わかっている。十分わかっている。
一晩かけてゆっくり理解した。
彼はもう私の恋人ではないこと。元に戻れる術などないこと。そしていくら泣いても何も変わらないことを。
朝。
「おはようございます」と言いながら、眠そうな隊士さんたちに朝ごはんである親子丼の乗ったお盆を渡す。
彼らは挨拶を返してくれながら、半開きの眼を必死にこじ開けながら、または何か頼み事をしながら、それを受け取っていく。
拍子抜けしそうなくらい、みんないつも通りだ。
「親子丼大盛りでお願いしまーす」
「あ、はーい」
「ああ俺少なめで」
「わかりましたー」
「おはよーございます、どぞ」
「ん?…あぁおはようござ…ふぁ」
「起きてー」
「おはよう」
「あ、おはザキ」
「略さないで?早くください」
「はいはいどーぞ」
「…なんで目の下にクマがあるんですか」
「昨日は夜遅くまで、お妙さんに愛を届けに行ってたからかな!」
「はい、親子丼です」
「あ、どうも」
「親子丼にマヨネ――
「おはようございます、わかりました」
「言わせろ」
「いつものことでしょ」
そうだそうだ、いつものこと。いつもの朝。いつもの皆、いつもの私。
それでいい。
それでいいんだ。
忙しい女中の朝に飲み込まれてあたふたと働いていると、ふ、と隊士さんたちの列が途切れたのに気づいた。私は驚いて目を見開く。
…途切れた、というのは正しくないか。どちらかといえば離れた、って感じ。
彼から、皆が。
総悟は全く私と目を合わさないまま、静かに私の前に立った。
「…おはようございま、す。ど…うぞ、」
「どうも」
適当に返事して、総悟はさっさとお盆を手に去っていった。周りは何も知らないから、私たちのそんなぎくしゃくした、というかどこか他人行儀な様子にかなり戸惑ったような視線を向けてくる。
私は黙ってうつむいた。よく考えてみると、さっきのは総悟とのやり取りでの最短記録を達成していた。
にしても、彼らからしてみれば、総悟が並ぶとき列からはずれるのは当たり前のことだというのには驚いた。いつも通りなその動きに。まだ彼らは、何も変わらない。
まあ何も知らないからそうなのだろうけど。私と総悟だけが、このいつも通りの中で変化しているのが、少し不思議だった。
よく、総悟は列に並ぶとき、前にいる隊士さんたちをぶっ放して私のところに来ていたのだ。彼らもいつからかそれを学び、総悟が来ると列から外れるようになって。
…でも。もうそれも、無くなっていくのだろう。
少し、寂しい。
でも、仕方のないことだとも、思う。
私じゃダメだったのだから。総悟のそばには、私じゃなく別の女の子がいるのが多分、相応しい。
「……えっと、その」
「?あ、」
どことなく気まずそうに私に、顔に見覚えのある隊士が声をかけてきた。
「朝ごはんを、」
「、ああ。ごめんなさい、はいどうぞ」
しっかりしなきゃ、と自分を叱る。
今私は、項垂れて涙を流すなんてやっちゃいけない。
私は女中だから。総悟とどうこうの前に。
なんてカッコつけておきながら、やっぱり自室に戻るとどっと悲しみが押し寄せてきて、ぎゅうっと潰されそうになった。
もう、別れやしょう。ね?
総悟は、駄々をこねる子供に諭すような口調で、そう言った。
どうして。そうつっかえながら問うと総悟は、短く「他に好きな奴が出来た」って答えた。
…この期に及んでまだ嘘つくの、と叫んでやりたかった。
好きな奴が、出来たんじゃない。
いたんだよね?ずっと。
わかっていた。わかっていたけど、好きだったのだ。
食堂で、毎朝爽やかな笑顔を見せてくれた総悟が。土方さんを追い回してるときの楽しそうな総悟が。たまにある、やたらと真剣な総悟が。…まだまだたくさんある。
とにかく総悟が好きだったから私は、失恋した総悟が、私の気持ちに向き合おうとしてくれてたのが嬉しくて、それが彼からの本当の愛かどうかなんて確かめもしないで浮かれてた。
多分、総悟は疲れたのだろう。私の恋人であることに。
自分を好きだという女に縋って、自分の気持ちを偽りながら、好きな女を見ないふりしながら、日々を過ごすことに。
そっと息を吐いた。喉が震える。頬が濡れる。
きっと私は、総悟に酷いことをされたのだろう。
身代わりのように利用されたのだろう。
そして総悟はきっと、最後まで私を見てくれはしなかった。
――でも、どうしても、全てを悟っても、愛しいとしか思えなかった。結局私は彼を憎むことが出来なかった。