立海高校を訪ねた帰宅後、私は買い物へ出かけるというマサくんのお母さんを見送ってから、リビングのソファに座ってじっと考え事をしていた。5年前の、夏のことだ。
 私は真田くんがテニスをどれだけ好きなのかということを一度だけ練習相手になったときに、知った。そしてその後には私の話し相手にもなってくれて、彼の優しさを知った。強さも知った。惹かれたのは確かだった、真田くんから言われたあの一言に頷きたいのも山々だった、なのに。彼は遠い存在だったのだ。手を伸ばしても届かないようなところで彼は彼の目標に向かっていたのだ。じゃあ、今は?


「(王者立海…か)」


 それは、今も、まだ。彼は走り続けている。同じ競技をしている身として全国屈指の強豪校の話はいくらでも聞くし、それから、マサくんから来る定期的な連絡によって彼らの活躍は知っていた。中でも、三強と呼ばれるその存在。その中に彼はいる、だから。
 …私は、5年前の自らの選択が正しかったと信じている。例え、少しの恋心と後悔がそれを邪魔しても。


 そのとき、テーブルの上に置いた携帯がブーッ、ブーッ、ブーッ、と鳴った。確認すると、それはマサくんからのメールだった。文面には「すまん」とだけ一行に書かれていた。時計を見ると、もう部活は終わっている時間だった。私は同じように、一行で、「何が?」と返信する。1分も経たないうちにメールが返ってきた。「真田がそっちに向かっとる」、と。…え?びっくりして固まっているうちに、家のチャイムが私の鼓膜に響いた。ど、どうしよう。


 とりあえず、ドアを開ける。するとそのドアは、すべて開かないうちに外側からの力によって止まった。そして懐かしい声が私に届くのだ。ひんやりと冷たくなった頭の中に、スローモーションで。




「俺だ。覚えているか?」
「……真田、くん」
「そうだ」
「…」
「…」
「ど、どうして」


 顔は見えない。見えるのは、ドアを制止する彼の手だけ。そんな私も、その手さえ、彼のいるその方向さえ見れていないのだけど。私は自分の足元を見る。真田くんはゆっくりと、運が悪かったなと呟いた。


「…え?」
「赤也に会ったんだろう」
「切原くん?」
「あいつは、馬鹿なやつなんだ。…本当に」
「まさか、」


 まさか、切原くんは私との約束を破ったのだろうか。みんなの前で私の話をしないでほしいというその約束を。ただその切原くんへの怒りは長続きせず、すぐに忘れてしまった。だって、すぐ近くに、私の5年間があるから。


「…違う、あいつはお前との約束は守った、だけど少し足りなかった」
「足りない?」
「お前の説明がだ」
「え?」
「赤也は確かにみんなの前では話さなかった。しかしみんな、とは大勢のことを言うだろう?あいつは、部室に仁王と幸村と俺がいるときにお前の話をしたんだ」
「…」
「俺の前で話すな、と言えば良かったのにな」


 真田くんは小さく笑ってから、ただ、と続けた。



「俺はお前がこっちに来ていると聞いて一目散に会いにきたわけだが、…まだ、お前の顔は見れない」
「…」
「5年前、俺はお前に約束を破られたんだ」
「そ、だね」
「今更責めるつもりもないが」
「うん」
「ただ、悲しかったんだ。俺らしく、ないだろう?」



 真田くんの言葉は私の心の一番苦しい部分をぎゅっと掴んだ。真田くんもまた私のことを忘れてはいなかったんだ、悲しみの対象として。返す言葉が見つからなくて、私は小さく「ごめんなさい」、と言った。他にも思うことはあるけれど、それを真田くんに言えるわけがない。ごめんなさいのあとに黙り込んでしまった私に、真田くんからは重く鋭い言葉が降ってきた。そして真田くんは静かにドアを閉める。立ち去る音が、微かに聞こえた。それからしばらく私はその場にしゃがみ込んで、動くことが出来なかった。それが私と真田くんの、互いの顔を見ないでの再会である。






「お前は、何のために戻ってきたんだ?」


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