シリウスが突然ホグワーツに姿あらわしで現れたのは久々に、ジェームズ達に会いにいく約束をしていた前の夜だった。ハリーのために手作りの靴下を用意しておいた私は既に出来上がっていたそれを見て、うん我ながら上出来だ、なんて顔をほころばせる。私の手よりも小さな小さな靴下に、いつか私もこんなふうに自分の子供に靴下を作ったりするのかしらなんて思ったりして、窓を開けて月を見た。世間は《例のあの人》の支配で混沌としていたけれどホグワーツにはダンブルドアがいたからまだ安全だと言われていたし、夜空に浮かぶ蒼白い月はそんな混沌とした世界を忘れてしまいそうになるくらい美しかった。今はそんなものを悠長に見ている暇も余裕もないだろう彼も、同じ月を見ていればいいな、そう思ってた時、よお、悠長だな、なんて低い声が聞こえてくる。聞き慣れた声に振り向けばそこにはニヤニヤした彼―シリウス・ブラックが立っていたのだ。どうやって来たの、と突然過ぎる想い人の登場に混乱しながら問いかければ、姿あらわしとわかりきった答えが返ってくる。

「久しぶりだな、なまえ先生?」
「やめてよもぉ。旧友に先生なんて呼ばれるの、なんかくすぐったい。」
「はは、だよな。俺もなんかなじまねー。」

昔とちっとも変わらない、口角がきゅっとあがった、楽しそうな表情の笑い方。私が大好きな笑顔でシリウスは笑った。

「どうしたの、いつも予想外なことをしてくれるパッドフッドくんだけど今日はずいぶんと突然じゃない。」
「ああ、まあ、な。正直ちっと抜けてきたもんだからあんま時間ねえんだ。」
「そうなの?」
「こんなご時世ですから。」
「…情勢は厳しいの?」

怪我はしてないの?大丈夫なの?と心配すればシリウスは、心配性なのは相変わらずなんだな、とまた笑う。

「もお、ほんとに心配してるのに。」
「悪い悪い。ほら、機嫌直せよ。」

くしゃくしゃと優しく頭を撫でられ、私は更にむくれた。シリウスに頭を撫でられるのは嫌いじゃないけど、いらぬ期待をしてしまうし子供扱いされているような気がしてなんだか複雑な気持ちになる。「もお子供じゃないわよ。」と不満気に口を尖らすとシリウスは一瞬寂しそうな顔をしてから「そうだな。」と笑った。その、いつもと違う少しだけ影を帯びた彼に私は眉間に皺を寄せる。

「どうしたの?なんかあった?なんだか、変よ。」
「…いや、なんも。」
「嘘、何か隠してるでしょう。」
「………。」
「シリウス。」

だらりと下げられたシリウスの腕を掴んで問うと、ゆっくりと瞬きをしてから僅かに滲んだ彼の黒い瞳が私を捉える。身体を震わせたシリウスの口から絞り出された言葉は私を奈落の底に突き落とすのには十分過ぎるほどだった。




ゆるりと目を開くと見知った天井がそこには広がる。枕元で私に寄り添うように丸くなっているキツネリスの背をなぞると小さな口を思い切りあけて欠伸をするその可愛らしい仕草に朝から癒され身体を起こし鏡の前に立つと12年前と変わらない顔が映っていた。

「…そっか、今日は学校休みなんだった。」

もう少し寝ていれば良かった、と後悔するも冴えてしまった目と頭は二度寝という選択肢を与えてはくれなさそうだ。休日にしては朝はまだ早かったがせっかくだしここのところ様子のおかしい、というより確実に何か隠し事をしている旧友をお茶にでも誘おうと着替えて化粧を施す。

「シリウスが脱獄、か。」

シリウスがいなくなって毎日泣いた。21歳の時だった。シリウスがジェームズを、リリーを、私達を裏切ったなんて私には信じられなかった。だってシリウスは誰かを、いいえ、親友を裏切るなら死んだ方がマシな口だもの。だからあの時、必ず帰ってくるって約束したんでしょう?にわかには信じられないことではあったけれどもし脱獄が本当ならどんなに喜ばしいことだろう。周りは皆彼を殺人犯として脱獄に恐れおののいているけど、私に言わせれば遅いってゆうかなんてゆうか。てゆーか脱獄したなら会いに来いよとすら恨みがましくなってみたり。

「…帰ってきたら話があるって、いつになったら聞けるのよあの馬鹿。」

じわりと滲んだ涙にいけないと思いながらもそれはもう止まるすべを知らずに私の瞳から次々とこぼれていく。逢いたい恋しいこんなことになるならあの日彼に何年越しの想いを伝えるんだった彼と一緒にアズカバンに行きたかった、と渦巻く思いにはすべて後悔という名が駆け抜ける。彼を思って泣かない日があっただろうか、泣きすぎて涙も枯れていい頃なのに果てることをしらない私の涙にいい加減うんざりもする。

「シリウスの、馬鹿…」
「馬鹿っていうやつが馬鹿なんだよばーか。」

聞き慣れた声に振り向くと、痩せこけた髭面の、黒髪の、背の高い男が立っていた。普通なら不審者だわとかきゃーだのわーだの騒ぐとこだけど私は迷わず男の胸に飛び込んだ。あまりの強い衝撃に男は一瞬ふらつくもきちんと私を抱き止める。

「遅くなったな、なまえ。」
「シリ、ウス…!!!!」

忘れない、間違えない、彼はシリウスだ。抱きつく私を少し離して視線を交わらせたときには昔と変わらぬ笑顔。ああ、年とったね、痩せたね、疲れた顔してるね、どうやって脱獄したの、こんなところにいて大丈夫なの、怪我はしてないの。たくさん聞きたいことがあった、言いたいことがあった。だけど素直になれない私はそばにあったクッションを手に取り彼を睨む。

「久しぶり。」
「っ…なにが、久しぶり、よ!」
「いてっ!」

「散々心配かけといて!」
「散々泣かせといて!」
「散々待たせといて!!!」

「……悪かった。」

ぼかすかとクッションで力いっぱいにシリウスを攻撃してやると彼は苦笑いして謝ってきた。もう、そんな顔をみたら、そんな恋しそうな声を出されたら、なにもかもどうでもよくなって私はシリウスの胸にもう一度飛び込んだ。

おかえり、と笑顔を添えて。


いとしいなみだを枯らしてはせつないあなたを抱きしめてばかりいる
(そんな私に、愛してるという言葉が囁かれ、せつないほど、狂おしいほどたくさんの優しいキスが私を幸せという名をつけるのが怖い、つまり幸せな世界へ誘っていった。)