precious word


 紅い瞳が追う先の少女は、さっきから飽きずにクラウドを見ていた。
 やけに熱心な視線。カウンターの向こう側で酒瓶の補充をしている当のクラウドも気付いていたらしく、ちらりと不審そうな表情を見せる。不躾なほどのアスターがどうというより、その連れが不機嫌さを滲ませているせいだろう。
 いつもならヴィンセントの些細な感情の揺らぎにも気付くアスターは、彼に視線を向けもせずにクラウドを窺っている。これで苛立たないはずがない。けれど自分から口を開く気にもなれず、ヴィンセントはむっつりと押し黙ったまま逸らされたアスターの細い首を見遣っていた。
「ねぇ」
 不意に立ち上がった少女がカウンターに手を付き背伸びをした。首を傾げてクラウドの顔を覗き込む。
「クラウドの目、きれいな色だね」
 言い切った瞬間、肩に走った痛みと傾いた視界にアスターは驚いて頭を巡らせた。
 引きずり上げるように彼女の腕を掴んでいたのは、無論ヴィンセントだ。見下ろす顔は無表情だが、眼差しは凍るほどに冷たい。端で見ていたクラウドがその空気に一瞬身構え──けれどヴィンセントは自分の行動に気付いたか、すぐさま手は放される。
 よろけたアスターが、それでも彼を見上げたままカウンターに縋った間に踵を返した。意外に静かなドアベルの音だけを残し扉の向こうに消える。
 ぽかんと口を開け見送ったアスターは、我に返って駆け出す。ドアをくぐろうとして、慌ててクラウドに向き直った。
「クラウド今のなし! 聞かなかったことにして!」
 言われなくても別にどうでもいいことだった。元タークスに恨まれなければそれでいい、と彼は溜め息を落とす。


 表に飛び出したアスターが辺りを見回すと、紅い布地が少し先の路地へするりと消えていくところだった。彼女が追える道を、追える速度で歩いていることに胸が苦しくなる。自覚しているのか判らないが、アスターをが追ってくることを待っているのは確かだ。
 角を曲がれば、高く昇った陽が狭い裏路地にも差し込んでいた。スポットライトを浴びるようにぽつんと佇む影。
「ヴィンセント!」
 ただもう、その姿が消えてしまうのではないかとさえ思い、アスターは手を伸ばす。勢い余って背中にぶつかってしまったが、そのまましがみついた。
「あのね違うの、前エアリスがねソルジャーの瞳が空色でって、それできれいって言ってて……」
 懸命に言葉を紡げば、彼の手がそっと頭をなでた。ヴィンセントが逃げないことを確認したアスターは、ようやく安堵して腕を緩める。彼はひらりとマントを翻し向き直る。
「……腕は、」
 さきほど掴み上げられた腕に触れ、ヴィンセントは躊躇いがちに問う。
「そっちは、痛くない」
 唐突な行動の意味も解っているから、距離を取られる方が痛い。押し黙ってしまったヴィンセントを責めも慰めもせず、アスターは小さく苦笑いを浮かべる。
「そんな、大事にしてくれてたって、思わなかった」
 アスターがいつも率直に述べる言葉が、ヴィンセントにはそれほどまでに大切なものだったのか。
 けれどヴィンセントは首を振る。
「……私も、思っていなかった」
 この子が無邪気に好きだと言うのを、ヴィンセントはいつも苦笑いのような気分で聞いていた。嬉しくはあったが、さほど真摯に聞いていなかったと思う。けれど他人に向けられた瞬間、自分でも驚くほど激高していた。──それは、彼のための言葉ではなかったのか、と。
「同じように言っても、全然違うから。ヴィンセントのは、くらべられない」
 自嘲のこもった溜め息を寄越されたが、アスターは穏やかに笑い言う。
「もうヴィンにしか言わない」
「いや……私は、そういう風におまえを縛りたくはない」
 己のエゴで行動を制限したくはない。本音を言えばしたいのだが……そうすると際限なく縛り付けたくなる。
「違うよ。わたしも大事にしたいだけ」
 包み込むように、伸ばした両手で彼の頬に触れる。
「ヴィン」
 足元に転がっていた箱を踏み台に身長差を覆す。彼女を追って上げられた瞳が、硝子のように光を集め澄む。
「ヴィンの瞳、とってもきれいで、好き」
 目尻にそっと口付ける。
 ヴィンセントは黙したまま受けたが、すぐに面を伏せた。その深紅が、前髪と睫毛に遮られてしまったのが少し惜しかった。
 顔は隠されてしまったが、彼の手はアスターの腰をゆるく抱いたまま。なんだかいつもと正反対の仕草にアスターは笑う。
 頬に添えていた手を伸ばせば、さらさらと指先から零れ落ちる黒髪。
「違うなぁ……ヴィンセントのだから、好きなんだ」
 鮮やかな瞳を美しいと思うのも、長い髪が好きなのも、後ろ向きな考え方を時々かわいいと思ってしまうのも。それが好みだったからではなく、ヴィンセントを好きだから好きになったのだと思う。
「……やめろ」
 感じる体温が上がったのは気のせいだろうか。伏せられた表情が気になってアスターはいつもの立ち位置に戻る。顔を覗き込めば、彼の目元はほんの少しだけ朱を帯びていた。
「照れた?」
 彼女が悪戯っぽく問うと、ヴィンセントはふいと顔を背ける。素っ気ない態度も気持ちの裏返しで、アスターはつられて少し頬を染めながら彼の手を捕らえる。そっと握り返された指に、もう一度顔を見上げる。
 明るい陽射しを受け、ヴィンセントの瞳の色が柔らかく変わるのを、アスターは変わらぬ翠の瞳を細め見上げていた。




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