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箱の底に隠したのは、三年と一月前の約束。 応えるつもりでいる一年前の願い。 Be my "Valentine" 「お返しはもらえた?」 一週間ほど後のことだろうか。 セブンスヘブンで、カウンターの向こうに立つティファにそう尋ねられ、アスターは困ったように笑う。作り方を教えて貰ったクッキーを全焼させてしまった二月のことは何も言わずに、先日もらった箱を取り出して見せた。 「なんだ普通ぅー」 「普通ですね」 隣のユフィがつまらなそうに言い、反対隣のシェルクも頷いて同意したが、アスターは気にしなかった。 可愛い紙箱に入った金平糖は市販のものだし、たいして値が張るわけでもないだろう。自慢にならないことは百も承知だが、とっても嬉しかったのだ。それこそ、ちょっと惚気だと解っていても、みんなに見せたいと思うくらい。 「よかったね」 「ん」 ティファに頷き返し、半分よりも減った中身をそれでも満足気に眺めていたアスターは、ふと手を止める。 パステルカラーの星の間から、紙切れらしきものがほんの少しだけ覗いていた。キャンディーのような両端をねじった包みが一番底に埋まっているらしく、まだ残っている金平糖をかきわけ取り出す。 けれど、それは飴の類にしては平たくて、箱と同じくきれいな青と白の紙で包まれていた。 つまみあげた指先の感触は硬い。細く小さく環を描く── 「それって、もしかして……」 ティファのつぶやきを聞きながら、アスターはその両端を引く。かさりと微かな音と、覗き込む四人の姿が映りこむほどつややかな銀。 「え、ちょ、うーわぁ!」 やたらと楽しそうにユフィが声を上げる。 深紅の石の指輪だった。誰だってそう思う、彼の瞳と同じ色だ。 ティファが、その指輪とアスターの手をまじまじ見比べる。シンプルな指輪は小さい方だと思う。けれど、小指に合うサイズには見えなかった。 「……やっぱりここかな」 どこか慎重な眼差しで在るべき場所を指しながら言った。その意味をアスターはよく解っていないらしく、気負いのない仕草で指輪を通した。細い指にするりと収まる。 「あ、すごい。ぴったり」 「サイズ知ってたのかな?」 知らなかったとは思うが、一緒に暮らしていればいくらでも調べられると思う。寝ている間ならアスターは絶対に気付かないだろうし、特に不思議はなかった。 「そんな甲斐性があったんですね」 「え、そんな貧乏でもないよ?」 心底意外そうに言うシェルクに、アスターは首を傾げた。 「……マリッジリングでしょう」 「これはエンゲージじゃない?」 とティファ。 「え? え、……ええっ?!」 今さら盛大に驚いた様子のアスターを三人が苦笑しながら見返す。 「ふつうの、じゃ……?」 特に他意のない贈り物ではないのか。今までだって、似合いそうだというだけでイベント関係なく装飾品をもらったことがある。 これもそういう類では、とアスターは娘たちを見回したが、三人とも首を振って否定した。──これは、特別なものだと。 「う……ぇ、……え……」 何が大した物ではないだ。そんな重いものを、ぽんと渡したのか。うっかりなくしてたらどうする。 「お。噂をすれば」 にやっと笑ったユフィの顔。ふと、よくヴィンセントが不吉な笑い方だとか言っていたのを何となく思い出すアスター。理由もなくこの笑みは不穏だと感じた。 響いたはずのドアベルの音も耳に届いていなかった。存外に静かな足音が背後で止まる。 「ほらアスター、お礼言わないと」 ティファに促され、ぎこちなく立ち上がり振り向く。確かに、これの意図が何であれ、貰ったものに対しお礼は言わなければならない。 ないのだが、これが、ティファたちの言う通り“特別”なものだとしたら、どんな顔をすればいいのか。 嬉しくない訳ではないが……怖いような泣きたいような、とにかく、本当に、どうしていいか解らない。 ヴィンセントが、その最後の距離を詰めずに──られずにいた理由は解る。 未だ振り切れない過去や、償いや、未来を怖れること。半分は弱さで、残り半分はアスターに対する愛情だと思っていた。 故に一切の言葉も誓いもない、想いだけで繋がる関係も辛くはなかった。アスターは死ぬまで示し続ける気でいたのだから。傍にいること、引き離されても帰ってくること、代価など無くともそれが何よりの望みであることを。 「あの……こ、れ……」 すぐさま状況に気付いたらしい彼の視線が、俯くアスターの手元で一瞬留まる。 「ああ」 とても他愛ないことのようにヴィンセントは頷く。いつもと変わりない、ひどく淡い表情だが、アスターには彼が深く笑んだのが判った。 「アスター」 さらりとその場に片膝をついたヴィンセントは、近くなったアスターの瞳を覗き込む。覚えのない空気に逃げるように脚を引きかけたアスターの手を取る。 「“ヴァレンタイン”に、なってほしい」 きちんと意味は通じたらしくアスターはこぼれ落ちそうなほど目を見開く。言葉もなく見返してくる瞳に、彼の緋色が映り込む。 傍にいたいなら今のままでもいい。ヒトではなく、今後もヒトとしては生きていけない彼らにとって、それは全く無意味な誓約だ。 だから、アスターのためだけに彼は問うた。 すっと目を伏せたヴィンセントはアスターの左手に──薬指に口付ける。瞳を上げ、アスターを見ると自然に口元がほころんだ。 「愛している。だから生涯を共に」 どれほどになるかは判らない人生だが、共有する権利がほしい。アスターにも、望んでほしかった。 「──アスター」 あっという間に潤んだ翠の瞳が伏せられる。こぼれた涙が少女の頬を伝い落ちたが、返答を促すヴィンセントは笑っていた。 ヴィンセントはアスターの答えを知っている。もうずっと前に答えたのだ。 「……ん……っ……、うんっ!」 声が出ない。必死で頷く。 期待はしていなかった。覚悟していた。そんな日は来ない。どれだけ近くとも、永遠に、あと一歩の距離は埋められないままなのだと。 けれどヴィンセントは踏み越えてくれた。 アスターが、ずっと何よりほしかったもの。望んで望んでどうしても手に入らなくて。本当に最後まで諦められなかったものを、ヴィンセントはちゃんと知っていたのだ。呼ばれる名前に意味を与えてくれ、姓を分け与えてくれた。 「ありがとう、ヴィンセント」 抱き締められた腕の中で、アスターは溜め息のように言う。まだ声も震えていたが、微かに揺れた腕にヴィンセントも笑ったのだと判る。 「私も、ありがとう、アスター」 最後まで一緒に。 孤独が怖いからではなく、愛しいから、幸せになりたい。 彼らの先行きに、幸多からんことを。 |