care


 何かが意識に引っ掛かり目が覚めた。眠りを妨げられた感じで、苛立つとまでは言わないまでも渋々とヴィンセントは目を開く。違和感が何なのかはっきりせず身体を起こすと、外はようやく空が白みかけた時分。
「……ぃー……?」
 傍らの少女がふやけたような声を上げた。そっと髪をなでたが、意外にもまた寝入ってしまうことなく起き上がる。
「……ヴィン、血、出てるよ」
 ようやく痛みに気付く。彼女の視線をたどれば右肩から胸にかけて、線を引いたように細い傷が幾筋かあった。といっても浅い傷で、痛いというよりはひりひりする程度。アスターも、さほど気にした様子はない。
 しかしどこで負ったかと、ヴィンセントは眉をひそめる。些細な傷などすぐに塞がってしまう彼の身体からするに、今し方であるのは間違いないが……。
 察したアスターがするりと指を絡めてくる。視界に入るように引っ張り上げられたのは、鋭い──左の指先だった。ああ自分でやったのか、とぼんやり思い、はっとしてアスターの顔を見返す。
「おまえは? 何ともないか?」
「ないよ。だいじょぶ」
 一瞬きょとんとしたアスターは、すぐにふわりと笑う。
「今まで、うなされてたって、そんなことなかったよ」
 本当に本当か、疑心もあった。この子は時々とても上手に嘘を吐く。大概は彼を護るための嘘で、あるいはふたり一緒にいるために必要な嘘だったりもする。
 けれど実際、アスターがこれと似たような傷を負っていたのを見たことはない。──少なくとも気付かぬうちに、というのはない。
 安堵に小さく息を吐いた。もし、うなされてこの子に怪我を負わせるようなことがあるなら、二度と同じベッドで寝ることはできないと絶望しかけたが。
 ヴィンセントがあれこれ考えていると、アスターが少しだけ頭を下げた。その動きに目を遣った瞬間、細い傷をぺろんと舐められる。
「……っ!」
 がっしと彼女の両肩を掴み引き剥がす。アスターは何故止められたのか解らないといった無邪気な顔で首を傾げた。
「だってなんか痛そうだし」
 発想が犬猫レベルだ。もっと色っぽい雰囲気でやられたら彼も嬉しいと思うだろうが、自分ばかり気持ちが傾いでも困る。
「……私がすると怒るだろう」
「……ほんとだ」
 アスターが目を瞬かせながらつぶやいた。
 彼女はよくそこらですっ転んだり、料理中に切り傷をこさえたりする。そしてヴィンセントはよくその傷に舌を這わせたりするが、たいてい真っ赤になった彼女に叱られるのだ。
「疚しい気分になるから止せ」
「わたしは、やましくならないけど?」
「本当に?」
 どこか艶美な気配をまといながら問えば、彼女は少し頬を赤らめた。
「…………えっと、そうでも、ない?」
 照れ笑いでごまかしながら、アスターは指先に淡い光をともした。もうほとんど塞がりかけていた傷をなでると、拭ったように一切の痕跡は消える。
 わずかに残るぬくもりは、治癒の魔法か、彼女の手のひらの熱だろうか。
 




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