啓蟄


 錆ついた門扉はいつも耳障りな音で開く。幽霊屋敷だ何だと噂されるこの建物に似合いでははあったが、少しは油を差すなりすべきだろうかと考えながら、ヴィンセントは敷地に足を踏み入れる。
 幾度か降った雪は溶けたが、まだ緑は見られない庭を横切りかけ──背後の気配に気付いて足を止める。
「…………」
 振り向いて、目が合ったのは無論アスターだ。
 庭の端の、日だまりといえば居心地が良さそうだが、もさもさした枯れ草の上に手足を広げて寝っ転がっている少女が。
 ちょうど門からは見えない所で、時折、好奇心にまかせてやってくる村の子供に見られる位置ではないが……だからといって庭でごろごろするのもどうだ、と自分のことは棚に上げヴィンセントは眉をひそめる。
「……アスター」
 呆れ返った彼の声に、アスターは小さく身体を震わせ笑っていた。
「うん……空がね、」
「空が?」
「もやーてしてて、今日あったかくて……眠い」
 この季節、アスターはいつも眠いと言っている気がする。
 しかしようやく春めいてきたとはいえ直射日光の下で寝こけていたら暑いだろうに。動こうとしない彼女の傍らに膝をついた。少し赤らんだアスターの額をなでヴィンセントは顔をしかめる。
「焼いたな。後で痛むぞ」
 指摘されてアスターは呻いた。
 確かに、ちょっと無防備に陽に当たりすぎた。熱を持った肌に、ヴィンセントのひんやりした手が気持ちいい。
 甘える猫のようなアスターを見下ろし、ヴィンセントは少し考え──どことなく深刻な表情を浮かべる。
「アスター……」
「んー……?」
「おまえの嫌いな──」
 そこまで聞いてアスターは跳ね起きる。名前を聞くのも耐えられないので、いつからかヴィンセントはそれを『嫌いなモノ』と言うようになっていたが、同義だと結局不快感は変わらない。
「いッ! ……どこっ……待っ、言わないで!」
 そのまま猛ダッシュで玄関先へと逃げてゆく。
「いぁぁ付いてないよね? 付いてないよね?」
 思いっきり涙目になりながらばたばたと服を叩いていた。その前に枯れ草の絡まった頭をどうにかしろと言いたい。
「──出たらどうする」
「……まだ早いと思ったんだもん」
 驚いた反動で少し機嫌を損ねたか、刺のある声で言う。庭に戻る気は失せたらしく、むくれた顔でこれまた軋む玄関扉を開ける。
「もう庭出れないじゃない」
 手入れもしていない庭で何をしようというのか。ヴィンセントは彼女の後に付いて、もつれた髪から葉っぱやれ何やれを取り除いてやりながら苦笑いする。
「アレさえいなきゃ、外も好きなのに」
 裏庭はもうその向こうの森と同化しているが、表の一角で花でも育ててみたいと思ったこともあるのだ。けれど、一度アレと遭遇して諦めた。こればっかりは克服する気さえ起きない。
「でも、暖かいのは好き。春は好きだな」
 アスターはホールの窓から落ちるやわらかな影に目を細めたが、返事がないのでちらりと見上げれば、ヴィンセントは考え込むように少しの間を置き言う。
「……冬がいい」
「寒いの、ちょっとやだなぁ。雪はきれいで好きだけど」
 その、寒がりのアスターだからだ。
 一歩先をゆく彼女に追い付き、そっと背に手を添える。
「……遠慮しないでいいのに」
 彼女が笑いながら言ったので遠慮無く抱き上げた。髪に頬を寄せると、ひなたでぬくまった匂いがする。確かに、アスターには春の方が似合う。




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