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くたくたで仕事から帰る。
そもそもサラリーマンなんて向いてないのよ。
キラキラ輝くスーツ、丸ノ内をひらひら踊るようなかっこいいバリキャリになってやる!なんて舐めた夢、妄想したことがないわけじゃない。だけどねえ、そもそも、わたしは仕事なんか好きじゃないし、社会的な活動自体、好きじゃあないの。だって強欲な人間だから。会社の意のままに動けば上がる手取り、たいしたことしてないのにこんなにも疲れて、ばかばかしい。

500mlの発泡酒をひとつだけ、コンビニで買った。マイバッグ、持ってはいるけど開くのも綺麗にたたんで仕舞いこむのも、今日ばかりは面倒なのでビニール袋も有料で購入して、そのままぷらぷら手に提げてきた。しゃりしゃりと鳴る音が軽快だ。ああ、もう帰宅するだけ。ほかにはなにもしなくていい。手ぶらな気分が、とてもいい。

乗り込んだエレベーターがきゅっと上昇して、やがて目的の階に到着する。
部屋についたらねえ、手を洗うでしょ。うがいをして、そしたらすぐにくたびれたスーツを脱いで、ほとんど同時にプルタブを開けるの。はしたなくてもいいの、下着姿で缶を傾けながらベッドにごろんとダイブする。誰もみてないんだから、ちょっとくらいはしたなくたっていいのよ。ねえ。ベッドサイドにあるナッツの袋を開けて、もぐもぐたべながら、ビールを身体に注ぎ込む。その多幸感をイメージしながら、フロアを歩く。あー、もう少し。

曲がり角を曲がるとやっと到着だ。
わたしの、わたしだけの自由への入り口!
もといマイルームのドア、の前。黒い影?大きい、黒い影がふさいでいる。どうやら猫のように丸く、何かがかがみこんでいるようだ。
青、深い緑、ちらりとのぞく玉虫色。


「…帝統?」  

わたしが気の抜けたままの声で呼びかけると、それはむくりと動く。

「おっせーよ」

うとうとしていたのか、目元をこすりながらふにゃふにゃした笑顔でこちらを見上げるのは紛れもなく、帝統だった。

「なんで怒りながら笑ってんの」

「なんかここすげー寒いんだよ」

「遅すぎっから絶対文句言ってやろうと思ってたのに、いざ帰ってきたと思ったら、うっかり笑っちまった」あくびしながらへらへらする帝統はぎゅっと身体を伸ばすように伸びをする。

「…用事は何?わたしねえ、あんたと違って忙しいの」

「へ?忙しいって?これから出掛ける用でもあんのかよ」

「ねーだろ、こんな夜中に」 帝統は純粋に不思議そうに、ほんのちょっとだけ不安そうに瞳をゆらしながらこちらを覗き込む。

「ある。部屋でひと目を気にせず、だらしなくビール飲む。」

「ンだよ、最高の用事じゃねぇか」

「そう。だから、用が済んだら早急にお引き取りください。」

「はぁ?マジで言ってんのかよ、一人寂しく凍えながら待ってたんだぞ」

帝統はめそめそと悲しんでいるふりをする。ああもうこんなの茶番だ。だってどうせこいつは、わたしが本当に締め出すなんて思ってない。へらへらしやがって。
わたしは扉の前にたどり着くために、帝統の身体を力任せにどかす。

「…そーいやおまえ、鍵変えたろ」

がちゃがちゃと鍵穴に鍵を差し込んでいると、帝統はやけにのほほんとした声でへんなことを聞いてくる。

「え、変えてないよ」

「そーか?なんか鍵穴の形が違う感じしたけど」

「…もしかしてピッキングしたの?」

「いや、いつでも開けられるように確認してるだけ。」

「どういうこと?!」

「だぁから、実際勝手に入ったことねーだろ。念のためだ、念のため」

「こわいし意味わかんない」

「おまえなぁ、俺よりもっとこえーもんに襲われたらどーすんだよ。」

「つーかピッキングされたくなかったら合鍵くらい渡せや」帝統は拗ねたみたいに呟くと、開いたドアを当然のように開けて、わたしよりも先に部屋に入る。乱暴に脱ぎ棄てるくせに、なぜかあるていど綺麗にそろって着地する、つるりとしたレースアップシューズ。わたしも続いてパンプスを脱いで、電気のスイッチに手を伸ばす。

「はー、腹減った!なんか食おーぜ」

帝統は流れるようにアウターを脱いで、断りもなしにどかりとソファに身体を埋めている。今日はナッツとビールだけ摂取したら逃げるように眠ってしまおうと考えていたので、ごはんの支度なんかしていない。いまさらキッチンに立つなんて、心底めんどくさい。

