book | ナノ






 荒廃した、ということばがぴったりになってしまったこの「まち」をあるくのが、日課となった。高くそびえ立ったマンションも、公共施設も、すべてただのがらくたとなってしまった。ここはたしか、あれがあったところ、と道なき道をゆきながら、あいまいになりつつある記憶をたどる。記憶を共有してくれるともだちはみんな疎開だとか言って、とおいとおい地に身をうつした。わたしは今日も、人影のみえない地上をあるく。




「なぎさ、くん」

 そんなことをくりかえして、何日かたったころだった。はじめて、生きているひとをみた。おどろきと感動から、声をかけると彼は柔和なえがおをうかべて受けこたえしてくれた。名前をきくと、渚カヲル、というらしい。わたしはそのときから彼を「渚くん」とよぶようになった。彼はわたしの名前をきかなかった。だから彼は、わたしのことを「君」とよぶ。
 渚くんにはじめて会ってから、ほんの少しだけ時間がながれた。渚くんはとてもやさしくて、ものしりで、同い年のおとこのことはおもえなかった。くわえて、絶対不可侵領域、みたいなうすいようでぶあつい壁がはりめぐらされている気がした。こういうわけで、わたしは彼からはあまり人間味というやつをかんじられなかった。

 彼は今日も、やさしい笑みをうかべる。


「やあ、今日も会ったね」
「渚くんは、いつもここでなにをしているの?」

 こんななにもない、がれきの山の上で。言おうとおもって、むなしくなってやめた。なにもない。ひともいない。変わりはてた、第三新東京市。彼はこの「まち」になにを見いだしているのだろうか。


「じゃあ君はどうしてここにくるの?」

 質問をしたのはわたしなのに、逆に質問をされて、めんくらった。その質問は、君はとおいところにいかないの、ときいているようだった。わたしにそんなきもちは毛ほどもない。


「ここにくるのは、渚くんがいるから。このまちにいるのは、みんなわすれてしまうから」
「わすれる?」

 首をかしげる渚くんをめずらしくおもいながら、わたしは首をたてにふった。


「学校も、登下校の坂も、駄菓子屋も、みんなわすれてしまう。みんなとおいところにいってしまった。とおいところにいきたくてもいけないひともいるけど、わたしはじぶんの意思で、ここにいたいの」
「いけないひと、って?」
「あの、おおきなロボットに乗っているひと。あのひとたちはたぶん、このまちからでられない」

 碇くんも、綾波さんも、惣流さんも、きっとにげだせない。ひとをまもるというのは、とてつもなくおもいもののようだ。のんきにまちを徘徊するわたしとはちがう。


「君はそのひとたちとともだちなのかい」

 いつものやさしい笑みだった。このえがおは、わたしのこころをじんわりとあたたかくさせる。

 首をよこにふった。あの三人とは片手でたりるくらいしか、しゃべったことがない。先生がよんでいるよ、とかそういうの。だからあの三人のことは、おおきなロボットに乗っているひと、というイメージしかなかった。相田くんや鈴原くん、洞木さんみたいになかよくなったら、なにか変わっただろうか。わたしは、いまここにいるのだろうか。学校がただのコンクリートの山となってから、一度たりともみていない三人をあいまいにおもいだす。彼らはいま、どうしているのだろう。ネルフとかいう組織の施設にとじこめられているのだろうか。安全なようでいちばん危険だとおもわれる、その場所に、身をおいているのだろうか。そしてまたあのおおきなロボットに乗るのだろう。わたしたち人類をまもるために。


「なかよくなってみたかった、かもしれない」
「どうして?」
「ふしぎなひとたちだったから」

 綾波さんは言わずもがな、碇くんはどこか影のあるおとこのこだったし、惣流さんは気のつよいふるまいの奥になにかがかくれているような気がした。みんな、渚くんよりはっきりとみえる、壁があった。人間味をおびない彼とはちがった、またべつの壁だった。なかよくなったら、壁の内側にむかいいれてもらえたのかな。


