「何か溜め込んでいることがあるんじゃないか、…仁王のことで」


 真田くんは、強く、そう言った。そのとき私の体は頭から爪先まで一瞬にして冷たくなった気がした。堪えられなくて俯くと、真田くんの小さく笑う声がした。楽しそうに笑ったのではない。切なそうに、辛そうに、笑った。


「言いたくないか?」
「…」
「それとも、言えないか?」
「…」
「…」


 そっと顔を上げて、真田くんを見た。


「…真田くん」
「なんだ?」
「私たち、まだ知り合って少ししか経っとらんよ」
「…。そうだな」


 本当のことを言うには。誰にも言ってない秘密を、悩みを、明かすには。もっともっと時間が必要なはずなのだ。私と真田くんは、ついこの間知り合ったばかりで、まともに言葉を交わしたのだって数え切れるほどで。お互いのことはそんなに、そんなに、知らないはずなのに。
 それなのに、私は見透かされている。
 それなのに、真田くんは、私の中にある黒い渦をすべて見透かす。


 …きっと、見透かすんじゃなくて、「わかる」んだろうな。知り合ってどれくらいかなんて、関係ないのかもしれない。真田くんは、私の知らないこの場所で、私のことを見つけてくれた。信じてもいいのかもしれない、私がここに来たのは間違いでは無かった、と。言ってもいいのかもしれない、私に甘すぎるマサくんとそれに頼りすぎる私との間に距離が必要なこと。もう、二人とも、子どもらしい子どもではないということ。
 今までとは違う、違うんだ。それらしい距離が、あるべきなんだ。そうすれば、私からマサくんのことを奪ったテニスだって、少し、好きになれる。真田くんが教えてくれたテニスを、好きになれる。

「真田、くん」
「…」
「真田くんになら言える…気が、する」







「ただいま」
「なまえ!」

 予想は、ついていた。マサくんは勝手にいなくなった私を心配していた。そこに見える怒りだって悲しみだって、私にはわかる。でも、それはもう私とマサくんには必要ないのだ。私たちは、それぞれお互いに、お互いの知らない、友達がいたり話題があったり気持ちを持ったりするから。


「どこ行ってたんじゃ!ほんと心配して…」
「…マサくんの、学校」
「……学校?」

 どうして?マサくんの怪訝そうな顔はそんな疑問を映し出した。私は、「マサくんがいつもいるコートをもう一度見ておきたくて」と答えた。マサくんは腑に落ちないようで、それだったら俺を誘えばよかったのに、と少しだけ機嫌が悪そうに言った。


「…心配しすぎじゃよ」
「だって、俺は!」
「…」
「なまえ?」


 マサくんは私に甘すぎて、優しすぎる。


 真田くんに言えた、私の悩み。もちろん離れるのは寂しい。私の知らないところで、どんどんマサくんだけが大人になってしまうのは、少しだけ嫉妬してしまう。だけど、それが当たり前なのかもしれない。楽しそうにテニスをするマサくんは、もう私のものではない。

 もう何でも話せる仲ではない。知らないことがあったって、それでいい。実際にたった今も、私はひとつだけマサくんにはどうしても言えないことを心のうちに秘めていて。




 マサくん私ね、マサくんの知らないところで、人を好きになりました。でもきっとマサくんもいつか同じように、私の知らない人を好きになるはず。私たちは違う道へと踏み出さなければいけない。
 気になる人がいます、その一言を言えなくて。それだから、学校に行ったときに真田くんに会ったことも言わなかった。


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