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イヴの花を摘みとりたい(冬花)の続きです。同性愛表現あり。




 ごくごく普通のある日のことだ。その日がごくごく普通じゃなくなったのは、太陽が沈みかかってきてみんながそれぞれの帰る場所に歩き出すころだった。その日はたまたま本屋に用事があって、みんなとは別に帰ろうとしていた。一人だけ、わたしと同じ目的があるらしい人物を除いて。部活が同じで、わりと仲もよくて、目的が同じ。それならじゃあ一緒に行こうかというのが流れとしては普通なわけで、わたしの目の先には二人分の影がゆれていた。
 今日の授業や休み時間の話だとか、最近見たテレビ番組の話だとか、コンビニに出た新商品の話だとか、ごくごく普通の話をしているうちに本屋の目の前に着いていた。


「みょうじはなんの用事?」
「わたしはお父さんのおつかい。半田は?」
「俺は漫画の新刊」

 それじゃあ、と言ってその場でお互いの用を済ませるために別れた。


 半田は漫画コーナーへと姿を消したが、わたしはレジへ。父が予約していた本を店員に尋ねる。店員がパソコンで確認を取ってからほどなくして、業界じゃ有名らしいビジネスマンのエッセイ本が手渡された。わたしは本のタイトルを確認してから店員に礼を言って本屋を出た。半田が用を終えるまでその本をぱらぱらとめくっていく。「人生におけるビジネス成功法」というタイトルらしく、筆者の自論を元にビジネスのなんたるかの話を展開していた。どうせなら、人生における恋愛成功法とかなら良かったのにね。あの子の顔が浮かぶ。

 特に興味があるわけでもないし、本を鞄にしまおうと思った矢先に「お待たせ」と声がかかった。声の相手を確認してから、二人で歩きだす。


「何の本?」
「うーんと、ビジネス本かな。よくわかんない」
「難しそう?」
「わたしたちにはね。業界用語っぽいカタカナが多かった」

 そうやってとりとめのない話を続けていくうちに、人気が少なくなってくる住宅街にさしかかった。半田と別れる道で一度立ち止まって、また明日、なんて言おうとする前に、手首を掴まれる。背を向けようとしていた身体が少しだけ引き戻された。
 いきなりの行動にわたしは瞳をぱちぱちと瞬かせるほかなかった。


「ど、したの」
「今くらいしか言う機会、なさそうだから、言う」
「…な…なにを」

 射抜かれるような、まっすぐな瞳に息を呑む。その瞳のせいで、なんとなく言われることの予想がついてしまう。掴まれた手首が熱い。


「お前が俺のこと好きじゃないのは知ってる。でも俺はお前が、好きだ」

 なんの冗談よ、って笑い飛ばそうとしたかったけど、半田の真剣な声と表情がそれを阻止する。半田は冗談でこんなこと言うやつじゃないってことも知ってる。だからこそ、下手なことは言えなくなって、そうして言葉が失われていく。脳内を占めるのはあの子の顔だ。わたしはこの人の気持ちを受け取れない。半田のことは好きだ。でもわたしとこの人は同じ気持ちじゃあない。じゃあ言うことは決まっている。でも傷つけたくない。だって友達だもの。でも、傷つけない言葉って、なに。これからも今までどおりに戻れる言葉って、なに。足りない、言葉が足りない。わたしはこの人になんと言えば良いんだろう。


「ごめん」

 必死に探したのに、出てきたのはなんてことない、普通の言葉。わかんない。どうすれば良いのかが。


「わかってた。てか謝んな。なんか惨めになるだろー」

 口元は上がってるし、目は細められてる。でも笑えてない。笑っているようで、苦しそうだ。ごめん、ごめんなさい、傷つけたくないのに。そんな言葉を口にしたらまたこの人は苦しくなるだろうから、言わない。言えない。わたしの頭の中の言葉は失われたままで、もどかしさだけが募っていく。耐えられなくなって、下を向いた。するとやさしい手つきで半田がわたしの頭を撫ぜた。なんで気をつかってくれるんだろう。気をつかわなきゃいけないのは私のほうなのに。どんどんどんどんわけがわかんなくなって、思考回路がショートしそうだ。視界がゆらゆらと揺れてぼやけていく。「泣くなって」やさしい声が追い打ちをかける。


「なあ、いっこ聞いていいか」

 喋れそうにはないから、頭を縦に振って答えた。やさしい声で、半田は続ける。わたしの目の潤みは止まらない。


「お前の好きなやつって、久遠か」
「…まさか」

 的を射た質問にたじろぐ。反射的に答えた否定ではたしてごまかしきれたのか。ひやりと背筋を汗が伝うような感覚が身体を襲う。涙なんてひっこんだ。なんでわかったの、わたしってそんなにわかりやすいの、あの子にはばれてる、の?不安が大きな波となってわたしに押し寄せる。そのまま溺れてしまいそうだ。思いもよらない一言が、わたしを荒波へと投じた。

 わたしの否定の言葉で半田は納得したようなしていないような面持ちで、そっか、と呟くように言った。それ以上追及してこない様子を見て、わたしは安堵の息を漏らす。
 この気持ちが他人に知られてしまうのがとてつもなくこわかった。


「今日は、ごめんな」
「…なんで謝るのよ」
「はは、それもそうか」

 少しだけ笑った半田は、もう一度わたしの頭をやさしく撫ぜて、別れの言葉を口にした。手が離れていく。それがすこしだけさみしくなって、気づいた時には半田を呼びとめていた。驚いたようにこちらを振り向く半田に、呼び止めた勢いのまま上ずった声で問いかけていた。


「なんでそう思ったの」
「なんでって…見てたら、分かるさ」

 分かるさ、という一言が重くのしかかる。脳裏にはあの子とキャプテンの背中が見える。そうか、分かるんだ。この人も、わたしも、相手のことをずっと見てるから、分かるんだ。どこか妙に確信めいた「分かる」という一言に、わたしは諦めにも似た息を吐いた。


「もしわたしが冬花ちゃんのこと好きだったら、どうなの?」

 わたしの第二の質問に、半田は考えるように夜に変わりつつある空を仰いで、ふっと笑い声を漏らした。


「まあ…相手が誰であっても、お前が諦めるか、俺が諦めるか、どっちか先か勝負だよな」

 そういう半田の表情は、夕陽の逆光ではっきりとは読み取れなかった。夕陽がまぶしくて、目を細める。それじゃあと半田はわたしに背を向けた。半田が角を曲がりきるまで、わたしはその背中から焦点を外さなかった。まぶしすぎて、目が痛かった。




もしも、もしもね、わたしがふつうのおんなのこで、ふつうのこいができたなら、たいようもわたしにやさしくしてくれたかな


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