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 他の人とは比べものにもならないような、美しく洗練された動きを、食い入るように見つめていた。立ちはだかる人をひらりと華麗にかわす姿には息が漏れる。一瞬たりとも見逃すまいと、躍起になっていた。どうすればあんなにきれいなヒールキックが出来るんだろう。巧みに白黒の球を扱う足の動きには、わたしには想像すらしえないものがあった。

 ようするに、彼女に見とれていたのだ。身体なんて動かす余裕もないくらいに。





「ばっかじゃないの!」

 眉をつり上げて怒りを露わにする彼女にわたしは返す言葉もなかった。脳内を占めるのは、痛い、すごかった、怒ってても顔はかわいいんだなあ、とか、そんなの。じんじんと痛む右側頭部に手のひら、膝小僧。鈍くさい、と罵声を浴びせられるのも至極当然のことだと思った。

 彼女がフィニッシュを決めようとしたときも、わたしの身体はぴくりとも動かずに眼だけが彼女の動きを捉えるために働いていた。名前を大きく叫ばれた瞬間、金縛りが解けたかのように身体を震わせて、なんとか顔を背けて屈もうとしたが、それ以上に相手の動きは素早かった。見事に右側頭部にクリーンヒット、わたしの身体は少々ふっとんで、膝と手のひらから着地。負傷。現在に至る。


「あれくらいなんで避けられないのよ!」
「ごめんなさい…」
「顔に当たったら大惨事だってのに」

 わたしに対する怒りや文句はどれだけ表しても余りあるようだ。頭を垂れるわたしに彼女はやりきれない怒りをため息に混じらせた。


「一人で大丈夫だから、その、皇さんは戻ってて良いよ」

 わたしなんかに付き合って彼女の時間を潰してしまうのは悪い。申し訳ない。彼女には全くと言っていいほど非はないのに。強いて言うならば、彼女のボールさばきとその脚力がすばらしいがために罪を被ったのだ。
 せめてものわたしの気遣い、と思って口にした言葉は彼女の怒りをさらに買ったようで、校舎内の廊下に立ち入っているにもかかわらず、「はあ!?」と大きな怒声をいただいた。その声の大きさにわたしは身を縮こまらせて、罰が悪いように目を彼女から背けた。


「ケガさせたのは誰だと思ってんの!それくらいの道徳はマキにだってあるわよ」

 ぎろりと鋭い眼光を受けて、わたしはさらに小さくなる。彼女はわたしの手首を掴んで、すたすたと歩きだした。それに引っ張られるように、わたしは痛みで覚束ない足取りで彼女の背中についていった。





「うそ、いないの」

 彼女の困惑の声色の先には、「病院の付き添いで先生は居ません。何かあれば職員室へ」という紙が貼られていた。一つため息を吐いてから、彼女は引き戸に手をかけた。中に入ると、確かに誰もいない。電気もついておらず、窓から入る日光のみが明かりの一室は、ほんの少し薄暗かった。


「ほら、そこで傷口洗って」

 水道を指さして、彼女はそう言った。間髪入れずに消毒液やら絆創膏やらを探し始める。待たせてはいけない、わたしはすぐに傷口に冷たい水を流し当てた。手のひらは多少の痛みを感じる程度だったが、膝小僧の傷はそんな甘い世界には存在していなかったらしい。声にならない痛みで思わず足を引っ込めた。すぐに自分を律して弱い水流に膝を差し出す。痛むがそれどころではなかった。砂をはらって、傷口をきれいにしていく。洗い終えると、椅子に座って彼女を待った。
 彼女は必要なものを手に取ると、わたしの元へやってきて、ひざまずく。消毒液のキャップを開けながら彼女は口を開いた。


「悪かったわね」
「え?」
「ケガさせて。しかも膝なんて」
「べ、別にそんなに気にしなくても…」
「傷が残りやすいのよ、膝って」

 時折唇を噛みしめながら、彼女はぽつりぽつりと呟いた。彼女にそんな思いをさせていると言うことがわたしに重くのしかかり、申し訳なくなる。皇さんは悪くないのに。


「わたしのせいだよ、皇さんのせいじゃない」

 わたしがそう言い終わるなり、彼女は消毒液を傷口に吹きかける。声に出してはいけない、と思って拳を固く握りしめてなんとか耐えた。消毒液が一筋降りていくのを軽くふいてから、軟膏を塗られ、最後にガーゼをあてられた。彼女は何も言わなかった。ただわたしの傷口を見つめて、手を動かすだけ。そんな彼女にわたしはかける言葉が見つからず、耳に届くのはグラウンドに居る女の子のきゃあきゃあという声だけだった。

