「なまえ、ちゃんと荷物は積んだか?」
「うん、マサくんのお父さんもお母さんもありがと。お姉ちゃんも、また一緒に出かけようね」


 今日の夕方に帰るのに備えて、私は午前中から荷物をマサくんのお父さんの車に積む作業をしていた。マサくんの学校の試合を見たらそのまま駅に向かうためだ。今度は家族みんなで遊びに来るんじゃよとマサくんのお父さんが言った。うん、私もそのつもり。全然知らないところだったけど、この短い間で私はたくさんの経験をした。マサくんが誘ってくれて本当に良かった。私は少し、大人になった気がする。


「じゃあ時間になったら迎えに行くからの、会場に着いたら雅治にも言っておくんじゃよ」
「うん、わかった!本当にありがとう」





 会場に着くと、やっぱり人で溢れていた。部活の関係で早く来ていたマサくんは入り口で待ってくれていた。

「今日の試合じゃけど…」
「うん?」
「シングルス2に出るって、真田」
「…そっか」


 やっぱり彼はすごい人。私とは違う。感心したあとに、胸の奥の方はチクリと痛んだ。自分から断ったとはいえ私は真田くんのことが好き、なんだ。だけどこんなにも彼との違いを見せつけられてる。
 そんな私の心境を知ってか知らないでかは分からないけれど、マサくんが「本当に、本当に良かったんか?」って複雑そうな顔をしながら聞いてきた。


「本当は…良くない。でも、今はこの方が真田くんのためにも私のためにもなるんじゃよ」
「……そんなもんかのう」
「…うん」


 その後、他の試合とかを見ているうちにマサくんの学校の試合の時間が近づいてきた。そろそろ行くか、というマサくんの声を先頭に私は歩き出す。そして、ここ最近で随分と聞き慣れた声がどこからか聞こえた。「なまえ!」………真田くん、だった。


「…真田くん」
「……来てくれていたんだな」
「…うん」


 真田くんは私とマサくんから一定の距離をおいたまま、手を挙げて、それから笑った。マサくんが「俺、飲み物買ってくるな」って多分気を遣っていなくなった後も真田くんはそのままだった。


「仁王に分かってもらえたようだな」
「…真田くんのおかげ」
「そうか。なら嬉しいものだな」

 真田くんは笑った。笑った、けれど、彼はたったいまこの瞬間のことをどう思っているのだろう。私と、ひどいことをしてしまった私と話していることをどう思っているのだろうか。彼の心の中を探ろうとすると、やっぱりどうしても切なくなる。本当は私もね、…言いたい。言えない。



「…あ、あのね真田くん!」
「?」
「ちゃんと、真田くんの試合見るから!」
「………ああ、心強いな」


 それが、私の精一杯の恩返しだと思った。最後の、恩返しでもある。



「なあ、なまえ」
「な、何?」
「……もしも、俺が試合に勝てたら、」


 試合に勝てたら。そこから真田くんは喋らなくなってしまった。彼が黙りきっているその間に、試合の始まりを告げるアナウンス。



「さ、真田くん」
「…」
「行かなくていいんか?」
「言いたいことがあったんだ」
「え?」
「好きだと言う前に、なまえに、言わなくてはならないことがあったんだ」


 真田くんはじっと私を見つめて、それから珍しくふわりと笑った。もし試合に勝ったらそれを言わせてくれないか、そう言い残して、彼は私に背を向けた。





 シングルス3、ダブルス2で勝利した立海。ここで決まるかどうか、真田くんに委ねられていた。でも、始めから、私は分かってた。真田くんなら勝てるってこと。


 私が真田くんの練習相手になったときのあの音と同じ風を切る音が鮮明に聞こえた。続けて、真田くんがこの試合の勝者だということを告げる審判の声。それは真田くんの勝利だけでなくチーム自体が勝利したことも表していて、会場は歓声に包まれた。


「マサくん。時間じゃから私行くね」
「え、じゃけど…真田…」
「…ごめん、遅れられないから」
「…そうじゃな。また、来るんじゃよ」
「うん!…じゃあ、また」


 私はマサくんに手を振って、客席を出る。少し離れてからもう一度振り返ると、真田くんは自分に向けられた歓声には応えず客席をキョロキョロと見回していた。…私を、探しているんだ。だけど私は真田くんとは住む世界が違う、から。ごめんね真田くん。ありがとう真田くん。この思い出は、キレイなままずっととっておきたい。初めて、本当の好きをくれた真田くん。逃げるようにしてごめんなさい。だけど、だけどね、真田くんと向き合ったら私、また泣くと思うから。帰りたくないって思っちゃうから、だから。


 真田くんが私を呼んだような気がした。だけどそれは、きっと気のせい。彼は彼の輝くべき場所で笑っていればいい。好きだ、そう呟いた彼の姿はそっと胸の奥にしまう。かすんだ彼の残像も、いつか忘れるときがくる。この夏だって。







 そして私たちには、五年の年月が流れた。


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