book | ナノ


イルミには敵わなかった。なにもかも。
一度として彼には敵わなかった。

家系の生業がおなじだったから家同士の付き合いもあって、小さいころから知っている。わたしのほうが2つも年が上だから、それこそ、生まれた瞬間から知ってるのに、わたしは物心ついた時から一度でも彼に勝てたことがない。なにも暗殺の手際のよさや完成度の高さだけではない。知識も、戦闘も、毒への耐性も、すばやさも、意志の強さも、そして身長の高さや肌の色の白さまで、なにも勝てない。

だからある時から、嘘をついている。
イルミに真正面から向き合うのがどうしても難しくなったある時から、コツコツ嘘をつき続けている。それはわたしの小さな反抗であり、復讐だ。とはいえ彼は、イルミはわたしの嘘なんか気にしてやいないだろうし、どうってことないんだろうと簡単に予想がつく。だからこれはわたしだけの”ひそやかな”彼への裏切り行為。わたしにとって、彼はあまりに完璧すぎた。

もう何年も、そんなふうに過ごしてきたものだからわたしたちの会話は、まるで嘘といつわりの重ねあわせ。つぎはぎのように嘘ばかりついて、ひとつも本音を言っていない。最初はそれがたまらなく愉快で、イルミへの疎ましさからも解放されるような気すらして、心を楽にしてくれたのに、最近はとてもつらい。嘘をつき続けて、ごまかし続けて、短く言葉を交わすだけで苦しい。イルミの顔をみるだけで、悲しいような、悔しいような、苦しいような気分になるのだ。


「や」

徹夜でとりかかった仕事のあと。
屋敷に帰って自室に向かう廊下でイルミに出くわした。ぽん、と軽い、ボールのような声。無感情にこちらを向く手のひら。いつもどおりの挨拶。いつもどおりの、感情の読めない、真っ黒な瞳と真っ白な肌。わたしはそれらを一瞥してから「ひさしぶり」と返す。たいしてひさしぶりでもないのにね。
きっと次の仕事のかねあいでうちの父にでも呼びだされていたのだろう。近々ゾルディックの家とうちで、共闘の仕事があると聞いていた。

「珍しいね、疲れてるの?」

わざとらしく顎に手を当ててイルミが聞いてくる。

「いいえ、疲れてない、ちっとも」

とわたしは返す。もちろんいつもの嘘だ。
今回の仕事は思いのほか厄介でとっても疲れた。いますぐシャワーを浴びてベッドにダイブしたい。それが本音。だけど本音なんか言ってやりたくない。

「そ。じゃあいいや」

「そうだ、これ。君におみやげ」イルミは納得したようにうなずくと、どこからともなくぴかぴかした箱をとりだした。見慣れた箱。以前も渡されたことがある。ゴールドとオレンジの美しい包みでくるりとラッピングされたその小箱は、開けなくたって中身がわかる。わたしが以前、”嘘”で好きだと話したショコラトリーのオランジェットだった。

「なまえ、これが好きなんでしょ?」  

「たまには好物でも食べてゆっくりしたら」やけに優しい声で、わたしに話しかけるイルミはやっぱり虚無の渦のまんなかのような表情をしていて、悔しくなる。こんな、手の内をすこしも見せない嫌な奴に、本当のことなんか何ひとつ言ってやりたくない。向かい合いたくない、絶対見透かされたくない。だからわたしはイルミの前からとことん逃げる。それなのにイルミは、こうして気まぐれにわたしの”喜ぶであろうこと”をしてくる。優越感を得て、支配した気にでもなっているのだろうか?それならなおさら腹が立つ。
ビターチョコレートでつつまれた、ちくちくとした甘酸っぱい果肉を思い出して虫唾が走った。丁寧に煮詰められた厚いオレンジピール、かりっと薄くコーティングされたチョコレート。もうやだ。別に、全然好きじゃない。本当はわたし、身体ごと溶かしてしまうような甘い甘いキャラメルトリュフが食べたいのに。
  
