真田の屋敷に戻ってもすぐに弁丸様の元へ行くことは叶わなかった。
「頭、血生臭いよ。」
まさか、佐助に止められるとは予想外だった。
私がいない十日ですっかり弁丸様の世話が板に着いたらしい。
これは非常に良い傾向だと私は思い、新しい弁丸様の世話役に素直に従うことにした。
「私の後任は佐助で良いね。」
「てことは俺様が頭?」
「はは、そちらはまだ譲れないがいずれはそうなるかもね。」
なんてことを団子片手に言ってるのだから、平和なことだ。
あの赤い屋敷にいたのがもう何年も前のことのように感じる。
「さて、佐助。私はもう弁丸様に会いにいっても構わないかい?」
「あー…あのさぁ、頭、」
佐助が珍しく言いにくそうに言葉を濁した。
何を言われるのかと黙っていたら、弁丸様が遠くの角からこちらを見ていることに気がつく。
「何だい?」
弁丸様に気付かないふりをして佐助を促した。
「俺様が口滑らせちゃって、さ。その、頭の任務の内容、坊ちゃんが……、」
「そうか。なら止めておこう。」
私が笑って佐助の頭を撫でた。
一人傷付けただけ悲しそうに笑う優しい弁丸様。
大量暗殺してきたなんて知ればもう近寄りたくもなくなる。
それは仕方が無いことだ。
「佐助、弁丸様に団子をこっそり届けて差し上げてくれるか。」
「はぁ!?お八つは過ぎたよ!」
「だからこっそり。そうだなぁ、女中からって言ってくれれば良いさ。」
「はぁ……仕方ないなぁ。」
「私はまた北条の偵察に行くから弁丸様は任せたよ、佐助。」
「はいはい。」
佐助が立ち上がって、弁丸様の方へ歩き出した。
弁丸様は慌てて自室へと走って戻って行った。ほほえましいことだ。
私もそろそろ次の任務へ戻ろうと立ち上がれば、足元がふらついた。
不思議に思いながら屋敷を出た。
「ごほっ、ごほっ、」
風邪でもひいたのだろうか。
咳まで止まらなくなってきた。
木々の間を飛び回っていたが、耐え切れずに止まった。
「ごほっ!…!!」
口から出たのは大量の血だった。
病になった覚えは無いが、思い当たるとすれば、あの屋敷で浴びた煙幕か。
まさか、そんなものまで備えていたとは、年寄りは本当に用心深くて敵わない。
速効性が無かったのが残念だったな。
そんなことを思っている間に体に力が入らなくなってしまった。
「お前にごほっ…頼みたいことがある。」
十年来の付き合いである愛鳥の烏に私は血のついた私の手ぬぐいをくわえさせた。
「佐助に此処を知らせて…ごほっごほ」
ひとつ頷くと私の烏は真田の屋敷に向かって飛び立った。
私は止まらない咳についにそこに横になった。
目を閉じて思い出すのは優しい主のことだ。
弁丸様が床を初めて這った日、
弁丸様が初めて立った日、
弁丸様が初めて私の名を呼んだ日、
弁丸様が小鳥を埋めた日、
弁丸様が悲しそうに笑うようになった日、
優しい優しい弁丸様。
甘さを捨てて、立派な武士として生きていかれると言うのなればあの方は素晴らしい武将になれるでしょう。
弁丸様、名はいつでも貴方様の側に。
通りゃんせと連れ往く我が身
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