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 及川くんってなにが大事でなにがそうでないの。


 一度、そうきいてみたことがあった。すると彼はにこにこと営業スマイルという言葉がふさわしいすばらしい笑みをうかべて「ぜんぶ大事だよ」なんてすばらしくわかりやすいうそを、おしえてくれた。このひとの大事なものってきっとすくないんだろうなあ、という考えがぽっとうかんだのはたぶんごく自然なことだとおもう。それから、きっとわたしのことなんてそうでない方のカテゴリにつめこんでいるんだろう、とおもった。及川くんがそういうひとだということは、まわりのおんなのこよりほんのすこしながい時間をすごした経験値からわりだしている。わたしなんかたぶん及川くんにとって、まわりをうろつくおんなのこのひとりにしかすぎない。「及川くんの彼女」なんて、及川くんにとっての「彼女」なんて、そういうものなのだ。どちらがかなしいのかって言われたら、きっとどちらもで、ほんとうの愛をしらない及川くんも、ほんとうには愛されない「及川くんの彼女」も、かわいそうな存在なのだ。

 愛されたい、愛されない、愛されたい、愛されない、ひとりよがりな花占いをしてみればきっと最後にのこるのは、愛されない。そんなもんだ。及川くんとのレンアイは。みょうに達観したような気分になって、いやだな、と本能的に感じた。及川くんのことを考えるのはよそう。

 そうしてさいごに、そういえばちゃんと「すき」って言ってもらったことないなあ、なんて事実が脳裏をよぎった。




「なまえちゃん、おまたせ」

 にこにこにこ。そんな笑顔でわたしをお迎えしてくれた及川くんのうしろをついていく。そうすると、そんなうしろじゃ意味ないでしょと手をにぎられた。…こういうことはさらっとやってのけるくせに、肝心なことはなにも言ってくれない。及川くんにとっては手をつなぐことも、キスすることも、身体をかさねることも、なんてことないんだろうなあ。そんなおもいを抱えながら、おおくのおんなのこをとりこにした端正な容姿を見つめた。わたしの視線にすぐ気づいた及川くんは「なあに」とやわらかい声でわたしに問いかける。


「んーと…、とくになにもないよ」
「じゃあみとれちゃってた?」
「そうだね、それがいちばんちかいかな」

 そう言うと、及川くんはぱちぱちと目を開けて閉じてをくりかえしてから、「すなおだねえ」なんてくすくすわらっていた。その笑顔をいったい彼はどのくらいのおんなのこに向けてきたんだろう。わたしもそのひとりであって、それはとくべつなことなんかじゃない。わたしは及川くんにとってとくべつなんかじゃない。考えすぎかな、考えすぎだといい。


「こんどは下をむいて、どうしたの?」
「…及川くんにとってのとくべつって、なに」

 言うかまよっているうちに、ぽろりと口をついて出ていた。下をむいたまま言ってしまったことに気づいて、ぱっと顔をあげてへにゃりと笑ってみせた。あぶない、一歩まちがえればただのおもくてめんどうなおんなだ。こういう不安の吐露は、おたがいが愛しあっているからいとしいとおもうのであって、わたしたちは、及川くんはちがうかもしれないのに。不安じゃなくて純粋な疑問だよってことをアピールしたくてへにゃへにゃとかっこわるい笑顔をひたすらはりつけた。


「カノジョはとくべつじゃないの?」
「…それは及川くんが決めることでしょう」
「自分がとくべつだっていう自覚ないの?」

 及川くんの射抜くように鋭いひとみがわたしを突き刺した。なんでそんな眼でわたしをみるの。わたし、わるいこといってない。
 だってあなたが口にするのはいつも、質量のない、どこかにふきとんでしまいそうなうすっぺらいものじゃない。ほんとうにおもっているかもわからない、そんな不安定なものをどうやって信じろと言うのでしょうか。ほかのおんなのこは信じるかもしれない。そういう子も、きっといるだろう。

 でも、わたしは綿毛のようにかるいきみのことばをそろそろ信じられなくなったよ。


 わたしがそうしてだまりこくっていると、及川くんのおおきなおおきなてのひらが頭におかれる。かるくなぜてから、するりと手はほっぺたまでおりてきて、両手ではさまれた。それはもう、ぎゅむっと、力強く。


「あ、あにょ…」
「あはは、ぶさいくー」

 そんな端正な容姿をされていらっしゃる及川くんからみたら、そりゃあわたしなんかぶさいくの極みでしょうよ。反論しようとおもったけど、予想以上にぎゅうっとはさまれているせいで、うまくしゃべれないのであきらめた。そのかわりに、まゆねをよせてみると、これまた「ぶさいく」の評価がくだされて、わたしはもう反論する気力をうしなった。もういい。そうおもって、及川くんの目を見るのをやめた。

 横目にそらしたわたしをよくおもわなかったのか、今度はほっぺたをつねられる。このひとはわたしのことをおんなだとおもっていないのか、とうたがうくらいにぎりぎりと。はさまれたときの比にならないくらいの痛みで、生理的に涙腺がゆるんでいく。それでも、おんなのこに手をあげる及川くんを見るのははじめてだ、なんてのんきに考えられるくらいには頭のなかは冷静だった。


 しばらくその攻撃がつづいていたけど、そのいじわるいえがおだった及川くんが、ふっと力がぬけたようにやさしい顔つきになった。なんだろう、そうおもっているうちに、及川くんのすばらしいお顔がちかづいてくる。なんだなんだとかたまっていると、及川くんの唇がわたしの耳元にちかづいてきた。そして、わたしがほしがっていた四文字のことばをささやく。そんな及川くんにずるいなあとおもいつつも、はやまる鼓動になんてじぶんは単純なんだと、こんがらがってきた頭のなかには、それだけうかんだ。



海月の背骨


title:水葬


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