Utopia


 白い砂浜は汀も白い。
 潮騒を供に、素足が砂に跡を残して行くのを、ヴィンセントは数歩後ろから追っていた。彼女の両手で揺れるサンダルのラインストーンがきらきらと光を散らす。
「まぶしい」
 水平線の方へ顔を向けながらアスターは笑うように言う。傾きはじめた太陽が波に砕け、彼女の瞳に似た明るい碧の水を一面銀に見せていた。
 夕焼けを眺めるには些か早く、泳ぐには遅い中途半端な時刻。それでもまだ遊び疲れない子供や、浜辺を散策する者たちの姿が見受けられる。
 広い浜辺では打ち寄せる波音も高く響き、遠くからの喧騒と交じり合う。賑やかで穏やかな南国のビーチで、アスターは何を言うわけでもなく澄んだ蒼穹や、砂浜に伸びかけた影、流れるように飛び去る海鳥を眺めていた。
 細い首が巡る仕草でそれを察し、彼女よりも高い視野で見送るヴィンセント。けれどすぐに視線は戻ってゆく。背を向けているアスターの高く結った髪が海風に揺れ、そのまばゆさに目を細めた。
 時折大きく打ち寄せる波に足をくすぐられアスターが笑う。無言で見守っていたヴィンセントの所在を確かめるように振り向き、かち合った視線に彼が笑ってやれば、満足そうに同じ表情を返す。そしてまた足の向かう先に眼差しを戻した。
 ふと、何か気になる物でも見つけたか、アスターはひらひら駆け出し──
「……っ!」
 小さく声を上げ、ぱっと跳ね上がった。
 よろめいたアスターをヴィンセントは即座に抱き支える。彼女の視線を追って足元を見れば、小さな足跡の中に砂とよく似た色の破片が埋もれていた。
 湿った砂は意外と固く、割れた貝殻を鋭く支えていたのだろう。彼女の柔らかな足裏などひとたまりもない。
「……ごめんなさい」
「大丈夫か?」
「平気。ちょっと痛いだけ」
 血の滲んだ足先を見てアスターはちょっと首を傾げた。都合よく打ち寄せてきた波に、察したヴィンセントが止めるより一瞬速く足を浸す。
「ぅ、い──っ!?」
「……塩水だ、当然だろう」
「しみっ……しみる痛っぁ!!」
 一度目よりも高く飛び跳ね、また転びかけたアスターを抱き留めながら、ヴィンセントは溜め息混じりに笑う。そのまま担ぎ上げたアスターが騒ぐのにも取り合わず、波打ち際から離れる。どこか水場があったと思ったが、クラウド別荘に戻った方がいいだろうか。
 肩に乗っかったアスターはしばらく痛みに悶絶していたが、がくりとうなだれる気配。少し首を傾けたヴィンセントに気付き、彼女は言う。
「……わたし、バカなんじゃないかと……」
 それには同意できるが、微笑ましいというかちょっと可愛いと思ってしまった手前、何とも言えずにヴィンセントは足を速める。
「普通、分かるよね」
 と少し暗い声が言う。
 自分が“普通”ではないから、おかしな行動をしてしまうのだろうか。所詮彼女はヒトを模倣しているだけで、人間とは違う生物なのだ。
「いや……普通だろう」
 少々抜けているが、そんな人間などいくらでもいる。単に経験が足りないだけで、むしろ呆れるほど普通だと思う。
「見ていて飽きない」
 笑い含みに言われ、アスターはむっとする。自分は珍獣か何かか。
「ずっと、見ていたい」
 つぶやきの、柔らかな響きにアスターの身体が小さく跳ねた。
 ヴィンセントはいつも何の気負いもなくそういうことを言う。深い意味があるのかないのか、気になったが問うのも何だか躊躇われた。
 真意がどうあれ、その言葉は心地いい。ずっと。アスターもずっとがいいと思う。
「…………」
 そろりと緊張を解いたアスターを抱き直そうとしたが、首にしがみついて離れようとしない。ぐずる子供のような彼女の髪が頬をくすぐるのに任せ、ヴィンセントはビーチを後にした。




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