 膝の手当が終わると、彼女は顔を上げた。ばっちりと目が合い、一瞬目を丸くした後、細められる。なに?と彼女にしては低い声が耳に届いた。


「いや、あの」
「どうせ意外だ、とか思ってるんでしょ」
「え、と、なんのこと…」

 彼女の言う意味がうまくかみ砕けなくて、困惑する。わたしが曖昧な返事をしたためか、彼女はまた目を伏せて、今度はわたしの手に消毒液を吹きかけた。痛みで手が震えた。彼女はそれに動じることなく、先ほどと同じようにすすめていく。彼女が口を開かない間、わたしは言葉の意味のあらゆる可能性を探しだした。

 慣れた手つきに意外だ、という可能性は低いだろう。これぐらいは誰にでも出来るし、別に彼女は不器用なわけでもない。だとすると、と思考の転換をしたところで、ふと女の子の影がちらついた。同じクラスの、わたしでも皇さんでもない、一部の女の子たち。ああ、そっちか、と導き出した答えが正しいか分からないのに、何故かわたしの脳内で絡まった糸がするすると解けていった。


「ちがうよ」

 妙に確信を得たせいか、わたしの口調ははっきりとしていた。彼女が顔を上げる。両手にはすでに絆創膏が貼られていた。


「わたし、皇さんのこと、そんな人だと思ってない」
「…なにがよ」
「そんなこと思ってるの、ごく一部の女の子だけだよ。みんながみんな、そうじゃない」

 揺れる彼女の瞳を、わたしはしっかりと捉えた。彼女の声がすこし上擦っているように聞こえたのは、都合の良い耳のせいか否か。彼女は下唇をきゅっと噛んだ。一瞬目を伏せて、立ち上がる。わたしはずっと彼女の瞳から視線を外さなかった。立ち上がった彼女と再び視線が絡み合うと、彼女は一瞬身体を強ばらせて、ためらいがちに白くて細い手を伸ばしてくる。その手の意味が、右側頭部に触れるまで分からなかったけれど、わたしは素直に受け入れていた。


「たんこぶ、出来てる」
「…あ、ボールが当たったから」

 右側頭部の存在を思い出すと、急に痛みを感じ始める。彼女の手が離れて背を向けられると、患部に手を添えてみた。少しふくれて熱を持っているみたいで、ああなるほどこれはたんこぶだと、改めて認識した。サッカーボールでもたんこぶ、出来るのか、なんてぼんやりと華奢な背中を見て思った。こんな身体からどうやったらあんな威力のボールが蹴れるんだろう。


「皇さん、サッカーすごく上手いんだね。わたし、みとれちゃったの」

 ポリ袋に氷を詰める後ろ姿にそう投げかけた。一瞬彼女の動きが止まり、再び動き出す。そう、とそれとない返事で話は途絶えた。彼女がくるりと身体を半回転させると、彼女が手に持つ氷袋が目に入る。


「はい」

 もらった氷袋を患部に押し当てる。ひんやりとした感触が心地よい。ありがとうと感謝の言葉を告げると、照れくさそうに目をそらす。


「皇さんは先に戻ってて良いよ。あと少しだけど時間あるし、わたしはゆっくり戻るから」

 微笑んでそう言ったのに、なぜか彼女の機嫌を損ねたようで、彼女は唇をとがらせた。あれ。首をかしげると、そんな気を遣わなくて良い、とぶっきらぼうに答えられる。でも、という反論は彼女の言葉で遮られた。


「ていうか、その、…皇さん、って止めない」
「…え」
「…マキで良い」

 答える前に向けられた背中に、ふっと肩の力が抜けた。どうしよう、と悩んだ刹那、行くわよと彼女に手首を掴まれ引っ張り上げられた。ゆっくりと歩きだす彼女の歩調に合わせてわたしも足をすすめる。ひょこひょことした不安定な足取りだったけれど、彼女のとなりを歩くにはちょうど良かった。


「ねえ」
「…なに」
「マキちゃん、わたし、サッカー教えてほしいな」

 左を見ると、彼女とまた目が合った。ぱちぱちと長いまつげを上下させる彼女は、やはりかわいらしかった。うーん、かわいくて運動も出来るなんて神さまはよほど彼女を気に入っているようだ。わたしにももう少し気を遣ってくれたらなあ。なんてばかばかしい考えは頭の隅に追いやってやった。そんな彼女に笑いかけると、彼女もふっと口元を緩ませて、口を開く。


「あんたに教えるのは骨が折れそうね」

 細められるまなじりが、緩められる口元が、紡がれる言葉が、すべてがわたしに高揚感を与える。自然にだらしなく緩む頬を抑えきれないままに、わたしはへにゃりと情けない笑顔を向けた。


「そうだねえ、わたし鈍くさいからなあ」

 そんな自虐的な言葉に、ふたり顔を合わせてクスリと笑みをこぼした。



太陽花菖蒲を添えて



//ラララさまに提出


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