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「アンタって心底最低だね」

そう言って部屋から飛び出した。
たしかに折原臨也は最低だった。だけど、そう言うわたしもじゅうぶん最低だった。最近は二十四時間やってるファミレスがずいぶんと減った。なんとか営業してるジョナサンを見つけて駆け込んだ。ジョナサンはホットミルクが安いんだよ。それ以外は、案外高いの。お酒の方が安いくらい。わたしは着の身着のままで出てきて、お金もさほど持ってなかった。だからといってひもじい思いをしたくないから、グラスワインとポテトを頼んだ。今できる精一杯の贅沢だった。

深夜のファミレスは独特の雰囲気が漂ってる。終電を逃した若いお客たち、仕事をしにきてる自営業のお兄さん、ワケのわかんない夫婦、わたしみたいな、ボロボロのカッコした最悪な女。共通点のひとつもない、ばらっばらの異質なメンバー。それを取りまとめるのが歳のいった女の店員。愛想のいい、やさしい女の店員。身なりも雰囲気もきちんとしてるし、あの人誰かの奥さんかお母さんなのかな、だとしたらなんでこんな時間に働いてるのかな。考えてもわかんないことを粛々と考え続けることで、わたしは苛立ちをなんとか鎮めている。ガラス越しに見える街灯が、夜露のしめった街路樹をキラキラさせて、やけにロマンチックでムカつく。今夜は寒い。春なのに寒い。わたしの心も、指先も凍って、今にもひび割れそうだ。

スマホの充電が少ない。最悪だ。だから仕方なくぼーっと店内を見回す。なんかコワそうなお兄さんがでかい声で電話してる。やだな、あんま見ないようにしよ。こういう時でもへんな防衛本能は働いて、ムカムカした心がすっと萎えていくようだった。


「グラスワインの赤と、山盛りポテトですー」

あの、愛想のいいおばさん店員が、料理を持ってきてくれる。ありがとうございまーす、と軽くお礼して受け取る。深夜に食べるポテトは好き。自分の身体をめちゃくちゃにしてる気分になって、自暴自棄なときにはぴったり。油っぽくて、味が濃くて、これにケチャップとマスタードをつけるとほんと最高!今この世界でこれだけが最高!って思うくらいよ。そのくらい、わたしは最悪。グラスワインをぐびっと飲むと、ファミレスらしいチャチな味かと思ったら、異様に濃くてウッとなる。デニーズのワインの方が薄いかも。ジョナサンのワインって結構きついんだ。知らなかった。なけなしの充電を使い切ってしまいたくないからスマホをダラダラいじることもできず、一心不乱に食べては飲む。おのれを破壊するように繰り返す。目の前だけを見てフードファイトしてるとなんぞ知らん男がわたしのテーブルの、向かいの席に腰掛けた。

「オネェさん、ひとりなの?」

こんなしけたファミレスでナンパなんて世も末だな。さっきのコワイお兄さんに煩えってぶん殴られろ。さっきまででかい声で電話してたコワイお兄さんのいた席を見るともうすっかり誰もいなくなってた。チッ。見計らってきやがったか。

「オネェさん、一人だけど今ポテトで忙しいんです」

「えー、なにそれウケんね」

「ウケないウケない、こんな身すぼらしい女ナンパすんのやめなよ」

「なになに、金ないわけ?」

「ない、男と喧嘩して逃げてきた」

「ヤバ。ハードボイルドだね」

「そう。ちなみに今すごい傷心中」

「カワイソー、慰めてあげよっか」

わはは。知らん男はニコニコ笑う。笑った顔の可愛い男だ。どこぞのイカれた情報屋とは大違い。ああたまにはこういう可愛い男と寝るのもいいかもしんない。わたしのなかの理性がぐらつく。だって心も身体もボロボロだし。やっぱり失恋した女は落としやすいってホントなんだ。わたしは冷めた頭で考える。ワインは腹のあたりでぐるぐると熱を持ち始めている。これはこれは、

「うん、おねがい、慰めて」

わたしがそう呟いて男の手に触れた途端、プルルとスマホが震える。画面にポップアップされた名前を見て、また奈落の底に突き落とされたような気分になる。あー、最悪。わかりやすくがくりと肩を落とす。

「え、オネェさん、大丈夫?電話、出なくていいの?」

「………出るわ」

出ないと、さらなる悪夢を見ることになる。わたしは馬鹿ではないのでしっかりとわかっている。男の手を離し、画面をスワイプする。

「ハイ」

『あ、偉いね、出るんだ』

「…出ないと面倒なことになるでしょ」

『そう?俺は君のことなんかどうでもいいんだけどね』

「どうでもいいなら連絡してこないでよ…」

『それとこれとは話が別じゃないか』

「まったくもって別じゃない。どうでもいいならこれ以上ないほど絶妙なタイミングで電話かけてきたりしないでしょうが」

『タイミング…?ああ、君が目の前のその阿呆面ひっさげたナンパ男と一夜限りのランデブーにしけこもうってタイミングのことかな?』

ハハ、と臨也はわざとらしく笑う。
怖すぎ。気持ち悪すぎ。背筋がゾッと凍って、身体を温めるためについついワインに手を伸ばす。口をつけてグラスを傾ける。そこでプツリと電話が切れる。充電がちょうどなくなったのかな。画面を見ようと一度、ぱっ、と視線を上げた先には、嫌ってほど見慣れた黒いコート。

