西の逢魔時


「Trick or treat!」
 甲高いいくつかの声にアスターは振り向く。黒いマントの、手に手にランタンを持った小さな悪魔やら魔女やらが、期待を込めた眼差しを向けていた。
 まだ宵の口の街にはたくさんのカボチャが飾られ、通りをオレンジと闇色に染め分けている。彼らが何を待っているのか、一目瞭然だった。
 いつも通りの格好なのだが、二人の姿は魑魅魍魎の跋扈する街の風景によく馴染んでいた。どちらかというとそれっぽいヴィンセントの方が人気なのか、子供たちは彼のマントを引っ張ったり、周りを駆け回ったりして笑っている。
 無言で、けれど少し困っているらしいヴィンセントに、アスターはポケットから飴玉を取り出して手渡す。ついさっき、宿を取った時に貰ったものだった。
「はいはい、足りるかな」
 目聡く見つけてまとわりついてくる子供たちにアスターはお菓子を配る。彼女自身のおやつなわけだが、ポケットやら鞄をあさって、あるだけ全部あげてしまった。
 可愛らしく頭を下げて去って行く子供たちを笑顔で見送り、再びヴィンセントと連れ立って歩き出す。夕食に行く途中だったのだ。
 と、手を引かれヴィンセントは踏み出しかけた足を止める。触れた指は小さかったが、アスターではない。ひぃやりとした体温。振り向き視線を落とすと、子供がひとり。
「Trick or treat」
 くすくすと笑いながら、その子は両手を伸ばす。
「えーと……」
 手元にはもう何もない。アスターは困り顔で首を傾げる。ジャックランタンの被り物の下から、蒼味を帯びた瞳が見返していた。
「ごめんね。もうないの」
 しゃがんで目線の高さを合わせるアスター。けれど子供は駄々をこねるように彼女の手を引く。思いのほか強い力で、アスターがよろめくほど。
 それを、ヴィンセントの左手が留めた。
「…………」
 およそ子供に向けるものではない気配をまとうヴィンセントにアスターは目を瞬かせ──いまだ自分の手を掴んでいる子供に視線を戻した。
 笑う子供。冷たい手と。
「じゃあねぇ、」
 握った手をゆらゆら揺すり、ちらりとヴィンセントに笑みを含んだ眼差しを送りアスターは言う。
「来年。来年は、必ずあげるから」
 子供は笑みを引っ込めた。アスターの答えが意外だったか、少し戸惑ったように瞳を揺らす。そしてすっと、傷付いたような、あるいは苛立つような色に変わる。
 ヴィンセントはアスターを引き離そうとしたが、彼女は羽織っていたストールを解いて広げた。夜風に晒されている子供の首にふわりとかけ、もたつきながらも蝶結びを作る。一瞬張り詰めた空気など気にも留めない。
「約束するよ」
 笑顔とともに差し出されたアスターの小指に、迷った後ちょっと触れ、子供はマントをひるがえした。細い足で駆けて行く後ろ姿はすぐに宵闇に紛れて消える。
「だいじょぶかな、あの子」
 ヴィンセントは彼女の手を引いて立たせてくれたが、何を言うでもなく見下ろしてくる。アスターは首を傾げた。
「安易に、約束などするな」
 言葉は冷たかったが、たぶん底に潜むのは悋気だ。少しは心配もあるだろうか。
「ちゃんと優先順位、あるよ」
 あの子のような者についつい手を差し伸べてしまうのは、それだけアスターに余裕があるということなのだろう。ヴィンセントが支えてくれるから、アスターは他の誰かを助けられる。
 右手を引き、左手を差し出す。ヴィンセントはその手を受け止めた。
「……寒くはないか?」
「ないよ。ありがと」
 吹き付ける風は冷たかったが、触れる指先が嬉しい。甘えるようにヴィンセントの肩にすり寄り、おぼろな明かりの灯る通りを歩き出した。




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