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 なんてもろい関係をきずいていたのだろう、彼とこうやって素肌をさらし合うたびに、わたしはぼんやりとあのひとのことをおもいだす。ほんのすこしの罪悪感とそれに勝る勝利感にひたりながら。けれどあのひとと、そのとなりにいるかもしれない女の子の影がよぎると、やはりみじめになるだけだった。わたしがあのひとと三年以上も必死になってつなぎ止めてきた関係はいつ水の泡となって消えてしまうのだろうか。近いようで遠いおわりに向けて、わたしは歩く。


「なに考えてるの」

 彼のお得意のやさしい笑みが向けられる。なんにも、とほほえんで返すと、ふうん、と変わらず彼は笑みを浮かべたままだった。なにを考えているのか、なんてわかりきっているくせに。いたたまれなくなって、枕に顔を沈めた。


「あんまりほかのこと考えると、俺怒っちゃうよ?」

 あ、いまこわい笑顔を浮かべている。そんな気がして、わたしは枕から顔を離さなかった。触らぬ神に祟りなし。でも、どうせ怒らないでしょ。怒る理由も権利も義務もあなたにはないもの。怒らなきゃいけないのはあの人で、わたしだ。どちらもなにもしないから、こんな関係がうまれるのだ。

 どちらかが話を切り出せば、彼とわたしの、あのひととあの子の関係がおわるのか、それともわたしとあのひとの関係にピリオドが打たれるのか。後者をおそれているのは、わたしの小さくて強固なプライドと不安だった。わたしのことをあいしてくれるのは後にも先にもあのひとだけになってしまうんじゃないだろうか。
 一度必要してしてくれるよろこびを知ってしまったから、わたしはそれがたとえほんの一本のか細い糸になってしまおうとも、必死につなぎ止めている。たやすく糸をつなげ、切りとれる彼にはわたしのこの不安が分からないだろう。そうおもって、彼を一瞥する。そこには相変わらずの笑みがあった。どうやら彼はわたしにずっと笑顔をむけていてくれたらしい。


「だめだって言ってるのに」

 彼の腕がのびてきて、わたしの髪をやさしくなでる。笑顔とは裏腹に、ひどくやさしいそれにわたしは目を細めた。

 満足したのか、肩に手がおりてきて身体を横向けにさせられる。彼の顔が近づいてきて、わたしのくちびるをふさいだ。目を閉じて、されるがままにわたしはそれを受け止めた。頭の中は、まだあのひとがどんと居座っている。忘れられたら、楽なのに。わたしは自分で自分の首を絞めているのだろうか。


 くちびるが離れる。目をうっすらと開けると、面白くなさそうな彼がいた。ばれたのだろうか。身体をこわばらせると、彼は今度は鎖骨の下あたりに口づけた。つぎの瞬間走った痛みに身体が固まる。


「ば、か、なにして」
「えー?」

 にこにことあくどい笑みを浮かべる彼がにくらしい。こまるのはわたしなのに。ああでもあのひとは気付かないかもしれない。気付いても気にもとめないかもしれない。そんな考えが頭をかすめて、怒りでふくらんだ風船には穴があいてしまった。
 そうして再び降ってくるくちづけを受け止めてしまう。つぎ、あのひとにあったら、あのひとは変わらずわたしのくちびるを自分のものでふさいでくれるだろうか。そろそろあの子のものだけになってしまうかもしれない。ありうる可能性に眉をひそめる。


 彼にすべてをあずけていると、静まりかえった部屋に機械の振動音がひびいた。放っておこうとおもったその音はながくつづくので、電話なのだと気付く。彼の胸板を押して、離れようとする。しかしなかなか離れてくれない。くちびるが離れた一瞬のすきをついて、怒りを含んだ声色で彼の名前を呼ぶ。


「及川」
「……」

 無視して続けようとするおおきなこどもの後頭部に、わたしは拳をぶつける。いた、と言って彼は不服そうにようやく離れた。


「電話。かばんの中だから、とって」
「えー」
「いいから」

 はやくしなさいよ、なんて心中で悪態をつく。彼はめんどくさそうにベッドの横に置いてあったわたしのかばんを、かきまわす。目当てのものを見つけたのか、彼の手の動きが止まる。まだ振動音は続いている。ゆっくりと引き上げる彼をせかすようにたくましい背中をたたく。

 しかし彼はわたしに渡すことなく通話ボタンを押す。いやな予感に身構える。


「もしもしー?」
「…は、ちょ…」
「あ、彼女ね、俺の横にいるよ。ああでも出たくないんだって。会いたくもないし声も聞きたくない。別れようってさ」
「ちょ、ばか、やめ」
「それじゃーねー。女の子と仲良くねー」

 ぺらぺらと喋りたおして通話を終了させる彼にあ然。頭が真っ白になって、背中をたたいていた手がシーツの上に力なくおちた。未だわたしの私物を片手に操作する彼になにもいえない。


「この連作先を削除しますか?はーい、と」

 操作を終えるとそれを床に落とした。身体を反転させてこちらを向く彼は、何か文句でも?といった声がきこえるように笑っていた。

 わたしが必死につなぎ止めていたか細い糸を、こいつはたやすく切ってしまった。もしかしたら、と一縷ののぞみをかかえていたわたしは彼からみたら滑稽だったにちがいない。それでもわたしは。


「ね、怒るって言ったでしょ」

 悪びれのない笑みに脱力感しかない。きっとあのひとからはもう連絡はこないだろう。わたしがつなぎ止めていたのはそんなものだったのだ。わかっていたけれど、どうしようもないむなしさがこみあげて、わたしは彼に背を向けた。


「そんな顔しないでよ」

 わたしをつつみこむ腕はやさしい。気付いていたけれど気付かないふりをしていた。気付いてしまったら、受け入れてしまったら、あのひとに申し訳ないから。わたしのそんな義務感が及川をぎりぎりのところで拒絶していた。及川もそれを知っていて、わたしに本当のやさしさをみせなかった。


「ねえこっちむいて」
「……」

 及川の言葉は魔法のようにわたしをうごかす。ゆっくりと身体を反転させると及川は満足そうにくちびるをふさいだ。やさしいくちづけを受け入れる。わたしはどうしようもない人間なのかもしれない。


「あんなやつより、俺の方が何億倍もいいよ」

 どこかの世界からぬきとったような台詞にはずかしくなって、あたたかい彼の胸板に身をよせた。


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