(ホシカン)
くるり。そんな音が聞こえるような気がした。練習後にひとっ走りしてクラブハウスに戻れば、星すら出ていない真っ暗な冬空の下、微かな照明の光を受けて、そいつはグラウンドに立っていた。ボールが回る、くるくるり。金糸が踊る、ふわふわり。こうしてボールを巧みに操っているところを見ると、足先の器用さだとか、そこに立っている人物の技術面を改めて見せつけられた気がする。我が川崎フロンティアが誇る、18番のFWだ。
(……うまいもんだな)
いつもバカ騒ぎしているから、そんなこと、なかなか感じ取れなかったけれど。昌洙は素早くボールの下に足を滑り込ませると、そのまま垂直に蹴り上げた。とん、という音がして、ボールは背中に落ちる。それを肩に滑らせるようにして、ぽとり、ボールが彼の手の中に。
(おいおい、サッカー選手が手を使ってどうすんだ)
まぁ、自分のポジションは置いておいてだが。さすがに黙って見ているのも飽きたので、話し掛けるべく歩を進める。彼はまだ気付かない。くるり、くるり、ボールが宙を舞う。
「昌洙」
呟くように、彼の名前を呼んでみた。しかし返事はない。よっぽど集中しているのだろう、ボールは落ちることもなく、相変わらず宙を舞っている。こちらからは昌洙の後ろ姿しか見えないから、どんな表情をしているのか分からない。
「昌洙」
もう一度呼んでみる。と、その瞬間ボールが地面に落ちた。てん、てん、てん、昌洙は未だにこちらを見ずに、足元のボールを見ている。どうやら気付いて足を止めたわけではなく、たまたまボールが落ちたようだ。足元を見つめる。ボールを拾う。昌洙は拾い上げたそのボールを優しく撫でると、そのまま、ぎゅ、と抱きしめた。
何故だろう、ざわり、その後ろ姿に、言いようのない胸騒ぎを感じて、
「……昌洙、」
少しばかり、声が上擦ってしまった。ただ、早く自分に気付いてほしい衝動に駆られる。なあ、お前は今、どんな顔をしてんだよ、
「……ホシノ?」
向けられた顔に、少しほっとする。泣いているのかと思った。考え過ぎか、自分も過保護になったものだと昌洙に近付く。星はまだ出ない。暗闇が、ただ広がっていく。
「鼻真っ赤だな、」
「ワタシ、イマ、ズットココデ、レンシュウシテマシタ」
「ずっと?夏じゃあるまいし、明日も練習あんだから、そろそろやめておけ。ほら、中戻るぞ」
そのとき、濃紺が広がる空の上に、きらりと光る星。星野の視線が一点に止まったのを見て、昌洙もつられるようにして見る。
「北極星だな」
「ホッキョクセー?」
「あー…スター?英語でなんつったかな…」
「star?」
「そう。北極が pole ってことは、pole star とかそんなんか。あれ、ポラリスもか?」
「ナマエ、イッパイダネ!ニホンデハ、アレ、ホッキョクセー?」
合ってる、そう言われて頭を撫でられ、昌洙はうれしそうに微笑んだ。雲が晴れていく。ちらりちらり、月が少しずつ顔を出し、星も辺りに広がってきた。その星たちの中でも、一際輝くのは、やはり先ほど話題に上がっていた星で。
「あんなに光るもんなんだな、あれ、ずっと光ってんのか」
「ホッキョクセー、イツモ、チガウホシデス。ムカシカラ、モエテ、ウマレテ、モエテ、ウマレテ、クルカエスヨ!」
「繰り返す、な。昔から?」
「ズット、ズットムカシカラデスヨー!」
「へえ、何万年も前とか、そんな感じか」
詳しいのな、その言葉に昌洙はまた微笑むと、ずっと遠い星を見上げる。少し大人びている横顔。今まで見たことがないその表情に、ざわり、星野は再びあの感情を覚えた。
「昌洙、」
「……ワタシノイエ、ヨル、ホシスゴクキレイデシタ。ワタシ、ヨル、ズットホシ、ミテマシタ」
夜空を見上げれば、プラネタリウムにも負けない満天の星空。無数の輝ける星がきらり。懐かしい。ねえ、俺は今ここで、サッカーをしているよ。遠くて近い、けれど確実に故郷と国境を挟んだこの国で、一生懸命頑張ってるんだ。場所は違えど、同じ星を見ているんだよ。ねえ、みんな、見てるかな、ねえ、
ねえ、
「……そういうことかよ」
「?」
「昌洙」
「ナニー?」
「涙目」
「ハイ。……ナミダ?」
何のスイッチが入ったのかは分からないが、涙目と突っ込まれた後に、ぼろぼろと涙が溢れる。なんだよ、これ、どうして?疑問でいっぱいな頭に、ぼふんと何かが降ってきた。あたたかくて、少し汗のにおいがするそれは。
「……ホシノ、」
「いいから。黙って着てろ」
第一そんな薄着でなにやってんだよ、風邪引く気か。ふわり、先ほどまで彼が着ていたジャージの上着を羽織る。すん、と鼻を啜れば、奥の方がつんとして痛かった。
(あったかい)
