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「あなたはきっと、僕のことを、骨の髄まで駄目にしてしまう、そういう人だったのでしょうねえ」


彼は何事もなげにつぶやいた。下弦の月がうすく白んで、まるで嘘のような夜だった。


「だから僕は、こうしてあなたを、手放せなくなってしまったのでしょう」


あなたの背中だってまるで、嘘のように光っているから、わたしはこみ上げてきた苦いものを、飲み下すのにばかり必死になった。あなたはなにをいってるんだろう。わたしにはとうてい理解できかねるので、なんにも知らないおばかのふりで、寝返りをうつ。わたしはいつまでたっても子供で、あなたばっかりが大人であるのだ。


「ほうら、そうやって、あなたはいつも逃げるんだ」


「僕がせっかく熱い愛の告白をしているっていうのになあ」彼は笑って、こちらを向きなおした。わたしはそれを、寝たふりでごまかす。長い長い細い指をつかってわたしの髪をすいてくれ、それからまつげをやさしく撫ぜた。まるで慈しむように、ひとつひとつを丁寧に触れてくれる彼の指は、わたしには勿体ないとおもう。わたしは純真無垢なわけでも、壊れてしまいそうに儚いわけでもなく、むしろ、ひとをも殺せる力を持った、こわいこわいきたない女であるのだから、嫌になる。あなたはすこし、甘すぎるのよ、と叫びたくなる。いつまでも彼は、わたしを優しく見くびっている。だけれどわたしは一方愚かで弱いので、そのままに、彼がわたしを愛し続ければいいのにと願う。あなたとわたしの間には、恐怖と希望が共存している。
あなたに捨てられてしまうのが、わたしはただただこわいのかも、しれない。


「喜助」

「あ、やっぱり起きてた」

「喜助、喜助」

「…はいはい、だいじょうぶ、ここにいますよ」


わたしは頭が悪くって、ほんとになんにもできないの。あなたがいなければきっと、明日の方向すらわからない。それをわかって欲しかった。ずっとずっとわかって欲しかった。だけど、それなのに、幻滅しないでずっとここにいても欲しかった。だから見ないでくれと頼んだ。わたしを見たら嫌いになるよ、なんて、バカみたいなことをたくさん言った。


「こわいの」

「だいじょうぶ」

「こわい」

「安心してください、ね、僕がちゃんと、ここにいますから」


彼はわたしを背中から抱きしめて、耳のすぐ横で息をはいた。彼の鼓動のちいさな揺れが、肩甲骨に伝わってきて、なによりもずっと落ち着いた。胎内にいるような錯覚すらして、彼の腕に必死ですがった。泣き顔だけは見せたくないから、したを向いた。


「あなたは本当に、いけない人だ」


彼はたのしそうに苦しそうにして、腕の力を弱めてしまう。するすると、するすると滑る。わたしはそれが寂しくって、もっと抱きしめてほしくって、彼の方を向いた。いきおいよく彼の首に腕を回して、彼が、涙に気づかないようにと祈った。


「やっぱりあなたは、僕をぐちゃぐちゃに、駄目にしてしまう」


ね?と笑った彼は、観念したようにわたしの頭を撫でてくれた。あんまりにもその手のひらが暖かくって、幸せで、わたしは昔をおもいだす。そうだ、理なんか破ってわたし、あなたと堕ちてゆこうと決めた。頭をつかうことなんか放棄してしまってわたし、あなたを信じて違わないと決めた。あなただって覚えてるでしょ、あなただってわかってるでしょ。


「…ねえ、喜助、わたしもちゃんと、駄目にして」


創成期からわたし、あなたと2人だったとおもうの。






サッカリンのしろ(13-04-10)



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