「ねえイルミ。どうしてたびたび、プレゼントだなんて柄にもないことするのよ。いやがらせ?」

「柄にもない?」

「そうよ。だって、わたしのこと嫌いでしょ?」

「ふーん、そうなんだ。じゃあ、お前はどうなの?おれが嫌い?」

あろうことか質問を鸚鵡返しされて思わずぽかんとしてしまう。
そんなふうに問われるのははじめてだった。イルミは、わたしのことを何とも思ってないと思っていたし、わたしは、イルミのことを、疎んでいた。

初めてされる突飛な質問だって、わたしは嘘をつかなきゃいけない。嘘?じゃあわたしは今、なんていえばいい?
イルミのこと、わたし、好きなんかじゃない。ぜんぜん好きじゃない。それじゃあ今ここで気持ちに嘘をつくならば、”好き”と言わなきゃいけない?そんなの無理よ。嘘だとしても。いっそ大嫌いと言ってしまう方がずっと楽。でも、だけど、ううん、イルミのこと、好きじゃないもの。ねえ、なんて答えればいいの?わたし。
徹夜明けの疲れた頭はうまく回らない。一気に追い詰められてしまって、もうすべて言ってしまいたくなった。ぶちまけて、種明かししてしまいたくなった。わたしは馬鹿だ。自分で自分に勝手に枷をつけて、動けなくした。それでなんとか理由を付けて、あなたへの嫉妬を、羨望を、憧憬を、押しつぶそうとした。あなたへのこの復讐は、結果的にわたしへの重荷になっていた。どうしてだかわからない、だけどわたしは苦しいくらい、あなたのことが疎ましい。物心ついた時からずっとそう。あなたのことが。

すっ、と息をのむ。
くちびるを震わせる。
やっぱり勝てない。
どうあがいたって、わたしはイルミに敵わない。
限界だ、もう疲れてしまった。わたしはついに覚悟を決める。負けを認める覚悟を。

「ぜんぶ、嘘だよ」

なるべく平静を装ってそういうと、彼は顔の筋肉をすこしも動かすことなく、いつもどおりの無表情で口を開いた。

「ああ、知ってた」

ぽん、と軽い、ボールのような声。
身体中に衝撃が走る。
知ってた?知ってたって、なにを?

「うん。そんなの、知ってるよ。わからないはずがない。おまえが好きなのはビターチョコでもオランジェットでもなくてどろどろしたキャラメルの入ったトリュフだし、ココアクッキーじゃなくてバターたっぷりのサブレだろ?うん、おれがそんな簡単なこと、知らないはずないじゃない」

イルミは何度も噛みしめるようにうなずいて、最後には下を向いたまま顔を上げない。わたしはあっけにとられながらも、その様子にどこか不吉なものを感じて目を離さずにじっと見つめる。ひとつ静寂がながれて、その直後イルミは、廊下中に響き渡るような盛大な溜息をついた。あてつけのような、落胆のような、焦燥のような。大きな溜息なんて、初めて聞く。「ねえ」そう呼びかけられる。殺気のような圧力に、おもわずびくりと体が震える。

「わざわざ何年も何年も騙されてやってたのに、もうこの遊びはおしまい?結構気に入ってたんだけどな」

「だっておまえはおれにしか嘘をつかないでしょ。気分がよかった。おまえはおれにだけ、全部ぜんぶ裏返しの言葉を使う。悪趣味でいいよね。だからずっと騙されたふりして、じゅうぶん舞台が整ったら、いつかひとつずつ聞いてやろうと思ってたの。これ以上ないくらい意地悪な質問をたくさん考えてた。それなのに、もう終わり?ひとつめの質問でもう降参?こんなに長いこと下準備してきたっていうのに、まいっちゃうなあ。」顔を上げないまま、イルミはぺらぺらと口を動かす。

この男が多弁なときは碌なことがない。おそろしい。こちらを精神的に追い詰めようとしている。ひとつひとつの言葉を針のように刺して、わたしをゆっくり追い込んでいる。思わず脳みそのおくがぎゅっと熱くなって、目頭が痛くなる。こらえている涙が、恐怖であふれてくる。こわい、逃げたい。わたしが、彼を、イルミを、裏切って騙すことなんて、できるはずがなかった。こわい、苦しい。ここから逃げたい。

足音がゆっくり近づいてくる。


「なまえってさ、マゾヒストだよね。昔からそうだ」

「自覚、ある?」思ったよりずっと近くから聞こえる声に、はっと顔をあげると、すぐ近くまでイルミが近づいている。彼を取り巻く殺気のようなオーラが大きくなって、わたしに迫ってくる。こわい。全身ががたがた震える。

