happiness


「ヴィンー」
 弾む声に呼ばれて振り向けば、駆け寄ってくるのは仲間の少女だった。ちょっと興奮しているらしく子供のように赤らんだ頬で、ヴィンセントの前で急停止する。
 はい、と差し出された手のひらの上には小さな──たぶん菓子類だろう。アルミ箔で包まれた何か。金と銀の細かな柄で、何となく高価そうに見えなくもない。
 意図が解らず黙していると、彼女はヴィンセントの手を引いた。小さな塊をころりと落とす。
「どうぞ」
 やはり動かずにいる彼にアスターは拳を握り締め言う。落ち着いたかと思ったテンションがまた上がっている。
「あのね、これすーっごく、おいしいの! 二つ貰ったから、一個あげる」
「……何故」
 何故わざわざ譲ろうとするのか。菓子類は嫌いではないが、アスターのように目の色変えるほど好きなわけでもない。彼が食べたところで全くの無駄だろう。
「好きかもしれないよ?
 甘いものは、幸せなんだって。心の栄養って。ヴィンセント、足りなそうだし」
 無邪気にそう言われてヴィンセントは眼差しを険しくした。
 足りないというよりは、頑なに拒否しているだけだ。アスターもその辺り察しているかと思っていたが、押し売りをしてくるとは。
「幸せ?」
「そう」
「必要に見えるか?」
 切り捨てるような冷たい響きに、アスターは笑顔を引っ込めた。
 手のひらに目を落とした少女の面からゆるゆると表情が消えてゆく。細い指先から温度さえ失われてゆくように見えて彼は少し焦った。思わず手を伸ばしかけ──寸前で思いとどまる。
「……たった、これだけも……ダメなの」
 ぽつりと落とされた言葉が突き刺さる。アスターにこんな顔をさせるくらいなら、自分のつまらない意地に執着すべきではなかった。
「…………」
 ヴィンセントはおもむろに包みを剥く。無言の指先を、まだ不安と後悔のような翳りを残しながらアスターの瞳が追っていた。
 薄い銀紙から現れた中身はチョコレートだった。それを差し出せば、困ったように見上げてくるアスター。
「こちらの方がいい」
 彼女の気持ちも嬉しいのだが、やはり自分が食べてしまうのは勿体ない。アスターが彼に贈ったのとおそらく同じ気持ちだと、彼女は解ってくれるだろうか。
 アスターは迷うように目の前のチョコレートとヴィンセントの間で視線を往復させる。彼は無意識に指先を揺らし言う。
「あーん」
「っふ」
 吹き出された。
 確かに似合わなかったと少し気まずく思ったが、アスターも笑ってしまったことに慌てて顔を伏せたので、悟られはしなかっただろう。ヴィンセントは何事もなかったかのようにアスターの反応を待った。
 表情を繕い、アスターはそっと彼を見上げた。期待に満ちた瞳と、組まれた指が少し白い。それらが何を言っているかは明らかで、仕方なしにヴィンセントは再び口を開く。
「……あーん」
「ん」
 素直に従ったアスターの口にチョコを押し込む。唇と指先が一瞬触れ合い、少しばかり親密な仕草だったためかアスターは一歩あとずさる。
 それ以上は逃げず、複雑な表情で口を動かしていたが、味覚の方が強かったらしい。両のほっぺに手を当て相好を崩す。喉でも鳴らしそうな勢いだ。
「おいしい」
 幸せそうな少女を見下ろし、ヴィンセントは小さく溜め息をこぼす。彼女が不思議そうに瞬いたので頭をなでてごまかした。また仔猫のように目を細める。
「ありがと、ヴィンセント」
 彼はまったく何もしていない。むしろ要らぬ不快感を与えてしまったというのに、他愛もなく笑顔を向けてくれる。
(……参ったな)
 明らかに選択を誤ったとヴィンセントは軋む胸のうちで思う。拒んでいたはずのものを結局は手に入れていた。
 言い訳の余地もない。無邪気な笑顔が、何より胸に甘い。




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