「やあ」

最悪だ、最悪。不思議な取り合わせながらフルーツポンチのごとく和やかだった深夜のファミレスの空気が一気に変わる。「あれって折原臨也じゃない…?」フロアには何組かアナーキーな人間もいたようでコソコソと話し声が聞こえる。ちらほらと店を出る客もいる。最悪。平和な深夜のジョナサンを返しやがれ。
わたしはスマホを持っていた手を下ろした。

「こんばんは、すばらしい夜だね。…かわいそうな俺を寒い部屋に置きざりにして、君はこんなところで悠長に火遊び?いいご身分だね」

「臨也…」

「え、オネェさん、これ誰?彼氏?」

目の前のナンパ男は持ち前の空気の読めなさを発揮してなんだか楽しそうですらある。やめてくれ、お願いだからやめてくれ、と臨也を指さす彼の手首を押さえると、上から白い手のひらが降ってくる。

「そう、彼氏。」

臨也はやけに白々しくそう嘯くと、ふわり、とわたしの手を取って、男の手から引き離す。その仕草は反吐が出るほど紳士的で嫌になる。

「わ、そうなんすか!すんません!おれ、オネェさんが一人なんだと思って!」

「いや、君は悪くないよ。悪いのはこのお姉さんだから。」

「マジすんません!おれ、失礼しますね!」

ああ、青年、行かないでくれ!持ち前の空気の読めなさを発揮してどうかもう少しここに居座ってくれ!わたしの願いも虚しく青年は席を立ち、遠く離れた自席へと戻った。
ひらりとコートをひるがえし、わたしの手を握ったまま臨也は向かいに着席する。

「君ってさ、せいせいするほど嫌な女だよね。」

「…日本語、変じゃない?」

「そうだね、いま俺すごく怒ってるから」

「わかるでしょ?」優しく優しく指を撫でられ、思わずゾッとしてしまう。

「言ったよねえ、俺。君がどこにいようと何をしてようと手に取るようにわかるんだって」

確かにそんなようなことを言われた記憶はある。だけど、もしそんなめちゃくちゃコワイ話が本当だとしても、別にわたしが何をしてようとわたしの自由じゃないだろうか。わたしと臨也は付き合ってるわけでもないし…そう、付き合ってるわけじゃない。曖昧な関係という名の都合の良い関係だ。「…ねぇ聞いてる?」

「事情があったにせよ俺を置いていきなり逃げて、すぐに違う男を引っ掛けるっていうのは淑女のたしなみとしてどうかと思うな」

「別に関係ないでしょ…っていうかアンタさっき、彼氏って言った?いつの間にわたしの彼氏になったの」

「今更そんなこと聞く?今だよ、ついさっき」

「ハァ?」

頭がまったくついていかず、驚きのあまり間抜けな声をあげてしまう。
ハハッ、と笑った臨也はわたしの手からワイングラスを引き抜いて、ぐいっと一気に飲み干した。

「うわ、まずいね。コレ」

眉を顰めた臨也は、なんだかさっきよりずいぶん上機嫌になっているようで、なおさら謎が深まった。

「というわけで、君は彼女。今日から俺のコイビト。よろしく」

臨也は颯爽と立ち上がる。伝票をピラッと指で挟むと、わたしの手首を引っ張った。いきなりぐいっと立ち上がらせられて、わたしは足をもつれさせながら早足で、臨也の後ろをついていく。

「さぁ、そうと決まれば早く家に帰ろう」

臨也は謎の顔パスでレジを素通りしてトントンと踊るように店外へ出る。あの、優しそうな年増の店員が顔を明るくして驚いたように頷いている。さっきのナンパ男は楽しげにこちらに向かって手を振っていて、退店したと思っていた例のコワいお兄さんは臨也の顔を見ると青ざめたように道を開けた。世界が見違えるように生き生きと色づいて、温度をもって、ざわめいて、まるで魔法にかかったようだ。わたしはなんで臨也に対して怒ってたのかすらすっかり忘れて、地面を蹴飛ばしながら、転んでしまわないよう必死でついていく。臨也はかろやかに身をこなしながら、ふいにくるりと振り返って、一生懸命なわたしの姿を一目見ると、太陽が弾けたように笑った。わ、そんな顔はじめてみた。ざわっと全身に鳥肌が立って、身体が3メートルくらい浮きそうになった。街灯がきらきらと光って眩しくて、死ぬほどロマンチックだった。思わず臨也の首元に、跳ねるように飛びついて、ぎゅっとすがりつく。「どうしたの、めずらしく大胆だね」なんて笑いながら、臨也の両腕がわたしを支える。わたしはなんだかもう今すぐ死んだっていいなと思ったのだった。

「君はもうとっくに、非日常の世界の住人なんだよ」

「逃げられるはずないじゃないか」楽しそうにステップを踏む臨也の、機嫌のよさにのせられたわたしはくるくると踊るように新宿の街を走る。御苑前、三丁目から二丁目、花園神社、ゴールデン街から歌舞伎町。そして西新宿へ。あなたはわたしに最低最悪な夢を見せる代わりに、死ぬほどロマンチックな夜をくれる。


(21.04.26)



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