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※折原臨也の"好きな言葉"は公式より『人間の事を、あの人は善人だのこの人は悪人だのと区別するなんて馬鹿げた話だ。人間とは、魅力があるか、さもなくば退屈か、そのどちらかなのだから』(オスカー・ワイルドの戯曲より)と設定されています。


◎◎◎


”彼女は眠くてたまらないのだが、本当に必要なのは、昆虫の首飾りやガラスの腕飾りに囲まれて美しい星で寝ることだろうか?”
(アンドレ・ブルトン『溶ける魚』より)

・・・


わたしにとってはごく普通の、
なんでもない午後だった。

なんでもない日々こそ大切であるとはよく言ったもので、わたしはただの、一見なんでもない時間をとても重要なものであると考える。
義務なく自由に過ごすべき時間というのが、1日のなかにはわずかでも必要なのだと思う。少なくとも、わたしには。

本棚にしまってあった、馴染んだ本のページを開く。
初めて読む本を開く瞬間も、わくわくしてちろん好きだけど、すでに何度も開いたことのある本は、特有の安心感がある。それにほっとするさまは、ひどく自分らしいなと思う。


ページをいくつかめくっていると、
同じ部屋にいた臨也が、どことなく不満そうな顔をしてこちらを向いた。
自分は頻繁にわたしをほったらかしにするくせに、こちらが彼をほうっておくと、露骨に不機嫌そうな態度をとる。
「おれが珍しくじっとしてるんだからちょっとは気にしなよ」とでも思っているのかもしれないが、そんなのは関係ない。わたしにはわたしの時間があって、予定がある。だからわざと気にしていないふりをして、もくもくと本を読み進める。

臨也は隣にすわってこちらを横目で見つめていたが、しびれを切らしたようにわたしが読んでいる本の背表紙を勝手にぺろり、とめくる。そして「ふうん」とつまらなそうな声を漏らす。

「ブルトンねぇ。君、いまさらシュルレアリスム文学なんて読んでるわけ?時代錯誤も甚だしいな」

「いきなり邪魔してきて、文句言うの?わたし、ブルトンのこと、ちょっとだけ好きなの。臨也はオスカー・ワイルドが好きだったでしょう?」

「君はすぐにそうやって、芸術家を人格の方から捉えるね。…ちなみにおれはワイルドの作品群が漠然と好きなんじゃなくて、彼の戯曲の一部に思想的な親近感を覚えてるだけだよ」

「そうなの?じゃあ、ブルトンは?」

仕方ない、おしゃべりするか。
このひとが満足するまで、少しのあいだ。
まったくもう、ほんとに傲慢なんだから。と、わたしは心の中で悪態をつきながら、本にしおりを挟んで、紅茶をすする。

ほんのりと温度の残った、だいぶさめてしまったマグカップ。


「ブルトン…」臨也はふむ、と考え込むように、わざとらしく顎のところに指をのせる。わたしが本を閉じたのが、いたくうれしかったようで、口角をやわくあげている。

「まあ、シュルレアリストのくせにというか、だからこそというか…とにかく、ロマン主義がすぎるよね。知性にかまけて韜晦することを、芸術であるとでも思ってるんだろうね。絶対に言うべきことを、あえて言わないで。それってさ、なかなか醜いやり口だよ?…決して自分でトドメを刺さない殺人鬼みたいだ。」

呆れたように肩をすくめながら論評する臨也を見て、わたしは思わず苦笑いしてしまう。「それって、」

「なんだか、まるで臨也みたいね」

「は?」

「たしかに、ブルトンって臨也によく似てる。だからちょっとだけ好きなのかも、わたし」

わたしがそういうとわかりやすく眉をひそめた。

「…君はほんとに失礼だねえ」

「失礼っていう方がブルトンに失礼よ、臨也」

「そこじゃない、”ちょっとだけ”っていうのが失礼だって言ってるの」

「やっぱり。本当は好きなんでしょう、ブルトン」

わたしが笑みを隠せずにそういうと、臨也は気まずそうに口元に手をやった。

「…うるさいな」

「好きなくせに。知的で卑屈で強情で傲慢で、だけどスタイリッシュで求心力があって、臨也みたいだもん」

臨也は「やれやれ、君と話してるとろくなことがないよ」と思ってもないことを言いながら、ため息をついた。
今だってそう、この時間を愉快に感じているくせに。このひとは。


「…たしかに、中学校の図書室で”溶ける魚”を読んだ時は身体が熱くなったよ。もしかしたらあれは、共感性羞恥ってやつだったのかもしれないね」

「まったく、君はすぐそうやって俺のことをわかった気になってさ。興味を持たれるのはやぶさかじゃないけどここまでくると不快だよ」と早口で言い切ると、汚いものを見るような眼で、しらじらしく睨んでくる。わたしにはそれが、照れ隠しだというのがよくわかる。
臨也はいつも素直じゃない。


「だいたい正しかったでしょ?わたしのことだって、大好きなくせに。」


わたしが笑うと、臨也も一瞬だけ悔しそうな顔をした後、「すごい自信だね」とにわかに笑った。


表ではちょうど17時の鐘がなっていて、わたしはこのまま年月がすぎていくことをやけに愛おしく思うのだった。


先のことなんてどうだっていいけど、
今を美しくいきたいの。

過去のことなんて崩れていくけど、
あなたのことだけ慈しんでいたいの。

そんな考えが単にシュルレアリスティックな思想の産物だというのなら、
わたしはそれで、結構だもの。

退廃的でかまわないもの。


・・・

"泉(source)が入ってくる。泉(source)は街を駆けまわってわずかな日陰を探した。"
(アンドレ・ブルトン『溶ける魚』より)

※ここでの「泉」は、単なる泉ではなく、抽象的な「泉」。つまり世界の根源の比喩表現である。



(21.01.02)



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