「おまえもメシまだだろ?」

「まだだけどさあ」

「やっぱり!なーなー、今日なに食う?」  

「"なに恵んでくれる?"の間違いじゃなくて?」

わたしは深いため息を吐きながら、ジャケットをハンガーにかける。帝統はふいにソファから立ち上がると、てくてくそばに歩いてきて、わたしの両肩に手をのせる。

「はっは、今日の俺はひとあじ違うんだよなあ」

振り向いたわたしの顔を、きらきらした笑顔で照らしてくる。まぶたが、ぐらぐらするくらい綺麗な瞳をゆっくりと隠す。帝統の目の色は本当にきれい。昏くて深くて、だけどいつもまばゆいほどに輝いている、玉虫色。
ぼーっと見惚れていると、とろけたように目線が合う。ほんの数秒間だけ。帝統はすぐにハッと目を見開いて、顔を赤くする。そういう、変なとこだけ妙に初心なの、ほんとに意味わかんない。わたしは思わず笑ってしまう。

「で、何がひとあじ違うのよ」

肩から手を離して目をそらしてバツが悪そうにしている帝統に助け舟を出すように尋ねる。すると元気をとりもどした帝統はほんのり赤い顔のまま「あ、ああ、そうそう!」と人差し指を立てた。

「今日の俺は、なんと!大富豪!」

「はあ?」

「例のシンジュクの賭場でやっと勝ったんだよ!しかもハンパない大勝ちだぜ?!マジで生きててよかったー!」

「ピザでもとるぞ!俺が奢ってやる!」帝統はポストから持ってきたらしいピザの広告を細身のパンツのポッケから取り出してひらひらさせている。わたしは帝統のことを見つめてふっと笑うと台所に移動して手を洗う。水を飲む。洗ったばかりの手を拭く。

「選び放題だぜ、なあ、ポテトも食う?」

ピザのチラシに見入る帝統は、しっぽが揺れるさまが見えるくらいに上機嫌。そんな姿を見ているとわたしまでなんだか機嫌がよくなってきて、買ってきた発泡酒のプルタブに手をかける。めんどくさいからグラスには入れない。そのまんま口をつけて、缶を傾ける。

「…あ!おまえ!先に飲み始めやがって!」

ぷしゅっという発泡音に気付いた帝統が声を上げてこちらに歩いてくる。気にせずごくりと嚥下する。うまい。あー、おいしい。
横目でちらりと見ると帝統はもうすぐそばにいて、後ろからわたしを包み込むように腰に手を回される。優しく、でもあまりに強引に缶ビールを奪われる。 あっという間に。

「抜け駆けはゆるさねぇ」

耳元でいたずらっぽく囁くと、わたしの肩に顎をのせたまま、缶の中身をごくりごくりと飲み込んでいく。
ぴったりと寄り添われているから、帝統の身体の音が直接背中から伝わって、わたしの身体中に響く。空っぽの胃にアルコールを注ぎ込んだことによるさわやかで速やかな酔いも手伝って身体がふわふわと熱くなる。「ッはぁ、うめー」まるで息継ぎをするみたいに声を出す帝統のほうに体重をかけると、帝統は缶をもったままわたしをぎゅっと抱き寄せた。

「帝統、すきっ腹に飲み干すもんじゃないよ」

「そのセリフ、そっくりそのままお返しするわ」

交わす言葉はぜんぜん甘くなんかないのに、帝統のくちびるがふわりとこめかみに降ってきて、わたしはこれ以上ないほど幸せな気持ちになる。帝統の触れ方は、あまりにも男の子っぽいのに、ぜんぜんいやらしくない。だからドキドキしてしまう。ピュアで、真っすぐで、さらっとしていて、ぶっきらぼうで、優しいのに暴力的で、急ぎ足で。だけどいつも、夢のようにあたたかい。

「…ねえ、ピザでしょ」

わたしは流されそうになる身体にストップをかけて帝統に向きなおる。すると帝統も柔らかく細めていた瞼をうれしそうにぴかりと開いて、「おう!腹いっぱい食おうぜ!」と笑った。
その顔を見ていると、あんなにくたくただった身体の疲労がゆるく解けて、魂の底から生きるエネルギーが湧いてくるような気がする。まるで魔法でも使ったみたいに。


あなたは永遠の男の子。わたしが少女でも淑女でもきっとおばあさんになってしまっても、あなただけは永遠に男の子でいる。いつもぴかぴか光ってて、不器用で、ストレートしか投げらんなような、どうしようもなく愛おしい人。あなたのゆく道が、あなたらしい光に溢れていますように。あなたの人生が、刺激とスリルと栄光に溢れていますように。わたしがどんなに苦しく息をしていても、疲れていても、人生をうらみそうになったとしても、それだけはいつだって願ってやまない。そしてわたしなんかが願わなくたって、力づくでそうやって生きていく、あなたに恋してしまったらとまらない。それはもう、ルーレットのようにとまらない。

あなたは永遠の男の子。
あなたはわたしの、わたしたちの、光。


(21.03.30)



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