「おれに一杯食わそうとして、ずーっとばたばたしてる。無駄なのに。」

「でもそれがね、すごくいいって思う」イルミはついさっき渡してきたオランジェットの箱を、わたしの手から奪って、ころんと床に投げ捨てる。全身が震えているのに、心がどんどん熱くなる。燃えてしまいそうに熱いのだ。苦しい。逃げたい。助けてほしい。
でも、だけど、どうしてかここにいたい。


「ほら、ね」

にゅっとイルミの手が伸びてきて、わたしはもうどこへも逃げられない。さっきまで箱を持っていた手のひらをきゅっとつかまれる。イルミの白い指はひどく冷たい。氷のように冷たくて、細くて、それなのにわたしを操るように手繰り寄せる。
指先がふれあって、体温が溶け合う。イルミに触れるのは、いつぶりだろう。ずいぶん久しぶりに触れると、ずっと近くにいた気がする。ずっと、こうして触れ合っていたように錯覚する。

「やっと捕まえた…どう?うれしい?虚勢や意地をぜんぶ踏みにじられて」

「無様に抱きすくめられて、こうやって、おれに見下ろされてさ。」知らぬ間に抱き寄せられていて、わたしは声の主を見上げる格好になる。いつの間にかぐんぐん伸びた、イルミの背丈。
こんなに大きくなったんだ。わたしはこの人に勝てない。圧倒的だもの。生まれた時から知っているっていうのに、知らないうちに、この人はどんどん大人になる。わたしを追い越していく。ずっとそう思ってた。それがどうしようもなく、さみしくて、悲しくて、やりきれない。


ああ、そうか。
わたし、好きなんだ。
イルミにずっと、恋してるんだ。
物心ついてからずっと。敵わないと気づいてしまったのと、ほとんど同じ時からずっと。
だから今、こんなに怖いのに、こんなにドキドキしてるんだ。

そう自覚した途端、倒れそうなほどの疲労も、眠気も、彼に対するすべての恐怖も、魔法のように消え去った。


「おまえはさ、おれに貶められるのが、好きなの?」

ばかね、違う。
本当はぜんぜんそんなんじゃなかったんだよ。
わたしもあなたも不器用ね。
わたし、一足先に気づいてしまった。
心が急に凪いで、静かになる。イルミの目をじっとみる。わたしを見下ろして、得意になって、見透かしたような顔をして。まるで背伸びした子供みたいに見える。
わたしが思わずくすりと笑うと、イルミは珍しく不服そうに表情をゆがめた。そのゆがみに、あどけなさを垣間見る。ふてくされている。かわいい、わたしね、そういう顔が見たかったの。「ねえ」

「イルミ、好きよ」

笑顔のままでそう告げると、イルミはぴたりと挙動を止めて、虚を突かれたような不思議な表情をする。くるくると黒目を動かして、わたしをじっと見る。  

「なにそれ、またお得意の”嘘”?」

「どうだろう」

「焦らすの?なまえのくせに」

ああ、やっぱり。わたし、本当は、あなたのそういう顔が見たかった。年相応の、少年みたいなその顔が好き。ぜんぜん背伸びしていない、無理していない、かわいい顔が好きなの。なのに、なのに、あなたって、昔から。

「…なんか腹立つけど、ま、いいか。」

「珍しくおれのこと、見てるみたいだしね。」ほんのりと目元を緩めて、イルミは笑った。
本当に笑ってるのかどうかわからない、ごく小さな変化だったけれど、たしかに彼は笑っていた。ほんのたまに、思い出したように機嫌をよくしていた、昔の、小さい頃のイルミを思い出す。わたしきっと昔っから、厄介なあなたのことが大好きだった。あなたの真面目さ、神経質さ、薄いまぶた、きれいな指、生まれた時からずっと頑張り屋さんなところ。かわいいかわいい、完璧なあなたの、さまざまな隙間。わたしだけには教えてほしい。かわいいかわいい、イルミ・ゾルディック。誰でもなく、あなたのことを。
隠さないで。怖がらないで。ひっそりこっそり見せてほしいの。


(21.03.04)



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