「その学校、案内してほしいな」

 唐突な提案だった。ここからはすこしとおいのに了承してしまったのは、時間をもてあましているからとか、三人のことをちょうどおもいだしていたからとか、めずらしいおねがいだったからとか、いろいろなことがかさなったからだ。わたしにとってはおもいでがつまった場所でも、渚くんにとってはただのがれきでしかない。いまだにとどまりつづけるわたしと、ふらりとこのまちにやってきた(わたしはなんとなく彼はこのまちの人間ではないとおもっている)渚くん。このまちに対するおもいも、おもいでも、ちがいすぎた。


「ここが学校」

 ふきとばされてきたもともとはなにかを構成していたがらくたが校庭をうめつくしていた。以前のようなすがたは、そこにはなかった。あついなか校庭をはしったのがとおいむかしのようにおもえる。わたしの記憶もいろあせてきた気がした。わたしがここに居すわる意味が、なくなる。妙な焦燥感がかきたてられて、渚くんをうながしてその場をはやばやと去った。



「もういい?わたし帰ろうとおもうんだけど」

 まだ日もたかいけれど、今日ははやく帰りたかった。渚くんがうん、と言ったので足を帰る場所へとむけてあるきだすと、またもや唐突なことばがきこえた。


「ついていくよ」







 わたしの住んでいたマンションは運よく原型をとどめてのこっていたから、わたしはそのままそこに住みつづけている。もし、ここが崩壊していたらわたしはとおい地に足をむけていたかもしれない。なんの因果か、わたしはとどまりつづけることをきめた。


「ひとりなんだね」
「うん。ほとんどのひとはこのまちから出ていったよ」
「どうしてそんなにここに居ようとおもうんだい」

 まっすぐなひとみだった。さぐりをいれられているような気分で、あまり良いここちはしなかった。そのせいか、うわずった声が出る。


「さっき言ったことと、あと…とおいところにいっても、変わらない気がする、から」
「変わらない?」
「だって、あのおおきなへんてこなやつをここでたおさなきゃ、だれもたおせないよ」

 綾波さんでも碇くんでも惣流さんでもたおせないなら、たぶんだれにもたおせない。それならわたしたちのゆくさきはきまっている。
 そうおもって、ふしぎな違和感をおぼえた。渚くんを今一度みる。なぜだろう。このひとがわたしたちとおなじ道をたどるとおもえない。あまりにみつめすぎたのだろうか、渚くんがなにかついているかな?とわらった。ううんちがうの。つづけてわたしはおもったことをすなおに告げた。


「渚くんはわたしたちとちがう気がして」
「はは、僕も君たちとおなじ親からうまれているよ。君と僕がおなじでないのはたしかだけど」
「渚くんから、人間味をかんじない」

 つくえひとつを隔ててむかいあってしゃべっているのに、なぜか渚くんとの距離がとおく感じる。渚くんはあの三人とはまったくべつのふしぎさをまとっていた。神秘さ、といったほうがただしいかもしれない。どちらにせよ、渚くんはわたしとはおおきく異なっているのだ。


「君はおもしろいことを言うよね」

 皮肉とか、いやみはふくまれていなかった。けれど、わたしはおまえは人外だと言ってしまった気がして、「ごめんなさい」が口からこぼれた。すかさず、おこってないよと渚くんはまたわらった。相変わらずきれいな顔をしている。わたしもつられてえがおをつくってみかけれど、渚くんのようなえがおになれていないのは明白だった。くやしいというか、残念というか、ごまかすように窓のそとに目をむけた。

 しゃべっているうちに、日がかたむいていたらしく、うすぐらくなっていた。渚くんをみると、わたしの視線の意味がわかったらしくまだいてもいいかときかれたので、うなずいた。



 ごはんをつくって、ふたりでしずかにたべた。だれかといっしょに食事をするのは、学校のおひる以来だ。だれかがいるという安心感がこれほどまでにおおきいものだとはおもわなかった。


