BitterSweet


 本当は気付いていた。
 彼が帰ってきた時に、屋敷中に漂う甘い香り……と焦げ臭い異臭。非常に不自然にそわそわしているアスターに笑いそうになったのだが、何とか取り繕った。ここでその異変について尋ねてはいけないことくらいヴィンセントもわきまえている。というか、ずっと本を逆さまに読んでいるアスターが可愛すぎて、指摘してしまうのが勿体なかったのだ。

 変に気まずい空気の中、午後を過ぎても夕になっても、アスターは行動を起こさない。口数も少ないところから悟ったヴィンセントは、何も言わずにいた。このまま明日になってしまったとしても別に構わない。
 そろそろ寝た方がいいだろうかとヴィンセントが考え始めた頃、ソファの隣で膝を抱えていたアスターが、ぎこちなく口火を切った。
「あの、ね……」
 視線を合わせない少女をやわらかく見下ろし、ヴィンセントは黙って次の言葉を待つ。
「……忘れ、ちゃったの」
「そうか」
 特に気にせずヴィンセントは頷いた。もとからさほどイベントの類に興味はない。何か言ってはこの子を傷付けてしまうだろう。
 アスターは拗ねたようにうつむいたまま。
 言えるわけがない。──全部失敗したなんて。
 そんなに難しくはないからと、レシピを教えてくれたティファも言ってたのに。
 驚いて、喜んで、もらいたかったのに、結局何も作ることができなかった。だからといっていまさら市販品を渡す気にもなれなくて、アスターはただうなだれる。
「……私はこれでも、構わないが?」
 アスターの髪に結ばれた淡紅色のリボンを引きながら、ヴィンセントはささやく。小さな手を取り愛おしげに口付けた。まだ微かに、甘い匂いのする指先。
 この手が、自分を想ってしてくれたことを知っている。きっと、不器用ながらも懸命に作ってくれたのだろう。できあがったものを差し出されても嬉しかっただろうが、込めた気持ちに意味があることに変わりはない。
 アスターはヴィンセントの唇に触れた指先を頬に滑らせ、そして背を伸ばす。さらりと目を伏せてくれたヴィンセントが優しすぎて、危うく泣きそうになった。
「……ん……、ヴィン?」
「ん?」
「大好き……です」
 ヴィンセントの、相変わらずきれいな瞳を真っ直ぐに見て言うのは、本当に照れくさかったのだが。
 何も用意できなかったから、せめて言葉にして伝えたかった。今日はそういう日のはずだ。
「……今年、は……これで」
「ああ。ありがとう」
 三倍どころか目もくらむような笑顔を返され、アスターはしばらく固まった後に、ヴィンセントの胸に額を押し付ける。
「敵わないなぁ」
 そんなに嬉しそうにされてしまったら、沈んでいた気分が回復どころか舞い上がってしまう。失敗したおかげでものすごーく得したような気がする。来年も同じにしようかな、と有り得ないことを考えたりもした。




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