焦点をあわせずに、ただ、ぼーっとする。たくさんの人ごみが目の前を流れる。ねえ、マサくん、ここは私の来るところじゃなかったような気がします。「他校の偵察、頼まれてたの仁王じゃねえかよい!」「仕方ねえだろ。なんか仁王は約束があるみたいだしな」「まあ幸村くんにまで頼まれちゃあさ…あとでジュース奢れ!お前がな!」「俺かよ!」、マサくんと同じユニフォーム。多分…同い年だと思われる男の子二人が私の前を歩いていった。仁王、仁王。私の苗字でありマサくんの苗字であり、今のはマサくんの仁王。この会場は、この世界は、私は踏み入れちゃいけないはずだった。きっと。


「仁王」

 マサくんと私は、もう住む世界がちがう。


「仁王!」

 この場所に私のことを知ってる人は居ない。誰も知らない、私の名前。私が知らない、マサくんの表情。マサくんはもう、マサくんじゃない。




「仁王!呼んでいるのが聞こえんのか!」


 …………え。


「…わた、し?」
「そうだ、お前は仁王のいとこの仁王だろう」
「覚えててくれたんか、真田くん」
「仁王お前だってあの時、俺のことを覚えていただろう」
「そうじゃけど…」
「それより仁王、こんなところでどうした。試合コートはあっちだが」


 怒鳴るように仁王!と叫んでいたのはあの真田くんで、しかも、マサくんではなく私を呼んでいた。あ、私のこと知ってる人、ちゃんといた。よく凝らしてみれば、後方から柳くんもやってきた。


「私は…ちょっと休憩じゃ。二人はどうしてここに?」
「次のダブルスが俺たちなんだ。だから、アップをとっていた」
「あ、なるほど」


 1年生なのにダブルスに出る、試合に出る。信頼されてるんだなあ。強いんだなあ。すごいなあ。「そうなんか、頑張ってね」そう笑うと柳くんが口を開いた。一緒にコートまで戻ろう、と。



「そうだな、行こう仁王」
「…私はまだいいや」
「?」
「あ、ほら、こんなに大きいところ来たことないんじゃ。もう少し探検というか…」
「…迷うぞ」
「…。」


 すごく厳しい顔で真田くんに迷うぞなんて言われたらそんな気もしなくも、ないかも、しれない。そのとき「なまえーっ!」と大きな声がしてそちらを見ると、まあ案の定というかマサくんがいた。



「何でいなくなったんじゃ!っていうか何でこいつらと一緒?」
「うーん…何で?」
「偶然だろう」
「じゃってマサくん。ところでまだ30分経っとらんよ」
「早く終わったん!心配したんよ!」


 マサくんは泣きそうな顔をしながら私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。それから、崩れるようにして地面にしゃがみ込んだ。「とりあえず見つけれて本当に良かった」そうじゃな、ごめんなマサくん心配かけて。今度はしゃがみ込んだマサくんの頭を、私が、ぐしゃぐしゃと撫でた。
 …私も、泣きたかった。


「仁王も行くだろう、探検じゃなくてコート」
「は?柳、当たり前じゃろ」
「…お前ではなくて」
「…あっ、私?」
「そうだ。…仁王と、仁王か」

 柳くんはマサくんと私の顔を交互に見比べた。そして何かを決めたように口を開いた。



「お前が仁王、お前がなまえ。そう呼ばせてもらおう」
「なまえを名前呼び…じゃと」
「ややこしいしな。現に精市はすでになまえちゃん、と呼んでいるしな」
「それはそれじゃろ!」
「じゃあ仁王の方をマサくん、と…」
「呼ばせるわけなか!」



 マサくんと柳くんが言い合い(マサくんがぎゃあぎゃあ言っているだけでもある)をしている横で、静かに真田くんが私に近づいた。



「…なまえ」
「へ」
「嫌か」
「ううん!」


 全然!という気持ちを前面に出すかのようにして私は首を左右に思い切り振った。すると、真田くんは少し笑った。未だうるさいマサくんと涼しい柳くんの横で一言、「あまり深く考えるなよ」と。


「…え?」
「仁王と何があったかは知らないが、」


 きっと仁王は、お前のことを…なまえのことをいつも気にかけているはずだ。そう言って頷いた真田くん。自分で言ったくせに後から少しだけ恥ずかしそうにする真田くん。不思議な、ひとだ。同時に、優しいひとだ。
 ねえ、マサくん。来るべきじゃなかったこの場所に来てしまった私をこの場所は突き帰したり、しませんか。ねえ、マサくん。


 ねえ、…真田くん。


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