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「砂糖とミルクは不要でしたよね」

「あ、はい、大丈夫です」


アズール先輩に呼びつけられたので、わざわざオクタヴィネルに赴いたのだけど、運悪く今は外出しているとのことだった。
対応してくれたジェイド先輩に相談すると「それでは商談室でお待ちになっては?お茶を淹れますので」と丁寧に奥の間へ通してくださった。
知り合った時からこのひとの胸中はどうしても伺い知れないのだけど、なんだかんだ、わたしによくしてくれているし、今のところ危害を加えられることもない。アズール先輩よりもずっと温和に、辛辣な言葉を使うことなく接してくれるし、フロイド先輩に比べればずっと柔らかく、丁寧な姿勢で接してくれる。それはとってもありがたいのだけれど、不意に、そう、不意に。
目があったり、手が触れたり、肩が触れ合ったり、そういう機会が多い気がするのだ。
もともとパーソナルスペースが狭いひとなのだろうかと思って観察してみても、そういうわけじゃないようだった。双子の兄弟であるフロイド先輩の言動と比べてみればそれはさらに明らかで、ジェイド先輩は、普通であれば余裕がありすぎるくらいに他人と距離をもって接している。


「先日はまた厄介ごとに巻き込まれていたようですね」

「ふふ、ジェイド先輩ほどではありませんけどね」

「アズールがやけに心配していましたよ」

「うそ。アズール先輩はわたしのことを心配なんか、しないでしょう?」

「そうですかねえ。まぁ、僕はとっても心配していましたが」


うつくしすぎるくらい優雅な手つき。
ポットがあたためられて、茶葉がふわりと溶かされて、そしてカップに褐色が満たされる。
ほかほかと立ち上る湯気が、視界を白く染めていく。


「…ねぇ、ビオトープって、ご存知ですか?」


カップが面前に置かれたのとほぼ同時に、ジェイド先輩のつめたい指が頬に触れる。
それは実ははじめてのことではなかったのだけれど、あまりに唐突に、そしてあまりに自然な流れで、するりと撫でられたので、思わずびくりと肩を揺らす。


「ビオトープ、ですか?」

なるべく平静を装って、返事をする。
声の震えが心配だったけど、なんとかしずかに答えることができてほっとする。動揺しているとバレたら、ひとのみに食べられてしまう。そんな気がするのだ。いっしゅんだって気を抜けない。そんな。

「ええ、ご存知ないのなら結構ですよ」

「むしろ都合がいいくらいです」なんて笑いながら、先輩はいささか含みのある言い方をするものだから、わたしの中のちいさな猜疑心が顔を出す。
じっと、先輩の目を、真正面から見つめる。

先輩の右目は冷たい鉱物のようなのに、
左目は、熱いハニーパイみたい。
とろりと溶けていて、洋梨、白桃、それとミネラルの香りがする。
ふだんは鉱物のほうがらんらんと凝らされているのに、なぜか、わたしに触れる時、ハニーパイのほうがきらりと輝く。わたしはそれを見逃さない。
ほら今日も、左目がじりじりと、こちらをとらえて離さない。

「おや、そんなに見つめられると緊張してしまいますね」

「先輩が、あやしげなそぶりをするからです」

「いやですねえ、あやしげだというのなら、それはきっと元からですよ」

「他意はありません」だけど、ジェイド先輩はそれ以上わたしに触れない。両手を顔の近くでひらひらさせて、まるで身の潔白を主張するように朗らかに笑っている。


「先輩、いま、話、そらしましたね?」

「ふふ、バレてしまいました」

「”ビオトープ”です!」

「ええ、そうでした、ビオトープ」

先輩は困ったように微笑みながら、わたしに紅茶をすすめた。
ふう、カップのふちで一息ついてから、ほんのひとくちいただくと、先輩はわたしの隣に腰かけた。すこしだけ目元をゆるめる。


「どうしても聞きたいですか?」

ジェイド先輩は念押しのように尋ねる。

「そこまで言われて、聞けずに帰るのはイヤです」

「強情ですねえ。後悔、しません?」

この期に及んで、ずるい質問だと思う。
最後の最後で選択権をこちらにゆずって、自分は責任から逃れようとするような、嫌味なやり方。いままで、ジェイド先輩はわたしにはいつでもほのかに優しかったので、なんだか裏切られたような、すこし悲しい気分になってしまう。
これまではいつもなんだかんだ、可愛がってくれてたのにな。そんな先輩を、すこしだけ、ジェントルで素敵なひとだなと、ほんのすこしだけ、思っていたのにな。
一人で勝手に傷ついて、ばからしい。

「…後悔なら、これ以上しません」

「おや?なんだか僕、嫌われました?」

「いいえ!お気になさらず」

「尚更気になってしまいますね…まあ、これ以上嫌われるくらいなら今ここで話してさしあげましょう」

ジェイド先輩はわざとらしく悲しそうな顔をして、それからひとくちぶん、ティーカップにくちをつけた。


「ビオトープ、もとはといえば生物の生息空間という意味の言語らしいのですが、生態系を水槽の中で再現して、循環させることを意味するんです」

「生態系を、循環?」

「ええ、水槽の中にちいさな世界をつくるというわけです」

「なるほど…」

「ピンときてます?”山を愛する会”の展示でも出展したんですけどね、苔や小魚たち、水生植物なんかをみんなで共生させるのです」

「そうすると、どうなるのですか?」

「自給自足して、生態系が連鎖して、その水槽の中だけですべてが完結してしまう。つまり、ほかの世界が不要になるのですよ。」

「わかりますか?」ジェイド先輩はなぜか不敵な笑みをわたしに向けて、説明をやめる。


「それで、ここからが本題です。とても聞きづらい、さもしい話ですが、聞いていただけます?」

「ええ、はい」

「…ふふ、僕はあなたの、そういうところが好きですよ」

「決して恐れがないところ。」先輩はそういうと、ぐっとわたしのほうへ顔を近づける。


「僕はね、あなたを、僕のつくったビオトープの中にいれてしまいたいな、と思っていまして。」

「要するに、すべての外界を、あなたにとって不要にしてしまいたいのです」もう数ミリで、距離が0になる。その距離で先輩は低く、あまやかに囁く。


ぴーっと、向こうで、
止め忘れたケトルのお湯の、沸く音がする。

先輩はそんなの気にも留めず、ハニーパイの左目で、ミネラルの香りをさせながら、ぼうっとわたしを見つめている。


「あの、もしかして、愛の告白を、されていますか…?」

しぼりだした声でなんとか紡いだ言葉がそれだった。
先輩は体勢をもどしてわたしから離れると、今日一番の笑顔でにこり、と笑った。


「ええ。さながら世界でいちばん熱い、愛の告白です。」

温度のない声がわたしの鼓膜に響く。
先輩はおもむろに立ち上がって、さっそうとケトルの火を止めた。


「まあ、告白というよりも、宣言ですかね」


さっきよりもずっと熱い声色で、ジェイド先輩はそういうと、知らない間にこちらへ近づいて、手品のように手を取って、顎をつかんで、触れるだけのキスをした。

"逃がすつもりはありません。"


吐息と一緒にはきだされる言葉が甘い。

ああ、やっぱり左目がとろりと溶けている。
果物と、あやしいミネラルの香りがする。



循環していく愛の事情


(21.01.02)



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