すと、 空却はしばらくうつむいて、それからもう一度顔をあげた。「結果がわかってから、」

「思ったより、周り見えておらんかったみてーだわ」

空却はつないだ指先をゆるくからめ直して、それからお堀にうつるネオンを睨んだ。「…東都の灯りは、ナゴヤよりもずっと地味だなァ」手のひらに、温度が戻ってくる。

「うん。…思ったより暗くて、なんかちょっとこわいよね」

わたしがそうつぶやくと、呼応するように空却が握る手の力を強めた。
やさしい空却はきっとこうしてくれるってわかってた。
わたしは狡い。彼らが命を懸けた勝負に負けたこんな夜でも、好きな人につながれた手は、どうしたって甘いのだ。わたしは自分がどうしようもなく情けなくて、恥ずかしくて、それなのに胸がぎゅっと苦しくなる。
彼らはとてもよく戦った。わたしからしたら、誰よりもよく戦ったと思う。
祈ることしかできなかったわたしたちなんかより、悔しくて苦しくてどうしようもない彼らは、空却は、きっと想像もできないほど、身を切るような気持ちに苛まれているんだろう。
そんな人に、わたしは今、何もできない。してあげられない。だけれど、何かに願うような気持ちで空却の横顔をながめる。
世界の誰より愛しい人の横顔は、今までのどんな時のそれより、きれいだった。


「拙僧のこと、ンな目で見てっと、獄に誤解されんぞ」  

ふいにこちらを向いた空却の金色の目にとらえられて、思わず息が詰まる。言われた台詞よりも、燃えるような瞳の熱さに、赤い目じりの濡れたような輝きに、目を奪われる。「なァに黙ってんだ。いーんかよ」こちらへゆっくり手が伸びてくる。白い指先が、すぐそばまで近づく。わたしは思わずまぶたを閉じる。


「バァカ、簡単に思わせぶりすんじゃねェ」

「そんなんどこで覚えた?尻軽すぎっと獄にゃ好かれねーぞ」空却は自嘲するように笑って、わたしの額を軽く叩いた。


「…べつに、いいじゃん。空却にはカンケ―ない。」

すこしでも期待した自分がバカだった。
わたしはこのひとに恋してからずっとバカだ。
いつものことだけどやっぱり悲しくて、切なくて、意地になって答えるわたしを、空却は「ガキ」と一蹴した。


「どーせ、拙僧がヘコんでるんじゃねーかと思って、要らねェ心配でもしたんだろ」

「拙僧が柄にもなくヘコんでちゃ、てめーの大好きな獄も、とばっちり食らうモンなァ」にやにやと意地悪な笑顔を浮かべて、空却はわたしのことをおちょくった。言葉にしたことはない。『わたしが好きなのは獄さんじゃなくて、あんただよ。』痛いくらいの本音はいつも喉まで出かかって、すぐに引っ込む。
だってほら、こんな顔されたらもうだめ。

「心配すんな。」

ぴりりと身体が震えるような声で、空却は言い切る。いつもの声だ。さんざん近くで聞いてきた、これ以上ないほど説得力のある、空却の強い声。
だって、この人は、いつも前だけをみてるんだもの。
だからこそ、わたしの気持ちにいつまでたっても気づかない。こんなにまっすぐに前しか見えてない人が、眼前の目標しか見えてない人が、勝手に寄せられてるちっぽけな好意に、気づくわけない。眼中にすらない、というやつだ。空却は、女にも酒にも煙草にもぜんぜん興味ない。このひとは、仲間と、勝負と、未来と、それから自分のまっすぐな理念にしか興味がない。だから、こんなに強くて鋭い。


「獄も、十四も、それからおまえも、みんなまとめて拙僧がテッペンに連れてってやる。」  

「だァから、てめーは安心しとけ」つないでいた手が一方的に、乱暴に振りほどかれる。空却はすくっと立ち上がって、それからにやりと口角をあげて笑った。その顔を見ていると、こちらの心までゆるゆると温かくなってくる。いつもそう。ああやっぱり。このひとに恋してからわたしはずっとバカだ。ずっとずっと、色惚けしてる。


「ねえ空却、みんなに、わたしに、見たことない景色を見せてよ」

そう言うと、満足したような顔をして、空却はわたしにくるりと背を向けた。


「あいつらんとこ、戻んぞ。」

空却がのぞんでいる言葉以外は言いたくない。だから気づかれなくていいって思ってる。好きでいられるなら、嫌われないのなら、このままでいいって思ってる。わたしの想いなんかに乱されてほしくない。囚われてほしくない。空却がのぞんでいる言葉以外は言いたくない。
もしわたしがあなたに好きだなんて言ったら、潔いあなたはきっとその場で決断する。わたしを受け入れるか、拒絶するか。きっと一瞬で決めてしまう。わたしはそれが恐ろしい。あなたに遠ざけられることがこの世のどんなことよりも怖い。あいかわらず”獄のことが大好きなへんな女”だって全然いいよ。気づかれなくていいって思ってる。好きでいられるなら、嫌われさえしないのなら、このままでいいって思ってる。もちろん、自分でもわかってる。この人を好きになってしまったわたしは、どうしようもなく、頭が悪い。



頭の悪い女だって笑って
(21.05.16)



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