◇étrangers ◇writer by よみ

これが罰ならば、私は余程の罪を犯したのだろう。運命ならば、あまりにも惨い。気付けば私は世界の外側にいた。元居た場所から弾き出されたのだろうと仮説を立てたのは、いくつかの世界を巡ってからのこと。様々な世界を独りで渡り歩いた。そこに私の意思などなく、ただ時空に押し流されるように。どこに辿り着いても私は余所者だったので、私はだんだん他人と交流を持ったり、相手を記憶したりする作業を億劫がるようになった。今ではもう、最初に居た場所のことさえ曖昧だ。
「妖術師殿は鮮明に覚えていらっしゃるのでしょう?」
男の白くて長い髪を梳りながら問い掛けた。彼は私と同じ様にあらゆる世界を観測し、その上で憎しみの炎を燃え滾らせて、この地でも復讐の機会を窺っている。似たような特性を持つ存在である私のことも、手駒の一つとして使いたいらしく、傍に置いて身の回りの世話なんぞをさせている。その記憶が憎悪によって形作られたものでも、目的を持たぬ私には少し羨ましい。
「忘れることなど出来るものかッ…」
憎々しげに唸る。後ろからでは視認できないが、その容貌が怨恨で歪んでいることは間違いなかった。私は斯様に時折、妖術師殿が妖術師殿であり、それ以外の何者でもないことを確認したくなる。そうして安堵と寂寞を同時に味わうことでなんとか均衡を保っている。もし、万が一、彼が。妖術師殿の一側面である、彼が。許すと一言呟いたら。自分は誰のことも怨んではいないと穏やかに告げたら。私はきっと正気であることを諦めて、時の海に沈み込んで二度と浮かんでこないだろう。

いつかの世界で焦がれた相手は、穏やかで自己犠牲的な、夢のような青年だった。神の名のもとに集った筈の人々は、いつの間にか彼自身に魅せられ、その陣中旗の前に易々と命を投げ出した。悲劇的だったのは、彼が目的を達成するためならばそれでいいと、割り切れなかったことだ。一人でも多くの命を救おうとして、彼は結局誰も救えなかった。勝ち目のない地獄のような戦乱の最中に、彼自身も命を落としてしまう。彼の首が胴体から切り離され、泥と血に塗れながら転がっていくのを、私はあの時確かに見たような気がするが、今となってはあまりに遠く定かではない。
高く結い上げた御髪にどこか少年っぽさを残した風貌、浅黒い肌によく通る声。切支丹たちを扇動したあの青年は、妖術師殿に瓜二つであったけれども、彼等を単純に同一人物として扱えないことは、その浮かべる表情や、語る言葉を聴けば誰もが納得するだろう。私が何より驚いたことは、妖術師殿が生きていたことだった。異形に身を転じようとも、彼の肉体は生命活動を停止していない。つまり、あの戦火の中を生き延びたということだ。そして祈り果てたその唇で、神を冒涜する言葉を吐く。私の知る彼ならあり得ないことばかりだ。だから、私は彼にこう呼びかける。
「妖術師殿、」
天草四郎時貞という名を用いることを、妖術師殿は酷く厭う。神を呪うと決めた彼にとっては、己の正体など虫酸が走るばかりなのだ。嘆きのあまり血の色に転じた眼球に、月のように楡色の瞳が浮かぶ。呼ばれたことで、彼は律儀に襟を割っていた手を止めた。
「あなたの悲願は結ばれましょうか?」
所詮外側の存在でしかない者の憎しみが、どれだけ事象に影響を与えられるものなのか、無気力にただ世界を渡ってきた私には想像もつかぬ事柄である。妖術師殿は私の杞憂を鼻で嗤った。
「我が憎悪は時空を超える呪いとなった、あとは機が熟すのを待つのみ…」
そして私の肌を暴く作業を再開する。彼は邪淫によって堕落を極めようと試みているのだ。愉悦の為ではなく、自らの悪性を高める為に快楽を求めるのだから、一周回って生真面目であるとすら思う。
「人はそんなにも救いようのないものですか?」
「救済の道はすでに閉ざされた」
間髪を入れず、妖術師殿は鋭い声で断言した。
「あとは蹂躙され、悉く無に帰すがいい」
あの穏やかな青年の裏側で、怨讐がこんな風に牙を向いていたなんて、一体誰が想像し得ただろう。或いは、これはあの英雄が捨てたものなのかもしれない。清廉である為に。
「…痛っ」
私が上の空だったのが気に食わなかったのだろう。首筋に歯を立ててきた。尖った犬歯が皮膚を裂く。
「吸血鬼でもあるまいし…」
怨み言は流された。薄く血の滲んだ傷口を、妖術師殿の舌が嬲っていく。
「…何を考えていた?」
日頃より低い声で詰問された。思考することは苦手なので、形になるようなことは考えていない。私の沈黙をどう受け止めたのか、腕を掴む力が強くなる。このままではへし折られかねない。
「…妖術師殿のことを」
「ほぉ、彼方の英霊ではなく、貴様を組み敷く化物のことを考えていた…と?」
私は従順に頷いた。生きながら怨霊と化した妖術師殿は、確かに化物かもしれない。しかし、この世に怨みの破片すら持たず、彷徨う私は何だというのだろう。血の河も、骸の山も、きっと私にとっては他人事でしかないのに。
「はい、あなたがその目に映した地獄のことを」
それはあの人が神に殉ずる瞬間に焼き付けた景色ととてもよく似ていて、けれども決定的に異なっているのだろう。どちらも天草四郎時貞である筈なのに、違う結末を迎えることになった、この違いは一体どこから来るのか。考えるのが面倒になったので、身を委ねるふりをして目を閉じてしまう。瞼の裏の暗闇に意識を集中させてしまえば、私に接吻する相手が誰なのかすぐにわからなくなる。名前を呼ぶ必要性は感じなかった。どうせ、次に私が訪ねる世界にはいない人だ。


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