「どうしたの?」
「あたたかくてさみしいの」

 よくわからない、といった顔をする渚くんにわたしはそれ以上なにもいわなかった。

 いなくなったともだちというものが、そこにあるここちだった。おもいでを共有できないともだちだけれど、いまのわたしにはその存在だけでもありがたいのかもしれない。


そうか、わたしはひとりになってしまったんだ。



「渚くんはどこにかえるの」
「自分のいくべき場所に、なすべきことをしにいくんだ」

 こたえになっているようで、なっていないよ、それ。けれど、渚くんの有無をいわせぬ雰囲気に、口をつぐんだ。少しの静寂がながれる。おはしとちゃわんがぶつかる音が部屋にひびいた。それからふたりとも口をひらかずに、そのまま食事がおわった。なにをするわけでもないこの静寂がむずかゆくて、ようやく口をひらいた。


「いやじゃなかったら、ずっとここにいてもいいし、いつきてもいいよ」

 はじめてあってから、そう日もたっていない上に、おとこのこにそんなことをいってのけたじぶんにおどろいた。急な申し出を、渚くんはどうおもうんだろう。彼のことだから、軽蔑なんてしないだろうけどやはり気をもむ。そんな心配をはねのけるように渚くんのやさしい声がきこえた。


「じゃあ、今日はここで過ごすよ」

 渚くんはなんでもお見通しのようにみえた。そのやさしさに一秒でもおおくふれていたかった。いつか、ううん、明日にでもなくなってしまいそうなそのやさしさをからだにきざみつけておきたかった。

 けれど、からだとこころは反対方向にうごいているようで、まぶたがぐんとおもたくなってきた。「ねむいの?」 その問いに、なんの意地か、すこしだけ、とこたえた。ねむくない、ねむくないよ。渚くんにというよりはじぶんにいいきかせているだけだった。


「きょうはもう寝なよ」
「ううん」
「むりしておきることないさ」
「それじゃあずっといてくれる?」

 渚くんはこまったようにわらった。こまらせているのは、わたしだ。渚くんにはかえるべき場所があるのに、ここにひき止めてはいけない。


「おきたら、渚くんはいなくなるでしょう。渚くんもどこかにいくんでしょう」

 それならわたしは寝ないよ。
 だだをこねる子どもとなりはてたわたしのあたまを渚くんはやさしい手つきでなでる。おやこのようだ。かすみがかってきた思考のかたすみでくだらないことに気がつく。


「むりしなくてもいいんだよ」

 やさしい声なのに、こころにおもくひびいた。むり、って、なに。むりしてるつもりなんかない。


「こんなにつよくおもってくれる住人がいるなんて、このまちはとてもしあわせだね。ひとりで、さみしいだろうに」

 渚くんが、わたしのかたい決意をするするとひもといていく。ねむりと手をつなぐのも、もう間近だ。渚くんって、ほんとにふしぎなひとね。あってまもないわたしのことをそんなにわかるのね。
 渚くんにまんまとほだされたわたしはゆらゆらとベッドにもぐりこむ。渚くんのえがおが、目にうつった。


「さいごに、君の名前をおしえてよ」

 さいごってなあに。それを聞くまえに、じぶんの名前をつげて満足してしまい、意識をてばなしてねむりをむかえいれようとしていた。


「なぎさくん」
「なんだい」
「ありがとう」

 さよなら。わたしはもうねむります。おきたらきっとあなたはいないだろうけど、さよならはこころにとどめておきます。たくさんのありがとうをまとめてしまってごめんなさい。もし、つぎまたあえたら、きちんとお礼を言います。
 そのときは、どうしてあのときわたしは渚くんに二度とあえないこころもちになったのか、おしえてください。







 あさひにてらされた部屋のなかには、やはりひとりぶんの人影しかなかった。なぜかはわからないけれど、わたしの名前をよぶあのひとの声が耳にこびりついていた。



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