自分の身体は思っていた以上に冷えていた様子だった。包まれるそのあたたかさに、また涙が出そうになる。じわり、じわり、彼の優しさが胸に沁みて、思わず空を仰いだ。息が、白い。
「……決して永遠ではない恒星、ってか」
「コーセー?」
「自ら光を発し、天球上で互いの位置をほとんど変えない星ってことだよ」
「???」
「はは、分からねぇよな。悪いが、教えてやれる言語力もねぇわ」
だったらなんで言ったんだって話だよな、そんなこと。俺自身、たまたま思い出したわけだし。ぽんぽんと頭を撫でられながら、星野がそう呟いて微笑む。駆け足での言葉になんとかついていくが、すべてを聞き取ることはできなくて。相変わらず頭に疑問符を浮かべていると、星野はゆっくりと昌洙に向き直った。
「昌洙、お前はな、その恒星なんだよ」
ちょっとクサいこと言うけどよ、お前がサッカー頑張って、それをみんなが見てくれている。お前は自分から光を発しているんだよ。
「お前が故郷から離れて頑張ってるのも、俺らは知ってる。お前がここで頑張ってるのも、故郷の奴らは分かってる。お前のそのプレーひとつで、お前は、自分の存在を示してんだよ。……離れてたって、みんなが、お前を見てくれてる」
やっべえ、ほんとにクサ過ぎた。そう照れを隠すように、がりがりと頭をかく。そんな星野の目に飛び込んでくるのは、鼻をつまんでいる姜昌洙。
「……何してんだ」
「ダッテ、ホシノ、クサイイッタカラ」
「……大丈夫だから、鼻つままなくていいから」
悪い、言葉のあやだ、そう返せば、あやとはなんだ、と返される。それをさりげなく流してから、ふて腐れた昌洙の顔をむに、とつまんでやった。
「イヒャイ」
「優しくやってんだから痛いはずねーだろ」
そのままぺしん、と頬を叩くと、その身体を抱き寄せた。どれほど前からここにいたのだろう、ジャージを着せたところで、全身から冷たさが伝わってくる。
「ホシノ?」
「……寂しがるなら、隣りで寂しがってろ。勝手に、ひとりで、黙って、落ち込むな」
頼むから。分かりやすく伝わるように、少しずつ言葉を区切り、力強く抱きしめた。その言葉を頭でかみ砕いて飲み込めば、昌洙は、自身がますます泣きそうになるのを感じて。つきり、小さく息を吸い込めば、肺の奥の方に冷たい空気が入り込んだ。再び息を吸い込む。この時期は一層底冷えしているような気がして、喉を通っていく空気に、けほ、と咳を零した。その音に、星野が身体を離す。
「悪い、苦しかったか」
「ウウン、サムクテ、ムセルデシタ」
「むせました、のが自然」
「ムセマシタ」
丁寧に言い直す彼が愛しい。少し乱れた髪を手櫛で梳いてやり、そこに唇を落とした。と、あまりにもふわりと、彼が笑うものだから。俺の中じゃ、お前は一番の存在感だっつーの、これこそクサ過ぎるな、どうした俺、だなんてひとりごちて、苦笑して。
「アッ、ホシノ、オモイダシワライデスヨ!ムッツリスケベ!」
「これは苦笑だ!!……おい待て、お前、それ誰に聞いた」
「ハチヤ!」
「………あの人はほんっとに余計なことばかりしやがって…!!」
不穏な空気をふつふつと出す星野の袖を、くい、と引く。振り向いた鼻が赤くて、少し前に彼に言われた言葉を思い出し笑ってしまった。風邪を引く、と言いかけて、自身にかけられた羽織りのことを思い出して、ああ、だから彼は寒いんだとぼんやり思って。やだなあ、もう、この気持ちをどう表したらいいのだろう。
「ホシノ」
「なんだよ」
「……ワタシ、ホシノダイスキデス、ホシノノソバデ、ワタシ、ズット、キラキラシマス」
ダイスキ、デス。そう繰り返して、優しい微笑みを落として、だけど、照れたように逃げようとするもんだから。ああもう、北極星どころか、目の前のヤツのがキラキラだよ、キラキラどころかギラギラだよ、なんなんだっつーの!とりあえず、逃げようと目の前を踊る金糸を掴み、そのまま返事と言わんばかりに噛み付くように口づけた。
星は廻る、金糸は踊る
(いつだって振り回して、困らせて、真っ赤にさせるようなことばかり言いやがって)
(そんなお前でも、お前だから、愛してんだよ)
END.
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ホシカン企画である『ほしかん!』に投稿したものです。
はああ間に合ってよかった…!主催が間に合わないという非常事態に陥るところでした。
あれ、これサクセラ企画のデジャヴュ…!←
ホシカン万歳!
ふたりに幸あれ!
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