Indian summer


 二人が訪れていたのはニブルヘイムの片隅にある雑貨屋だった。この村にいるときは日用品などを仕入れによく利用しているが、ヴィンセントが来ることは少ない。
 煤けたガラス窓から日が射し込み、雑然としながらもうらさびれた店内の空気を暖めていた。黄味を帯びた光の中でアスターがあれこれと品定めをしているのを、ヴィンセントは言葉少なに眺める。
 乱雑に積まれた棚の商品は、うっすら埃をかぶったものもあったが──生モノでもないので別に気に留めなかった。その中で、最近補充されたらしい小綺麗な缶が一山、彼の目を引く。
「……ヴィン?」
 気付いたアスターが低い位置から見上げてくる。彼女の目線では見えないらしい缶を取り、手渡してやるヴィンセント。
「お茶?」
 四角い缶に、丸い蓋。細やかな装飾の文字はおそらく外国語でアスターには読めなかったが、描かれている図を見たかんじ茶葉のようだった。
 ヴィンセントは頷くと、アスターの抱えていた香辛料や洗剤やジャムの上にその缶を乗せる。買うらしい。
「これ、好きなの?」
 ずいぶんぱっと決めたように見えた。日常生活全般にこだわりの薄いヴィンセントにしては珍しく、以前から見知った品なのかとアスターは尋ねる。
「昔は、よく」
 その静かで柔らかな瞳に、アスターは一瞬呼吸を止めた。
 彼はここを見ていない。アスターを見もせず、思い出のなかの誰かを、そんな慈しむような眼差しで。
「誰と?」
 思わず問うたアスターの声は、自分でも判るほど硬かった。
「昔、誰と?」
 声音に驚きアスターを見遣ったヴィンセントは、彼女の複雑な表情に気付く。そして笑った。
「──親父と」
 別にやましいことなど微塵もない。窺うように見返すと、アスターは勘違いに気付いたか頬を染め俯いた。
「そ、っか……」
 ばつの悪そうなアスターの頭をなで、ヴィンセントは彼女を宥める。ささやかな嫉妬は、当人には悪いが少し嬉しい。
「お父さんが好きだった?」
「ああ」
 頷いてからふと引っ掛かる。問いかけは、父が好きな紅茶だったという意味か、彼が父を好いていたという意味か。
 アスターが嬉しそうに笑顔を浮かべていたので、疑問はそのままにする。答えは同じなのだし。
「早く帰って、お茶にしよ」
 うきうきとレジへ向かうアスターの背に、ヴィンセントは無言で頷き返す。見えてはいないはずだがアスターは小さく笑い声をもらした。


 戻ってきて早々に支度を整えるヴィンセントは、どこか浮かれているようだった。アスターも興味深げに、茶器を並べる手元を見つめる。
 彼女はいつも何も考えずにお茶を淹れるのだが、ヴィンセントは量も温度も時間も、感覚ではあるが計っているようだった。
「上手いんだね」
「親父は……」
 家族のいないアスターに、自分の家族のことを積極的に話していいものか迷う。けれど彼女は身を乗り出すように彼の話に聞き入る。
「下手で、いつの間にか私の役目になっていた」
「うん」
「その割に味に煩くて。注文が多かったな」
 きっと、とアスターは思う。
 きっと彼の父親は、お茶を淹れてもらうことが嬉しかったのだろう。意外にてきぱきとしているのは見ていて楽しいし、それがたとえインスタントであったとしても、自分のために淹れられたお茶というのは特別おいしいものだと思う。
 お茶請けを出すのも忘れ、アスターは行儀良く待っていた。おそろいのカップを無言で差し出される。少し目を伏せたヴィンセントは、たぶん少し照れているのだと思う。
 テーブルではなくソファに仲良く腰かける。陶器ごしの熱。揺れる深い紅。ひんやりとした空気に、薄い湯気がたちのぼる。
「いただきます」
 口に含んで──あ、と思う。
 とかく彼女は表情を偽れない。一緒に過ごす時間の長いヴィンセントには、特に胸の内を読まれてしまう。
 隠し事ができないのはお互い様だからまぁいいとして──相手を傷付けないためのポーカーフェイスくらいは会得したいと痛切に思った。
「──口に合わないか」
 俯いたアスターの耳には、何となく消沈したような声音に聞こえた。
 少し癖のある味は、飲めないこともないけれど、無理をして飲むのもどうだろう。白いカップに揺れる紅色は、きれいなだけに胸に刺さった。
 ヴィンセントが好きなものを、自分も好きと言いたい。気持ちをぴったりと重ねられたらと思うのに。
 希望とは裏腹に、一缶消費するまでずっと、お茶の度に切ない思いをするのだろうか。気が滅入る。
 ヴィンセントは止まってしまったアスターの手からカップを奪った。サイドテーブルに二つのカップを遠ざけ、沈みこんだアスターを抱き寄せる。
「……珍しくない」
 アスターが好きで、ヴィンセントが好きでないものは多い。主に甘いものや菓子類だが。
「……嫌そうに、したことないよね?」
 アスターは悔しいような申し訳ないような気分になったが、ヴィンセントは気にしないのだろうか。嗜好の違いなど当然で、理解できなくても構わない、と?
「見ていると、」
 やわらかく抱き締められているが、後頭部に添えられている手だけは揺るがない。顔を見られたくない時によくやる仕草。アスターはおとなしくヴィンセントの胸に顔を埋め、続く言葉を待った。
「──幸せな気分になる」
 解らなくても。同じでなくとも。アスターが笑っていれば、ヴィンセントはそれで満足なのだ。
 じたばた藻掻いたアスターは、ヴィンセントの手に逆らい顔を上げる。ヴィンセントは表情を取り繕わなかった。
 端正な貌に浮かんだ感情など、何であっても大差ない。それを隠さなかったことがアスターにとっては重要だった。
「……ね、明日から、わたしが淹れる。教えて」
 正式な手順も知らず、さらにあまり器用でないアスターに淹れさせては味は期待できない。アスターが手をかけたものなら何でも美味いと言うほど、ヴィンセントは彼女を甘やかしていない。
 だから一週間もあれば「上達したな」と言ってやることができるだろう。




 *short long Home

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